テレビの雑音、煎餅を咀嚼する音、鉛筆が紙を滑る音、そして、シャワーの水音。夜神家の全ての音が、映像とともに流れていた。
 リビングでテレビを見ながら煎餅を食べる、局長の妻、夜神幸子。自室で勉強している夜神月。シャワーを浴びている夜神粧裕。監視初日ということもあって、人の家を覗くことに罪悪感が拭えず、特に、夜神粧裕のような少女の身体を見るのは、女性であるなまえでさえ気が引けた。
 男性なら尚のことだろうと、隣に座る竜崎と夜神を盗み見る。夜神は娘の裸をあまり見ないようにしているようで、視線を少し彷徨わせていた。反対に竜崎は、視線を動かさずモニター全体を見つめているように思えた。
 気づかれないうちに目を戻す。竜崎は完全に捜査の一環として、夜神家を見ているようだった。なまえは、反応を気にした自分を恥じ、姿勢を正してそれぞれのモニターへ目を凝らした。

 それからどのくらい経っただろう。モニターに映る映像は暗くなり、夜神家の人々が就寝したことを伝えている。壁にかけられた時計を確認すると、午前二時を回っていた。

「……みょうじさんも、寝ていいですよ。あとは私が見ます」

 時計を見たことがわかったのか、竜崎はそう静かに言った。夜神は先程仮眠をとると言って、 別室に移動していた。

「いえ、私ももう少し、監視を続けます」

 特に眠くはなく、なまえがそう言うと、竜崎は特に反対せずそうですか、と相槌を返した。
 しんとした部屋の中で、布団の布の擦れる音だけが、時折モニターから聞こえてくる。こうして竜崎と二人きりになるのは初めてで、そう意識すると、少し緊張してしまう。ちらりと隣を見ると、竜崎は先ほどと変わらぬ真剣な表情で、前を見据えていた。その黒い瞳の奥では、何を考えているのだろうか。

「どうしました?」

 瞳が急にこちらを向き、なまえはどきりとしながら答えた。

「いえ、何でも……ただちょっと、竜崎と二人きりだと思ったら、緊張してしまって」

「なぜ、緊張するんです?」

「その、竜崎が世界的な名探偵だということを意識してしまって……」

「……そうですか」

 聞いてきた割に、あまり興味がなさそうだった。竜崎は再びモニターを向く。なまえも同じように前を向いた。映像は変わらず、暗いままだ。

「……私も、緊張してますよ」

 突然の竜崎の言葉に、なまえは戸惑い彼を見た。

「えっ……?」

「みょうじさんがそばにいると思うと、緊張してしまいます」

「そ、それは、何故……?」

「みょうじさんを、女性として意識してるからです」

「!」

「冗談です」

 竜崎はさらりと言って、何もなかったかのようにモニターを見つめている。一瞬でも驚いた自分が馬鹿みたいだ。なまえはむっと唇を尖らせた。

「……残念です、私も竜崎を男性として意識してたのに」

「そうですか、じゃあ両想いですね」

「ふふ、そうですね……なんだか竜崎は、そういうことに無縁のような気がします」

「……失礼ですね」

 緊張もなくなり、思わず前から思っていたことを言ってしまった。すみません、と笑いながら謝り、話を続ける。

「でも食にも、寝ることにも関心なさそうですし、欲があるように見えないんですよね」

 そこがいいんですけど、と言いかけて、やめる。そうした無欲さが、竜崎の得体の知れなさを引き立て、彼の魅力となっているように思えた。竜崎は画面を見つめたまま、感情を見せないいつもの声で言った。

「私も人間ですから、人並みの欲はあります。お腹はすきますし、眠くもなります」

「あ、そうなんですね」

「……もちろん、みょうじさんに触れたい欲もあります」

「ふふ、それは何よりです」

「これは、冗談ではないですよ」

 えっ、と声を上げると同時に、竜崎がこちらを向いた。瞳の奥を探ろうとするが、彼の感情は何もわからなかった。
 相変わらずの無表情で、彼は再び口を開く。何を言われるのだろう。緊張と、少しの期待とともに身構えた。その時だった。

「すまん、少し寝すぎた」

 ドアが開き、夜神が入ってきた。竜崎はくるりと彼を振り向いた。

「……もう少し寝ていてもよかったんですよ」

「いや、どうにも深く眠れなくてな……」

 夜神が竜崎を挟んで、反対の席に座る。竜崎は、何を言おうとしたのだろう。気になり、視線を送るが、彼はもうこちらを向こうとはしなかった。
 そっと息をつき、立ち上がる。眠くはなかったが、一度この場を離れたかった。

「……私、少し寝てきますね」

「はい、おやすみなさい」

「……おやすみなさい」

 飄々と言う竜崎の背中を一瞥し、ドアへと向かう。さっき、彼が言おうとした言葉。それは何だったのだろうか。そして自分は、何を期待したのか。
 未だドキドキしている胸を押さえながら、取手へ手をかける。知ってはいけないことを知ってしまったような、禁断の扉を開けてしまったような。竜崎の手中に落ちてしまった感は否めないが、それでいいと思う自分もいる。開けてしまったら最後、もう引き返せない。これからどうなるのかという不安と緊張、そして一種の興奮が、心の奥底から湧き上がっていた。

Ash.