「ああ、ーーさん? 気さくで楽しい人だったわねえ。お店に来ると、いつも面白い話してくれて。お客さんも勿論だったけど、お店の子にも凄く人気だったのよ。他のお客さん差し置いて、あの人はまだなの、次はいつ来るの、って騒がしくなっちゃってねえ。あーあ、また来て欲しいわあ。……え? 嘘、そんな、ほんとなの? まあ、それは……、なんていうか、ええと……、ごめんなさい、言葉が出ないわ。お気の毒に……」
「××? ああ、あいつならよく来てたよ。お嬢さん、あいつの知り合いなの? あの男、何考えてるかほんと分かんない奴だったよなあ。いつも無表情で愛想ないし、なにか話しかけてもにこりともしない。気味の悪い男だったよ、本当に……え? あいつそんなことになってたのかい? あらあら、人生良く分かんないもんだねェ」
「○○さんにはえらく苦労させられました……、直ぐ感情的になるし、怒ると手が付けられないし、滅茶苦茶上から目線だし……。正直、あんまり関わり合いになりたくない人でした。でも、仕事だから仕方ないと思って……、あー、噂には聞いてたんですけど、本当なんですね、その話。次の担当さんてあなたなんですか? あは、ラッキー。……あ、すみません、不謹慎でしたよね。こんな言い方。申し訳ない」
「私ね、△△さんみたいに良い人、もう絶対出会えないと思ってるの。穏やかで優しくて、怒ったとこなんて全然見たことなかった……。私の周りは乱暴で粗雑な男しか居なかったから、あっ世の中こういう人もいるんだーって、すごくほっとしたの覚えてる。食事をご馳走してくれたり、私が客の男に乱暴されてるとこ助けてくれたり……え? なに、嘘でしょ。今の話、もう一回言って。……嫌。やだ、どうしてあの人が、……嘘でしょ、ねえ……!」
「▽▽? ……お姉さんも勇気あるね、その名前普通に口に出すなんて。止めときなって、危ないから。え? お姉さん知らないの? ここらで一番ヤバイ奴の名前だよ、それ。人身売買やってるとか、泥参会の幹部と繋がっててクスリ横流ししてるとか、どれが嘘なのか分かんないってレベルで腐ったことしてる男らしいからさ。俺も業務的なやり取りしかしたこと無いけど、あの眼は危なかったね。人を人とも思ってない目付きだったよ、あれは。……へー、あいつ死んだんだ。……まあなんていうか、あれだね。俺が言うのもなんだけど、業ってやつ? やっぱり悪い奴には制裁が下るんだなあ」
*
彼の墓の前まで来て、私はひとつ溜息を吐いた。身体の酸素をすべて出し切ってしまいたくなるくらい、なんだか今この身は生を拒んでいる気がする。
彼が子飼いにしていた、ネズミの元へ赴いた。潜入捜査をするにあたり、協力者として契約していた一般人だ。一般人といっても、彼がそういう申し合わせをしていたのは街の深部に属するような非合法スレスレの商売をしている人物達で、皆独特の鋭い眼差しを私に向けていた。
墓石の前に膝を付き、上着の内ポケットからそれを取り出す。
私の掌には少し大きいそれは、一発の銃弾を受けて粉々に破片が散っている。もう誰からも連絡を受け取ることはないその端末には、私の本名と連絡先も登録されていた筈だ。
ネズミ達に会う度、分からなくなった。彼らが話すあの人は、各々呼び名も偽ならば様相も異なる。進んで訪ねて行ったのは私の方だが、行く先行く先で何度も頭を殴られたように朦朧として疲弊した。もしかして私は全く違う人物の話をしているんじゃないか、私と相手では想定している人間が相違しているんじゃないか、なんて、ひどくくだらない想定をした。
壊れた携帯を握る。ぴし、と固い音が走るのに、慌てて指先の力を緩めた。いけない。これを粉々にしてはいけない。これを失ったら、なんだか彼が姿を消したのが決定的になってしまう気がした。
ねえ、先輩。私が見ていたあなたは、ほんとうにあなただったんでしょうか。
対する他人ごとに違う人物の皮を被るという、潜入捜査官としては優秀過ぎるその振る舞いが、何故か私にはひどく遠いもののように思えた。記憶の中で、彼の笑顔が烟る。声が、消えていく。
まるで、私に良くしてくれたあのひとの過去の仕草が、すべて崩れて嘘になるような。
真実のあのひとは、一体何処に居たのだろう。
『みょうじ』
太陽を背負って、広げた笑みで私を振り返る彼の姿が、陽炎のように浮かんで揺らぐ。
物言わぬ墓石を見据え、唇を噛んだ。
先輩、先輩、……先輩。
どうして居なくなっちゃったんですか。どうして、あなたが死ななくちゃいけなかったんですか。
憎らしい、虚しい、口惜しい。人伝ての面影すら遺してくれないあの人が、今はただただ恨めしくてならなかった。
どうせなら、と考えた。他になにも要らない。他になにも要らないから、どうか私も、そっち側へ連れて行ってくれませんか。
焦げ付きそうな温度で願う。足元の枯葉がかさり、と微かな音を立てるのを聞いた。
黒灰は当然応えを返してくれるわけもなく、ただひそりと無言を貫いている。
Ash.