あの時何が起こったのか、わたしは知らなかったのだ。事の次第を知ったのは、ニュースクーが運んできた新聞だった。その場にわたしは居なかった。

 わたしは白ひげ海賊団の2番隊に所属していた。白ひげ海賊団にいるものの、懸賞金も付かない海賊で、言ってしまえば端くれ中の端くれだった。能力者でもなければ特段強い訳でもないわたしを、親父はどうしてか受け入れて側においてくれた。わたしは親父への感謝の意を示す為に、そして忠誠を誓う為に左手首の裏に親父のシンボルを刻んだ。それを刻んだ当初、真っ先にエースに見せると彼は似合わないと顔を青くして絶叫した。グラララ、と親父は楽しそうに笑った。親父が死んだ今も、それはわたしの左手首の裏でにんまりと笑っている。
 わたしの所属していた2番隊の隊長はエースだった。エースが船にやってきた頃は話すことも、まして近づくことすらなかった。しかし彼が船員たちと打ち解けていくのと同じに、わたしもエースと徐々に話すようになった。はっきり、鮮明に覚えていることは、彼の背中には親父のにんまりした笑みが堂々と入れられていて、わたしはその背にいつも守られてきたことだ。エースは誰よりも強く格好良かった。まだ、忘れられない背中だ。しかし不思議なことにわたしは思い出せないのだ、エースの顔を。


「…エース?」
「…おれだよ、サボ」
「…サボ」
「そう、サボだ。…魘されてたぞ、大丈夫か」

 部屋の外まで聞こえていた、とサボは言いながらわたしの目尻を親指でそっと拭った。ベッドに座ったサボはその手を今度はわたしの頭に乗せた。わたしは何も覚えていなかった。何を見て、泣いていたのかもわからなかった。ただひどく疲れていて、悲しさで胸がいっぱいであることは間違いなかった。

「うるさかったよね、ごめんなさい」
「…エースの夢でも見てたのか?」
「…覚えてないや。ごめん」
「謝るな、気にしてない」

 頭をゆっくり撫で続けるサボの手が心地よくなって、わたしは再び瞼を閉じた。エースの顔を思い出せないの、と囁くとサボの手が僅かに止まった。しかしサボは何も答えず再び頭をゆっくり撫で始めた。次に目が覚めた時は朝だった。サボはもう側にいなかった。


 親父の意向で、乗船している女はみんな船から降ろされた。わたしはひっそり隠れてみんなと同じところで降りなかった。マルコ隊長がそうだろうと思ったと言わんばかりの顔で笑った。それからしばらくして、わたしは親父と話をした。その間も船は止まることなくマリンフォードへ着実に向かっていた。

「なまえ、オメェは降りろ、船長命令だぜ」
「嫌だ。わたしも行く」
「グラララ…。オメェのことだ、まあそう言うだろうたぁ思ってたけどよぉ…」
「エースはうちの隊長だ、うちの隊長を取り返しに行きたい」
「行って、オメェに何ができる?ん?エースに守られてきたオメェに一体何ができる?」

 親父の声はいつもと変わらない。だがたしかにその声には脅す色が含まれていた。ここで怯んではいけないことは十分わかっていた。しかし親である以前に、親父は伝説の大海賊だった。わたしが一瞬怯んだことに気づいた親父がグラララと笑った。

「なまえ、おれはオメェが大事なんだぜ?そりゃあ息子たちも大事だが、娘も同じだけ大事だ。おれはオメェの親父だぜ…エースが捕まってからのオメェの気持ちは痛ぇほどわかってらぁ。安心しろぉ、エースは必ず取り返してもう一度海へ戻ってくる…そんときゃ、またオメェを拾ってやらぁ。どこにいようとなまえはおれの娘だ…すぐに見つけてやるよ」

 親父の言葉に、わたしの目から涙がこぼれ落ちた。この島を過ぎたらマリンフォードだ。どう足掻いてもここで降りなくてはならないとわたしはわかってしまった。わたしは涙を拭くことなく親父に抱きついた。グラララララ。親父はいつも通り笑って、わたしの頭を強すぎるくらいに撫でた。今までありがとう、ずっとありがとうと繰り返して、それからマルコ隊長に連れられて用意されていた小舟に乗り込んだ。ゆっくりと、モビーディック号が離れていく。これが、みんなと会った最後の記憶だ。


「…作戦は以上だ。何か質問はあるか?」

 ハッと我に返ると、サボがちょうど作戦について話し終えたところだった。ところどころぼんやりと覚えているので、恐らく大丈夫だろう。わたしはサボに首を振る。彼は頷いて「それじゃあ、作戦開始だ」と、帽子を被った。

 サボと出会ったのはドレスローザだった。頂上戦争と呼ばれる戦争が終結し、2年が経った。時代は大きく変わり、海は混沌に包まれていた。時代の変化で、いつしかわたしは左手首を包帯で隠してしまうようになっていた。モビーディック号を離れてからもわたしはひとりで航海を続けていた。たまたま立ち寄ったドレスローザで、すれ違った人が「メラメラの実」と口にしたのを聞いた。慌ててその人を追いかけ詳しく話を聞くと、どうやらこの島を仕切っているドンキホーテ・ドフラミンゴ主催の大会の優勝商品がメラメラの実であることを教えてくれた。わたしはその大会に参加することに決めた。その優勝できる自信はなかったが、それでもやっぱり見ず知らずの人にエースの能力を使用されることは耐え難かった。

