ひどく懐かしい夢を見た。今は亡き大好きなおばあちゃんの。それはとても幸せな夢だった。
自然と開いた瞳で時計を見ると時刻は午前三時。朝餉の時間までまだ三時間ほどある。とても微妙な時間に目が覚めてしまった事にため息を吐いて、これからどうしようかと悩む。また眠ってしまおうかとも思ったが、あの幸せな夢が消えてしまいそうで嫌だった。
「おや、早起きだな主」
「三日月さん?」
上着を羽織り、物音を立てないように自室から出て庭へとやって来た。肌に触れる風が心地よい。「おや」と突然のんびりとした声が背後から聞こえて振り向けば、そこにはきっちりと戦闘装束を着込んだ三日月さんがいた。彼の私を見る目は何故か熱を孕んでいるような気がして、見つめられるたびに胸が高鳴る。
「三日月さんも早起きなんですね」
「じじい故な、早起きは得意だ」
三日月さんは感情の起伏が激しくない。いつもにこにこと美しい笑みを浮かべ笑っている姿がとても印象的で。そう言えば、三日月さんを顕現して一年が経とうとしているが私は彼が怒ったところを見た事がない。忙しない毎日をゆったりと感じさせる彼のその性格がとても心地良くて、そんな彼の事が私は大好きだった。
「主よ、何か良い事でもあったのか?」
「そうなんです、とても素敵な夢を見ました。話を聞いていただけますか?」
二人で縁側に腰掛ける。二人の距離は近くない。近くに感じる三日月さんの息遣いにドキドキする。一体どこから話そうかと考えているのが伝わったのか「焦らなくてもいい」と三日月さんは笑った。その悔しいほどまでの美しさに聞いてほしい話とは全く違う言葉が出た。
「三日月さんはいつの時代もとても美しい」
少し驚いた顔をした三日月さんだったが、すぐに優しい表情に戻る。「いつの時代も」と言った私に三日月さんは言った。「はて、いつの時代に会っただろうか」と。それから「主のように麗しい娘は忘れるはずがないのにな」と茶目っ気たっぷりに微笑んで。
「一度だけ、三日月さんに会った事があるんです。…昔、博物館で展示されているあなたに」
「ほう」
「審神者になる前の事で、本当にずっと昔の事なんですけどね」
不思議そうに首を傾げただけだというのにどこまでも無駄なく美しい。ぼんやりと三日月さんを見つめていると、彼はその話の続きをと急かす。その顔に見惚れているわけにはいかない。でもどうしてか私を見るその目に熱を感じてしまう。
「おばあちゃんと一緒に行ったんです。おばあちゃんの思い出の場所だと、そう聞かされて」
「思い出の場所、か。なるほど」
興味深そうに彼は何度も頷く。まだ夜明けまでは程遠い薄暗がりの中で、三日月の浮かぶ彼の瞳がダイアモンドのようにキラリと光った。その目は何かを懐かしんでいるようにも見える。ゆったりと目を閉じた彼が呟いた「俺にとっては昨日の事のようなのにな」という言葉は、静かな水面に一滴の水が落ちるように虚しく静かに反響した。
あっ、と息を漏らしたのは、目を閉じていたはずの三日月さんがいつの間にか真っ直ぐに私を見つめていたからだ。三日月さんが少しだけ、座っていた位置から私の方へと距離を詰めた。腕を伸ばし、私の髪に触れた三日月さんに、どうしてだろう。おじいちゃんは二番目なんだよ、と笑った祖父のくしゃくしゃの笑顔が浮かんだ。
「ははは、主よ、実はな俺は覚えているのだ」
「え?」
「今までに何万と人の子を見てきたが、そなたの祖母はそれはそれは印象深いおなごであった」
「…おばあちゃんを知っているの?」
「ああ、知っているとも。なにせ彼女は俺が初めて言葉を交わした人の子よ」
三日月さんがその美しい瞳を細めて笑う。その美しさたるや。だが今は先ほどと同じように見惚れているわけにはいかない。今、三日月さんは何と言った?私の祖母が、初めて言葉を交わした人の子?
「彼女には…そうさなあ、主と同じように神を降ろす、そう審神者のような力があったのだろう」
「審神者の、力」
「孫娘であるそなたが審神者の力を持っているのだ、彼女が同じような力を持っていたとして何の不思議もないであろう?」
三日月さんの言葉が、私の頭の中でパズルのように繋がっていく。審神者のような力。初めて言葉を交わした人の子。おばあちゃんの思い出の場所。おじいちゃんは二番目。あまりに上手く噛み合うワードが更に頭を混乱させる。そしてそれを確信付けるようにどことなく甘さを含んだ三日月さんの声色が私を追い詰めた。まだ少し冷える夜風だけが私の味方をしてくれる。
「もう少し早く刀剣男士という存在が、…いや、なんでもない。じじいの戯言だ、忘れてくれ」
恋をしていたのだろうか。今もまだ、恋をしているのだろうか。
私を見る三日月さんの目が熱っぽく感じられたのは、私の思い込みなんかじゃなかった。そうだったらいいのにって胸をときめかせた夜に意味はなかった。「なまえちゃんは私に本当によく似てるねぇ」嬉しかった祖母の言葉が緩やかな棘となり私の胸を締め上げる。
「ああ、愛おしい我が主よ。なぜ涙するのだ」
ついに夜風にまで見放されたようだ。暗がりの中、うっすらと浮かぶ雫を三日月さんに気付かれる事なく乾かしていた夜風は止んでしまった。彼はぽろぽろと零れる私の雫を白く長い指先で掬い取る。三日月さんの醸し出すセンチメンタルな雰囲気がどうしようもなく私の恋心を抉った。きっと私にとってはもう既に過去の人でも、三日月さんにとってはまだ過去の人ではないのだろう。
「すまんな、俺のせいか」
酷いと叫べばいい?最低だと罵れば私の淡い恋心はなかった事にできる?そんな事できるわけない。
刀に恋するなんて変なおばあちゃん、人間に恋するなんて変な刀。心でいくら罵倒してみてもどちらも嫌いになれるはずがないから。どこにも行けないこの恋心はどうしたらいい。誰に尋ねてみてもきっと答えは見つからないだろう。
「ねえ三日月さん、おばあちゃんの事、好きだった?」
例えば嫌いだと笑って馬鹿にできるような人だったら。こんなにも苦しくはなかったのかな。情けなくも震えた声に、三日月さんは何と答えてくれるだろう。涙する私に一瞬だけ見せた三日月さんの申し訳なさそうな顔が、こびりついて離れてはくれない。
「…さあな。じじい故昔の事はよく覚えておらんのだ」
何かを懐かしむように細められた瞳が答えだった。なんて狡い人なんだろう。私の事を熱を帯びた目で見つめるくせに。表情はいつだって愛おしいとそう訴えているのに。知りたくなかった。三日月さんが愛おしそうに思い出すその人は、冗談でも嘘でも嫌いだと言えない人だから。私だって大好きで大切な人だから。二番目でいいよ、私におばあちゃんを重ねててもいいよ、だから私を好きになってよ、私を選んでよ、だなんて。大好きな人の思いを踏み躙るような事、簡単に言えるはずがないんだ。
Ash.