私には気になっている人がいる。いや、正確に言えば好意を寄せている。と言った方が正しいかもしれない。

でも、その人は私を見ない。あの人にとって私はピースの一枚にしか過ぎないのだから。

「室長。先日のストレインが起こした事件についての報告書です」

「ありがとうございます。」

目の前の豪華な椅子に姿勢良く座るその人は机に乗るジグソーパズルをしている手を止め、私から報告書を受け取る。そして、洗練された手つきで報告書を軽くパラパラとめくれば軽く頷きいつもの凜とした声で告げた。

「特に不備は無いですね。ご苦労様でした」

「それでは、失礼します」

お辞儀をして顔を上げた時あの深い青色をした目と一瞬、目が合った様な気がして心臓の音が大きく聞こえる。そのせいか少し声が震えた。

部屋を出れば深く息を吐く。確かに私は彼が好きだ。でも、同時に嫌ってもいる。

あの人はどうして、人に頼らないのか。大きな事件となった去年の冬に起きた「十束多々良殺害事件」。あの時もそうだった。

あの事件は最後、あの人がダモクレスダウンの危険性があった赤の王を剣が落ちる寸前に殺した。

私は忘れない。あの人が帰ってきた時にその綺麗な手を赤く染めていた事を。赤の王を殺した直後だったのに、その後の学園島や交通機関、御前への報告等を冷静に且つ迅速に対応していた姿を。

(いや、人に頼らないという訳では無いか)

長い廊下を歩きながらそう思った。あの人は人に頼らないのではなく、人に頼る前に自分一人で出来てしまうのだ。

あの若さで青の王となり、セプター4の室長として指揮を執っている上に部下からの信頼も厚い。そういうカリスマ性というか器なのだろう。

恐らく私があの人に寄せている感情はあの人にはバレている。そうでなければこの、目の前の私のデスクに置いてあるパソコンにこんな綺麗な字で「今夜、いつもの場所で」と書かれた付箋が貼ってある筈がない。

(いつもの場所…)

付箋を取り、青の王の臣下でありセプター4の隊員である事を示す真っ青な制服のポケットにしまえば私は仕事を始めた。

仕事を始めてからどれ位経ったのだろうか。自分達の仕事を終えて帰宅していく他の隊員達には気づかなかった様でパソコンの電源を落とした頃には部屋には誰も居らず、私のデスクに缶コーヒーとあんこがそれぞれ一つずつとあの人には及ばないがそこそこ綺麗な字で「差し入れよ、お疲れ様」と書かれたメモが置いてあった。

あんこは見ない様に缶コーヒーを取りプルタブを開け乾いた喉に流し込む。苦い味がむしろ私の疲れを癒した。

ふと窓の外を見れば空は暗く、星が見え始めていた。窓を眺めたまま、私はもう一口だけ缶コーヒーを飲んで制服の懐からタンマツを取り出しメールをチェックする。

メールは無かった。

あの付箋はただのあの人の悪戯だったのだろうか。あの人は悪趣味な所もあるから、よく同僚達は困っていた。

タンマツを弄っている内に何件か着信があったのに気付いた。

着信履歴を開けばそこには殆ど同じ人物の名前。室長とあんこを置いた彼女の名前、後は舌打ちがデフォな後輩しか無い。

今日の日付にはその三人内の一人が全てかけていた。

『宗像礼司』

その名前を見ればまた心臓の鼓動が速くなるのを感じた。それと同時の速さで私はあの場所に向かう為に帰りの支度を始め、門へと走った。

(もういないかな…)

