そーらをとぶ まーちがとぶ
くもーをつきぬけほしになる

「ご機嫌なのはいいけど、ここは宮城だぞ」
「やだ大地さんこの曲知ってるんですか」
「まあな」
「……。まだ若いのに…」
「みょうじの方が年下だろ」
 あ、そうでしたね。…そうだった! はっとした顔をしてみょうじは繰り返す。この後輩はあんまり考えずに喋るので、こういうことはよくあった。焦ったように口を手で覆う。そんなふうにしても出ていった言葉は戻ってこないぞ、と大地が言う。笑い合うふたりを眺める、俺。
 振り返るのはみょうじではなくて大地だ。
「スガ?ちゃんとついてきてるか?」
「ん、おー」
「孝支さん体調悪いんですか?」
「いや、考え事してただけ」
 そう、たとえば空飛んで街飛んで雲突きぬけて星になって、『ここは宮城だぞ』? の意味とか。
 考えながら、すこし歩調を速めてみょうじの横に並んだ。大地と俺に挟まれたみょうじの足取りが途端に鈍くなるのを「別に車通りすくないし、横並びで歩いてもいいと思う」と引き留めた。でもそうしたら大地さんが車道にでちゃう。食い下がるみょうじを半ば無理矢理そこに落ち着かせる。淡いグリーンのセーターが良く似合っていた。「サマーニットって言うんですよ」。意趣返しのように言われた。
「清水の風邪、大丈夫かな」
「潔子先輩はたいしたことないから心配しないでって言ってましたけど…。ここのところハードだったから疲れちゃったのかも。東京合宿までに良くなるといいですね」
 東京。
「みょうじも気をつけろよ」
「はーい。じゃあ買い出しもぱぱっと終わらせましょ」
「まずはドラッグストアか」
「テーピングテープとアイシングのスプレーがちょっと、補充しとかないと」
「他校から借りられないもんなー」
 今日はみょうじのうなじばかりを見せられている。意識がなかなか俺に向かない。ジリジリ、焦げそうなほど熱されたコンクリートだけが優しい。


「スガ、今日ちょっと顔がこわいぞ」
「え」
「こーんなになってる」
 目尻を外に向けてひっぱって見せられるとずいぶん可笑しい顔だった。思わず笑うと、大地もニッと笑う。肩越しに見えたみょうじは会計のためレジに並んでいた。
 なんだっけ、サマーニット? やっぱり似合っている。あの色、ペパーミントグリーンって言うらしい。大地はまるで俺よりもずいぶんみょうじのことをわかっているように言った。ペパーミント、グリーン。呟いてみたけど口がいまいち馴染まない。ズボンの白色とよく映えて可愛いよ。そうだな。大地が同調してくるのはかまわなかった。「ズボンじゃなくて、パンツって言うらしい。ホワイトのロールアップパンツ」。大地ならかまわなかったんだけどなあ。
「みょうじはスガのお気に入りだろ」
「そりゃ最初に出会ってバレー部にさらってきたのは俺ですしー?本当、あんなに立派にマネージャーやってくれて父親としては涙がでそう」
「今日なんて清水もいないから、てっきり『みょうじみょうじ、なあみょうじ』って構いにいくかと思ってたんだが」
「難しい年頃の娘にそんなことしたら『パパなんて嫌い!』ってなるんだべ。大地知ってた?」
「今さらお前にそんなこと言われてもなあ…」
 大地が濁した部分があまりにも雄弁なので俺は押し黙ってしまう。イマサラオマエニソンナコトイワレテモ。
 俺はみょうじのことを気に入っていた。田中や西谷はもちろん縁下からも「同学年で一番のザ・高嶺の花」と言われた彼女が俺のことを親しい先輩として慕ってくれたから、それはもうかわいがった。たまに清水も心配するくらい、それはもう。
「お待たせしましたー」
「お、おかえり。会計任せて悪かった。ドリンクの粉末は買ってないのか?」
「それは学校通して買ったほうが安いので、武田先生に注文お願いしてます。たぶん週明けの練習には間に合うと思いますよ」
「おぉ、さすがマネージャー」
「全部潔子先輩から教わったことですよ。部費は大切に使わなきゃ」
「助かるよ」
 いいえ、そんな。謙遜するみょうじが詰め終えたレジ袋を、何か言われる前に持った。ガサガサ。白の濃いレジ袋は派手に音をたてる。奪い取るようになってしまった。こんなはずではなかったと、どこに向けてでもないことを考える。ちらり、複雑な色をした視線がとんでくる。
 次どこだっけ。大地が訊く。次は、商店街の…。烏野高校の運動部が贔屓にしている店の名前は、売り場のBGMの緩急に雑じってひどく無機質にきこえた。俺の耳がおかしいのかわからない。俺の耳がおかしいのであれば、それでいい。


