放課後の屋上に行ってみたら、案の定坂田先生が呑気に煙草をふかしていた。真っ白な白衣が風に靡いてばさばさと揺れている。後ろからそっと近付いてその左ポケットからくすねてみたのは、手のひらサイズの白い箱。シンプルな『CASTER』の文字。

「あっ、こら」
「先生ってとことん甘い物好きだね。これバニラの煙草でしょ」
「おめーなんでそんなこと知ってんだ…さては吸ったことあんな?」
「ないない。知ってるだけ」

納得していないといった表情で私の手から煙草ケースを取った坂田先生は、煙が私に向かないよう少し顔を背けて吸った。それでも微かに届く甘い香りに何だかどきどきする。

「ねぇ、一本吸ってみたい」
「だァめ。そーゆーのはちゃんと成人してからにしろ」
「とか言って先生絶対学生の時から吸ってたでしょ」
「…………」
「図星じゃん!」

ぱしっと軽く腕を叩いてみると、意外にも白衣の下の逞しい筋肉がわかる。甘い物ばかり食べているのにこの体型維持はどういうことなんだろう。私は毎回泣く思いでデザートを我慢してるっていうのにな。世の中って不公平。坂田先生は私のそんな恨ましげな顔も知らずにぼんやりと煙草を呑む。手を伸ばせばすぐに届くものなのに、学生の私にとってはどうしたって遠い。その距離が私と坂田先生との距離でもあるような気がした。坂田先生が煙草を吸ってなかったら、こんな気持ちにもならなかったのかな。ふわふわと揺れる白い髪は綿飴のようで、今にも風に千切れて空へ飛んでいきそう。そうなったらきっと面白い。千切れた白いふわふわはきっと甘い味がする。空想めいたことを考えながら、私は坂田先生の隣でまた微かなバニラの匂いを嗅いだ。

「坂田先生」
「んー」
「好きって言ったらどうする?」
「なにが?」
「……………た、たばこ」
「生徒指導の先生にチクる」

模範解答のような返事に思わず黙り込む。授業中ジャンプ読んでるくせに、変なとこで先生らしくするから怯んでしまう。だから、本当は先生が好きなのに、隙を見せない横顔のせいで嘘をついた。あと数ヵ月もすれば卒業して、ここの生徒じゃなくなる。そしたら今度こそ正直に言えるのかな。言った後どうなるかなんて大体予想がついてしまうけど、伝えるだけならバチ当たらないんじゃないかな。だって今まで、先生に嫌われないように結構頑張ったし。苦手な国語も必死で勉強して、非行もせずに真面目に学生生活を送ってきた。最後の最後にちょっと報われたっていいよね。


淡い期待を抱いているうちに時間は過ぎて、私は高校を卒業した。肌寒さの残る校舎にはまだ桜も咲かないけれど、卒業式を終えた学生達で華やかに賑わっている。その群れを抜けて私は一人屋上へ向かった。きっと最後になるとわかっていた。相変わらず風の強いフェンスの側には綿飴と白衣。

「先生、みんな集合写真撮ってるよ」
「あー、いいよ俺は」
「とか言って、本当は寂しいんじゃないの」
「んなわけねぇだろ、喧しいのがいなくなって清々すらぁ」

吐き出した煙は漂うことなく風に流されていく。淡いバニラの香りと、気怠げな眼差し。いつもと何も変わらないのに、卒業証書を手にした今日は何だかやけに遠く感じた。切ないってたぶん、こういう気持ちなんだろうな。

「ねぇ、先生」
「ん」
「先生の煙草、どんな味か知りたい」
「………」
「最後じゃん、我儘くらい聞いてよ」
「ばァか」

そう言ったわりに、坂田先生はくしゃりと笑って、泣きべそをかく私に小さくキスをした。ほんのちょっと触れた唇の感触と、バニラに隠れた先生の匂い。それは風に紛れることなく確かに残った。

「みょうじ。最後って、さみしいこと言うなよ」

瞬きをして涙を飛ばす私の横で、坂田先生は柔らかく微笑む。清々するだなんて言ってたくせに。私は熱くなった頬を両手で冷ましながら、この先生は本当に油断ならないのだ、と胸の中で呟いた。


Ash.