最後の着信は二時間前。これ程の時間が経っていたら居る確率は低いと思った。

でも、その人はそこに居た。

あの場所と書いておいた癖に門に寄りかかって人目がないのを良い事に優雅に煙草を吸っている。

安心からかはたまた呆れからか、私は溜息を吐いて私服姿の相手に近づいた。

「何しているんですか、あなたは。風邪引きますよ」

そう言えば彼はくつくつと笑って私に言う。

「生憎、私は風邪とは無縁なのですよ」

「そうですか」

煙を吐き出した彼はいつもの凜とした彼ではなく、少し気怠げなただのまだ二十代の男であった。

「さて、これだけ待たされたんだ。何か用意はしてあるんだろう?」

素の喋り方で話されれば、元々の色気もあってどきりとする。

「誰かさんが仕事を多めに出したせいでそれどころでは無かったですね」

「そうだっかな」

意地の悪い笑みを浮かべる彼は私の顔のギリギリまで自分の顔を近づける。そうなると体も自然と近くなる訳だが、彼のこの距離感は今始まった事ではないので生憎どきりとはこなかった。

反応の薄い私を見ればつまらなそうな声で喋りながら私の頬を撫でる。

「ふむ…。流石にこう何回もやっていれば慣れてしまうのか」

「残念ですね」

そう言うと彼は重々しく頷き仕事の時の喋り方になった。

「えぇ、とても。君の普段の反応は飽きる事がありませんからね。伏見君をからかうよりもずっと楽しいです」

「悪趣味な上司ですね」

この人は知っている。いずれ、自分の剣も落ちる事を。

そうなった時、私はどうするのだろうか。誰かが手を下すのをただ見ているのだろうか、それとも私が…。

「俺はこれでも頼っているんだ」

「え?」

また砕けた喋り方で彼は真剣な顔で続ける。

「お前はそのままでいい。いつも俺を見て、悩んだり、喜んだりしていればいい」

「人がストーカーみたいな言い方やめません?」

「それでいいんだよ」

一応、釘をさすも彼は少し悲しげに微笑むだけだ。

「私はずっと貴方が好きです、きっと、これからも。そして、嫌いです」

王である限り、彼は孤独だ。私はただの臣下、私は赤の王の様に孤独を分かち合えない。だから、そんな自分が嫌だ。彼が王じゃなければ、とよく思う。

ふと目の前が滲む。それを隠す様に私は彼を抱き締めながら言う。

「私は貴方が王で良かったなんて思った事は一度も無いの」

「知っている」

私はこれから先もずっと宗像礼司に好意を寄せ憎むだろう。

いつだったか、彼にそう言えば笑って「それも一種の愛の形だろう」と私にキスをした。

顔を上げ少し背伸びをして私は彼に口付けをした。一瞬だけ重なる唇と彼のかけている眼鏡が鼻に当たるのを感じれば私はすぐに彼から少し距離を取った。

「貴方が死ぬその時まで…いえ、その後も私は貴方の臣下です」

彼は微笑むと私の手を取り歩き出した。

私と彼の関係はとても曖昧で、しかし、明確で。互いに恋人に近い存在だが王とその臣下という主従関係の方がしっくりくる様な時もあって。

こうして二人で歩けるのはこれからも少ないだろう。

私は彼を愛している。口にした事は無いし、口にするつもりもない。

彼は私が好意を寄せているのには気づいている。さて、宗像礼司は私が宗像礼司という人間を愛している事には気づいているのだろうか。

「先程、キスをした時に願いを込めたんです」

「どんな願いを?」

「仕事、減るようにって」

隣を見れば不服そうな顔をした彼がいる。私はそれを見て笑う。

今はまだこれで良いのだ。

でも、いつか。私が彼に「愛している」と告げる時が来たならば。それはそれで良いだろう。

いつか。彼が私の前から居なくなっても、それはそれで良いだろう。

今はただ、夜空の下を二人で歩いて、私達はいつもの場所なんていう知らない場所に行くのだ。

それもまた、一つの愛の形で、愛し方なのだ。こんな関係の私達はそれで幸せである。

「俺はお前を信じてるよ」

「信じてくれないと守れません」

王と臣下としては信頼している。ただの一人の人間として頼られても悪い気はしない、が。

「普通に信じてくれてもいいのに」

「さぁ、どうだろうか」

私がもう一度、キスをすれば彼は怪しく笑う。

これから先もこうしていれたらいい。どちらともなく、私達は微笑んだ。

Ash.