そーらをとぶ まーちがとぶ
くもーをつきぬけほしになる

「そういえば、音駒の主将と付き合ってるって?」
 最後の店からの帰り道、両手に荷物を提げた大地が訊ねる。途端に、俺と大地の間を歩くみょうじはすこし嫌そうな顔をした。ええー…、どこ情報ですか、それ。どこからって、黒尾からだけど。みょうじは絶望だと言わんばかりに小さく唸った。
 「そうです」とは、ついに言わなかった。もう片方の本人からきいたと言っているのに、それでも頑なにイエスと言わない。ただし、ちがうとも言わなかった。素直な後輩。大地は彼女をいじらしいと思っているのか、あまり深く追求せずにただ笑って見逃すようだった。
「それじゃあ、この分は今度の部活のときに持ってくから」
「頼んだ大地ー。また月曜日な」
「おつかれさまでした」
 去っていく大地を見送る。背中が大きい。みょうじがひらひらと降った手はだんだんゆっくりになって、とまった。俺のことを振り向く。
「孝支さん、」
 夕日のオレンジを背景にとびきりきれいに微笑む。
「帰りましょ」
 女子って、これだけで卑怯だ。
 舌打ちをしたくなるような、叫びだしたくなるような、泣きたくなるような。雨。そうだ、スコールのようだ。急に激しく降って湧いた整理のつかない感情をころして「おー」とだけ返す。
 ふたり、白線にきっちりおさまって歩いた。ペパーミントグリーンなんて得体の知れない色より、オレンジのほうがずっとみょうじに似合うよ。本当は優劣なんてそこにはないのにわざわざそんなことを思った。思わず手で口を覆う。俺はみょうじよりもみょうじのことをよくわかってるとでも言いたかったのだろうかと、消えてしまった考えを追いかけそうで、おそろしい。
「…今日は、あんまり、…孝支さんとおしゃべりできませんでしたね」
「…うん、そうかも」
「…ざんねんです」
「……」
「孝支さん」
 頼りなげにみょうじが俺を呼ぶ。返事をしていいのか、わからない。隣の彼女も、これ以上話していいものか悩んでいるようだった。
 俺は、白線からすこしはみ出した。
 それにひっぱられるように、みょうじはそっぽをむいたままぽつりと、
「彼氏ができたら、だめでしたか?」
 と言った。
 何言ってんだよ、べつにそんなこと気にしないべ。
 返す言葉が、自分の心をすこしも掠らずにとんでいくのがわかる。そうしてやっと、これが本心じゃないことに気づく。気にしている。たまらないほど、気にしている。
 だって、そうだろう。俺が一番最初に出会って、それはもちろんバレー部の中でということだったけど、マネージャーに勧誘して、みょうじは初めてのマネージャー業をしっかりこなしてくれて、でもそれもこれも俺が一番最初で、1年とすこし、つらいこともたくさん一緒に乗り越えてきて、これからますますって、そういうときに、後出しみたいに、さ。
 俺にはみょうじがなにを考えているのかわからなかった。見当もつかなかった。黒尾のこと、どれくらい好きなんだ。どこが好きなんだ。東京にいるような、毎日は絶対に会えないやつのどこがいいんだ。頭のなかで精一杯抑えている言葉がことごとくみょうじを責め立てるものになっていることに気づいてほとほと呆れてしまう。泥沼だ、とも思った。
 こんなはずではなかったんだと言ったら、信じてくれるだろうか。
「…本当に、気にしてない」
 やっと出た言葉はそれきりだった。念押しみたいに言っては嘘だと言っているようなものじゃないかとすこし失望した。でもその言葉の証拠として白線の内側にもどった。
「合宿、たのしみだな」
 しばらくして、みょうじは小さな声で「やさしいですね」と返してくれた。それだけで胸がいっぱいになる。そういうみょうじが一番やさしいのに。
 それから家に送り届けるまでの間は、今までどおり親しい先輩と後輩としてたくさん話をした。田中がこの間の体育ですごく面白かったんですよ。それなら旭も…。たくさん笑って、「みょうじみょうじ、なあみょうじ」とかふざけてもみた。恋人でないとできないような会話は、やっぱりできないけれど。

 ねえみょうじ、好きだよ。
 空飛んで街も飛んで、それでもいいから、俺のそばで笑ってよ。


Ash.