※最終巻ネタバレ
またね、と当たり前のように続く関係を示唆した言葉を投げ掛けられ、ぎこちなく慣れない声で、また、と返した唇の端がむずむずとした。
当たり前に続く日常。
そこに含まれる不特定多数の一員になれた、と言えばいいのか、戻れた、と言えばいいのか。とにかく、久しく自分の中になかった感覚を受け入れることに難儀していた。
「……面倒だったのに」
あんなに周囲の騒動に巻き込またくなかったのに、今ではそれに慣れてしまっているなんて不思議な感覚だ。
それは相変わらず面倒で煩わしくなることもあるけれど、胸があたたかくなるのも事実。
いっぱい間違って、色んな人を傷つけて、苦しめて、投げ出したくて、それなのに、逃げられなくて。そうやって足掻いたからこそある感情だと思う。
手のひらの古傷が僅かに疼く。けど、それは嫌なものじゃない。
宵風がこの世界に存在して、息づいていた証明だ。僕は何も忘れていないし、もう何かを無かったことには出来ないし、その資格も失った。
「あれ、ミハル君だー」
歌うような、特徴的な話し方に教室の入り口へ視線を向ける。予想通り、クラスメイトのみょうじさんがこちらを見ていた。
こんな田舎では目立つ天然らしい金髪が夕日に照らされて赤く染まっている。確かどっかの国とのハーフらしい。
「珍しいねー、ミハル君が残ってるなんて」
「うん、ちょっとね……」
濁すように笑った僕に、ふーん、と納得したのか曖昧な相づちを返して、歩み寄ってくる。
「まだ残る?」
「ううん、そろそろ店の手伝いしに帰らなくちゃ」
「そっか。じゃあ、教室の鍵閉めちゃうからー。出てちょうだい」
「あ、うん。ごめん」
「別に気にしなくていいよー」
急かしている台詞と裏腹に、みょうじさんの口調は間延びしていて、何だか妙に気が抜ける。
彼女は誰相手にもこんな風に自分のペースを乱さずにマイペースに生きている。面倒に巻き込まれた身としては是非とも見習いたいが、彼女の口調を真似すると僕は言葉の途中で寝てしまいそうだ。面倒になって。
自然と連れ添うように教室を出て、鍵を施錠した彼女が「じゃあ、私は職員室に鍵を返してくるからここでー」と手を振る。
「うん、また」
やっぱり何度口にしても慣れない挨拶に、内心で葛藤する僕を見て、あれ、とみょうじさんは不思議そうな顔をした。
「さようなら、じゃないんだー」
「え?」
「前は冷たい感じでそう言ってたじゃない? ちょっと意外でー」
「……そうだっけ」
「うん、休学前はねー。復帰してから何だかちょっと変わったよねー?」
「そうかな」
「うん、何か柔らかくなった。雰囲気とかー、笑い方とかー、色々」
「……そうかもね」
何があったのか知らない人間にもそう見えるのかと思うと、何だか落ち着かない気持ちになる。戻った、と思っているのは僕だけなのかもしれない。
「でも、私は今のミハル君の方が好きだなー」
「ありがとう」
考え過ぎか。
歌うような間延びした声が続けた言葉に即座に考えを改める。
「どう致しましてー。じゃあ、またねー、ミハル君」
「うん」
やっぱり何度向けられても慣れない挨拶にむずむずしながら玄関へ向かう。
窓から見える空が暗がりはじめていた。そろそろ最終下校時間のチャイムがなるかもしれない。
さようなら、なんて、もう会えないような、そこで終わりのような言葉はもう言いたくなかった。
手の傷が疼く。けど、それは幸せなことだ。
宵風は確かにいたんだから、また会えるかもしれない。懐かしい記憶の中で、または、今までおざなりにしていた交流の中で。
Ash.