 結果は言わずもがな、一回戦での敗退だった。あっさり諦めがつくメンツが集まっているブロックに当たってしまったのだ。このまま結果を知らないで立ち去る勇気もなく、外にあるモニターで決勝を見守る。ルーシー、と呼ばれるその人の動きを見てなぜだかエースを思い出した。全く違う人なのに、どうしてか背筋がざわついた。メラメラの実を手に入れたのはルーシーだった。彼はエースの通り名ともなっている看板技、「火拳」を披露して、その威力により闘技場はガラガラと崩れていった。ルーシーの全てが妙に引っかかって、わたしはルーシーを探すことにした。探している間、ドレスローザはめちゃくちゃになった。ルーシーは見つからなかった。代わりに見てしまったのは大将・藤虎と向き合うサボの姿だった。彼は闘技場と同様火拳を繰り出していた。わたしは彼がルーシーの正体だと気づいた。

「ちょっと聞きたいんだけど」

 この2年で扱いに慣れたナイフを背後から首筋に当てて、彼の動きを止めた。ひっそりとした船着場は、夜ということも相まって誰もいなかった。「なにか?」と、彼は帽子を深く被り直す。

「…火拳のエース」

 その言葉に彼の肩が微かに揺れた。やはり、エースの知り合いのようだ。わたしはそのまま続けた。彼が何者なのか知っておきたかった。

「貴方、火拳のエースとどういう関係?」
「…兄弟だよ、ただの兄弟だ」
「エースからそんな話聞いてない。エースは弟のルフィの話はたくさんしてくれたけど、もう1人の兄弟は死んだって…」

 ボッと突然目の前が燃え上がってわたしは咄嗟に飛び退いた。見上げると、驚いた顔をした彼がこちらを見ていた。

「…エースを知ってるのか?ルフィのことも?」
「知ってるもなにも、エースはうちの隊長だもの」
「…お前、名前は?」
「なまえ。…貴方の本当の名前は?」
「おれはサボ。革命軍の参謀総長だ。…詳しい話がしたいんだが」

 そう言ったサボに連れられて革命軍の船に向かい、結果としてわたしは革命軍に同行することになったのだった。左手首はまだ包帯で覆っている。


「なまえ、ぼんやりするな。命取りだぞ」

 隣を走るサボにコツンと殴られる。作戦の最中にもかかわらずまたぼんやり過去を振り返っていたようだ。昨日見た夢はきっとエースの夢だったに違いない。だからこんなにも思い出すのだ、あの日々のことを。思い出したエースの顔はどれも黒く塗りつぶされたままだ。思い出したくないのだ。これが真実への、僅かな抵抗だった。

「…ごめん」
「昨日の夜から謝ってばっかりだな。謝る前に作戦に集中しろ」
「ごめん」
「…ったく」

 任務はとある国に捕らえられている奴隷たちの解放だった。檻の解放にはコアラとハックが向かっていた。わたしはサボと一緒に敵の撹乱を任されている。こんな姿を親父が見たら一体何と言うのだろう。グラララ!逞しくなりやがってなまえ、とでも言ってくれるだろうか。首を振り意識を集中させる。今は思い出に耽っている場合ではない。銃声と叫び声が響き渡る戦場で、向かってくる敵を躱していると誰かに呼び止められた気がした。思わず立ち止まり振り返るが、後ろには誰もいない。

「なまえ!」

 サボの声にハッとして振り向くと、わたしに向かって刀を振りかざす影があった。防衛するにももう間に合わない。終わったと思った。しかし耳元で誰かが囁く。

「まだだぜ、なまえ。終わっちゃいねェよ」

 炎の匂いがして、後ろをまた見る。そこにはエースがいて、笑っていた。黒く塗りつぶされていたエースの顔を、今はっきり思い出した。エースはいつものように炎を纏ってわたしの前に出た。背中には親父のシンボルがにんまり笑っている。

「火拳!」

 パチパチ、と炎が弾ける音がして、座り込んでいたわたしはゆっくり視線を上げた。目の前にいるのは最近ようやく見慣れた、黒いコートの背中だった。その背中はいつもわたしを守っていたあの逞しい背中と同じだった。サボはゆっくり振り返った。

「…おれは、エースの意志を継ぐ。あいつがやり残したことをおれはやる。この力はその為の力だ。…エースのやり残したことの中には、お前を守ることもあったはずだ。例えエースの顔を思い出すことはできなくても、エースのことは忘れないでくれ。…なまえ、お前はおれが守る!」

 気づかぬうちにわたしは泣いていた。後ろからエースが、もう大丈夫だな、と言ったような気がした。長い、真実への抵抗が終わった。わたしは漸くエースの死を、親父の死を受け入れた。


「あれ、なまえちゃん。手首の包帯は?ケガ、してたんじゃなかった?」

 船室から甲板に出るとさっそくコアラに気づかれた。ゆっくり首を振り、左手首を見せる。コアラは驚いた顔をしたがすぐににっこり笑って、「いい笑顔の刺青だね」と言った。わたしは昼寝をしているサボの元へ向かった。

「…取っちゃった」
「…いいんじゃねェか。せっかく綺麗な手してんのに、そのシンボルは似合わねェけど」
「それ、エースにも言われたなあ」
「…エースの話、聞かせてくれるか?」
「…うん、もういいよ。…あ、その前に、エースの左腕にあった、あの刺青も入れようと思うんだけど、どう思う?」
「…やめとけ、似合わねェよ。絶対エースもそう言う」
「えぇ…。似合わないかなあ…」
「似合わねェだろ、どう考えても」
「ちょっと、それは言い過ぎじゃない?」
「そうか?かわいいなまえが台無しになるのは嫌だから、そう言ってるだけだぞ」
「は?」

 驚くわたしをちらりと見て、サボは側においていた自分の帽子を顔の上に被せた。横から覗く耳は真っ赤だ。

「おれとエースは兄弟だからな、あいつが何考えてたかくらいわかるさ」

 サボはそう言って得意げに笑った。


Ash.