さあさあと、雨の降る音で目が覚めた。
ぼんやりと定まらない周囲の輪郭は、何度かまばたきをすると徐々にはっきりしてくる。遮光カーテンから漏れる白い光。テーブルに乱立する空き缶。床に転がって寝息を立てている、サークルの同期や先輩たち。
どうやら、わたしは飲み会の最中にいつの間にか眠ってしまったようだった。投げ出していた手のひらに、固い床の感触がある。どうりで身体中のあちこちが痛いはずだ。
「…今何時だろう」
手探りでスマホを探していたら、背後に手を回したところでぺちりと指先に何かが当たった。何か、というか、確実に人肌の感触である。恐る恐る後ろに顔を向けると、瞼を閉じたままの同期が思った以上の至近距離にいたため固まってしまった。
「………」
「………」
「………せーふ」
「…セーフじゃねーっつの」
「ぎゃ」
「うるさい…」
寝ているのかと思いきや、うっすら目を開けた高尾に思わず悲鳴…を上げそうになったわたしの口を、彼の手がペタリと塞いだ。急に触れた他人の体温は、自分よりもずっと高くて息が苦しい。はなして。モゴモゴと手の下でそう言うと、高尾はくすぐったかったのか小さく笑って手を退けた。
「お前、うるさいんだもん」
「高尾がびっくりさせるからじゃん…」
「なまえが叩いてくるからじゃん」
「たた…?…あー」
そういえば、不可抗力とはいえ手が当たってしまったのだった。ごめんと謝れば、へらりと締まりのない顔をした高尾はいーよと目を細めて笑う。そして、またふっと瞼を閉じて静かになった。…今度こそ本当に寝てしまったんだろうか。そう思いながら彼の顔を眺めていたら、ふいにその唇から掠れた声がこぼれた。
「……んじ」
「ん?」
「いま、なんじ」
「分かんない」
「…おれ今日バイトなんだよ」
「え、何時」
「夜だけど」
「なんだ…」
「だるいわーまじで」
「まあ頑張りたまえ」
「ウザ」
「酷い」
「ぶは、うそうそ…頑張ってきますって」
ひそひそと、周りを起こさないようお互いにだけ聞こえる声量で話す。いつもだったら数メートル先までよく通る高尾の声が、たった数センチ先にいるわたしにだけぽつりぽつりと届くのがなんだか不思議で、特別で、心臓の真ん中をくすぐられたような気持ちになる。
いつの間にか、高尾の瞳はわたしの姿を捉えていた。薄暗い部屋の中、その切れ長の瞳だけが鈍く灰色に光っていた。外の雨の音はいつの間にか激しくなっていたけれど、まるで私たちの周りに薄い膜が張ったように、地面を叩く雨の音は遠く遠く夢の中で聞こえているようだった。
「なあ」
ふいに高尾の声が甘くなって、顔が近づいたと思えば唇を重ねられた。かさついた唇からはあまり体温を感じず、代わりにさっき触れた手のひらの熱さを思い出す。
ピピピ
何度かキスを重ねたところで、ふいに誰かの携帯のアラーム音が鳴り響く。パッと身を引いた高尾はなんだか気まずそうな顔をして「寝るわ」とだけ呟いてごろりとあちらを向いてしまった。周りではうるさい、やら、いまなんじ、なんて声がぽつぽつと上がり始めて、外で降り続く雨の音を掻き消していく。…いや、狸寝入りなのは分かってるんだから起きなよ。人差し指で軽く背中をつついても、高尾はピクリとも動かなかったのでちょっとむかついた。
高尾が言いかけた、なあ、の続きは何だったんだろう。向けられた瞳の奥には、ポーカーフェイスがお得意の彼にはめずらしく欲望が見え透いていて、それがわたしには可愛くてもどかしくて、まんまと絆されてしまったわけだけど。
そのまま背中にすけべと書いたら、「うるさい」と後ろ手で叩いてきた彼の首すじは真っ赤だった。
Ash.