やさしい波際


「遅くなったけど、聞いてくれる?」

 突然そう切り出された場所は、車を30分ほど走らせた海岸公園だった。お昼には日向は新幹線に乗るというのに、朝から海に来たのは日向に話があると言われ、最後の思い出になるかもしれないと思ったからだ。
 自販機で飲み物を買ってベンチに腰かけると、潮風を感じながら、プルタブを引いた。春の海は、まだまだ寒い。

「返事……だよね?」
「うん。俺さ、考えたよちゃんと」
「そっか。ありがとう」

 日向が私のことを少しでも頭の片隅に置いてくれたことが、正直もう嬉しい。告白してからの半年は長いようで短かった。
 試合などでこっちに来る機会があれば、日向は連絡をくれて、少しだけでも時間をとってくれたし、ラインや電話も時々した。隣に座る日向の言葉を待って、カフェオレを一口飲むと、日向がそっと深呼吸をする。

「先に言っとく。俺、彼女を一番に優先するのはできないと思う」
「……そっか。日向には、この半年は面倒だった?」
「違うよ!俺は俺のペースで連絡取れてたし、楽しかった。だから逆に思ったんだ。みょうじさんがこの半年俺に気使って連絡しなかったり、我慢したり、そういうのがあったんなら、みょうじさんは俺と付き合わない方がいい」

 日向はまっすぐだ。まっすぐ過ぎて、正面から受け止めるのはすごく辛い言葉だった。それは、私のため?それとも可能性が無くなっちゃった?半年前みたいに勝手に涙が出そうになって、堪えるのが精一杯。でも言いたいことも沢山。

「……私、我慢してない。日向が自分のこととか、バレーのこととか大切にした上で、私が次にいれたらそれで嬉しいって思ってた。日向の一番じゃなきゃだめなんて、一度も思ったことないんだよ。前にも言ったじゃん、何をしてても、どこにいても日向が好きだって」

 漫画みたいにぼろぼろ涙がこぼれる。何度目でも、日向のことが大好きで、大好きで、この半年は宝物だった。
 ハンカチ出す余裕もなく、自分の上着の袖からはみ出るパーカーを引っ張って、あの日の日向のようにぎゅっと自分で目に押し付ける。ひっく、ひっく。子供みたいに泣き出したのは覚えていないほど前以来だった。手を離すのが怖い。

───コトン、

 缶を置く音が聞こえて数秒後、引き締まった腕にぎゅうっと抱き締められ、胸が苦しくなる。

「あーよかった。みょうじさんが好きになったのが他の奴じゃなくて」
「ひ、日向はっ……私のこと、」
「うん。好きだ」

 私の頭に顎を乗せて、決意したような声色でそう言われると、ひゅっと涙が止まる。びしょびしょになった袖はそのままに、日向の腕の中でもぞもぞ両手を下ろして届かない背中に手を回した。




 試合は終盤。観客の熱気は会場に溢れている。
 ブラックジャッカルが出場する試合を見に来たのは、二度目。翔ちゃんのデビュー戦以来だった。会場も違うし、私一人だけではあるものの、問題なく楽しめているのはバレーの知識は以前よりもっと深まっているからかもしれない。

 マッチポイント。ボールが床に落ちると、ホイッスルが鳴り、選手たちは整列する。やっぱり翔ちゃんは他の選手に比べたら小さいけれど、活躍も含めた存在感はすごかった。鳴りやまない拍手の中から徐々に選手の名前を呼ぶ声が目立ってきて、宮さんや、佐久早さんの名前が聞こえる中、翔ちゃんを呼ぶ声も多く、すでに名前っぽいし呼びやすいからか、周りの観客は「日向ー!」と彼を呼んでいる。
 せっかく取れた2列目。なんとなく気付いて欲しくて、退場口に向かう翔ちゃんに思いきり叫んだ。

「しょーよー!」

 突然キョロキョロしてからこちらに振り向いたのは翔ちゃんだけではなく、翔ちゃんのチームメイトもだった。よっぽど珍しかったんだろうか。気付いてすぐに花が咲くように笑った翔ちゃんは、ぶんぶん手を振り返し、隣を歩く宮さんに何か言っていた。
 見えなくなる間際、翔ちゃんは走り出したみたいに見えて、私は首を傾げた。宮さんと目が合うと、一瞬だけ退場口を指差して私に何か言ったような気がする。

 よくわかっていないまま荷物を持って客席を出ると、退場口付近ですでに数人のファンに囲まれている翔ちゃんがいた。もちろん割り込んで声をかけるのはルール違反だ。対応の合間、翔ちゃんは私に気付いて、いつもみたいニッと笑ってくれる。何度見たって、私はその笑顔にきゅんとしてしまう。
 後ろの売店の名言Tシャツを眺めながら、区切りがよくなるのを待っていると、翔ちゃんではない声が降ってきた。

「自分、すごいな。あの翔陽くんと付き合うとるんやろ」

 ん?関西弁?
 ぐるりと斜め前に顔を向けると、私に話しかけてきたのは宮さんだった。感心するような言い方に聞こえたけど、それはどういう意味なのかわからない。それより、翔ちゃんは私のことをチーム内で話してることが今判明して、変なことできないなと思った。

「あの。試合、お疲れさまでした」
「なまえいた!」
「あ、翔ちゃん」
「翔ちゃんやて。みんなに言うてこよ〜」
「侑さん!俺、今日パスで!」

 翔ちゃんの言葉に対し、返事の代わりに手をひらひらさせてロッカールームに戻ろうとした宮さんは、歩きだしてすぐファンの女の子達に捕まった。顔を見合わせて笑うと、翔ちゃんは私を呼んで歩きだし、関係者入り口の付近で立ち止まった。

「なまえ、明日休みだよな。今日帰んの?」
「うん、そのつもり」
「切符は?」
「まだ買ってないよ。なんで?」
「うち泊まれる?」
「でも、パジャマとか持ってないよ」
「また俺の服着ればいーじゃん」

 きょとんとした表情でそう言う翔ちゃんに対し、もちろん首を横に振るわけがない。こうやって子供みたいに笑い合って、色んなことが積み重なって、何気ない日常になって。それでも変わらず、好きあっていたいと思う。

 さてと。今日もまた、ちょっと大きめのTシャツでも借りることにしようかな。