春は別れの季節だという。同時に、出会いの季節だとも。

 桜は咲き、散る。

 私がまだ子どもだった頃、私たちには出会いも別れも関係なかった。ただ必死にその時を生きて、ただ必死に駆け抜けていた。移りゆく季節と共に成長しながら、何も知らない子供の私は、出会いと別れに一喜一憂しながらも『またいつか』という曖昧な言葉だけを信じて、前を向いてひたすらに走っていた。



「あるじ。縁側は気持ちがいいかい?」



 ちょうど遠征から帰ってきた髭切が、報告のために執務室を訪ねてきた。部屋の前で、満開になった桜の木を眺めながら、物思いにふけっている私に穏やかに問いかけた。

──春だもの。いい陽気。

 そう答えながら髭切に隣に座るよう促し、遠征の報告を取りまとめる。新しく入手した資材と、いくつかの戦利品。遠征帰りの刀剣たちを休ませる旨を伝えると、髭切は犬歯が見えるくらいに口を開き、嬉しそうに笑った。



「また遠征に行ってこいと言われたらどうしようかと思っちゃったよ」

「まさか。どうして?」

「この前の、ええと、太陽とやらの鍛刀で資材を溶かしてしまったからね」

「日光のこと? みんなにはたくさん無理をしてもらったし、もう無理をさせたりはしないよ」



 日光一文字という刀が新たに見つかり、私の本丸でも彼を迎えるために多くの資材を溶かしてしまった。戦場で回収することも可能だが、怪我をさせてまで回収するよりは、資材集めついでに買物や探索などをして楽しく回収してほしいと遠征に行かせることが多々あった。資材がなければ手入れも出来ないため、ここ最近は遠征から帰ってきた部隊をすぐに入れ替え、また遠征に行かせるという方針をとっていた。ブラック企業のような方針を取っていたので、いつ文句が出るかと怯えていたが、刀剣男士はまめで律儀なので文句や不平を漏らさず、費やした資材をあっという間に回収してくれた。ブラック企業ならぬブラック本丸だと摘発されないか怯えなければいけなかった二週間前とは大違いである。





 髭切は元よりあまり遠征を好まなかった。個体差というものがあるが、私の髭切は特に遠征を嫌っていた。代わりに近侍の仕事や、出陣、演練には非常に積極的で、自らデスクワーク──近侍として政府から届く書類の整理や、戦績のまとめなど──を希望することさえあった。

 その理由は分からないが、弟の膝丸に世話を焼かれるばかりの役だと思っていた髭切は、案外世話焼きであるということが分かった。私が疲れた素振りを見せれば「休憩にしようか」と声をかけ、書類に頭を悩ませていると「僕も手伝うよ」と助言をし、いつの間にか眠ってしまっていた時には彼の上着が肩にかけられていたこともある。

 戦の時に見せる猛々しい刀としての髭切は、近侍をつとめている間は柔和で穏やかな、人と同等の存在に思えてくる。それでは、遠征に行っている時はどんな感じなのだろう。遠征を好まないからとはいえ、刀剣男士の本分は時間遡行軍の撃退であり、遠征もその一環。嫌がる髭切を遠征部隊の隊長にし、無理に遠征に行かせることも少なくなかった。



「当分の間は近侍として君のそばにいたいなぁ」

「そんなに近侍の仕事が好き? 同田貫や御手杵は大嫌いだって言うけど」

「おや。なら、彼らの番が来たら僕に譲るようにお願いしておくよ。先手必勝だからね」



 ふふ、と優雅に笑う髭切はとても美しい。やはり、彼の存在は神様で、美しい日本刀である。私たち人間とは一線を画した存在なのだな、と改めて思い知らされる。

 だからこそ、触れていたいと思うのもまた事実。憧れがいつしか恋慕に変化する。時と共に幼い憧れは、ちょっぴり大人の世界を知ってしまった恋心に移ろう。

 私は髭切に恋をしている。



 隣に座って遠征先での話をしてくれるのは嬉しいことだけれど、このままでは仕事に差し支えるような気がした。気晴らしに縁側に座っていただけで、本来ならいつものように大量の書類をさばき、戦績や刀剣男士の管理もしなければならなかった。



「髭切、夕餉までに湯浴みをしておいた方がいいと思うよ」

「ええー。僕は疲れていないよ? 今からあるじの手伝いをするのだってへっちゃらさ」

「髭切を酷使させるのは気が引けるもの。また明日、お願いしてもいい?」

「明日だね? 僕は今しかと耳にしたからね。嘘をついたらいけないよ」

「はいはい、分かりました」



 ぷく、と頬をふくらませた髭切と明日の約束を交わすと、彼は嬉しそうに微笑んでから、私に背を向けて大浴場へ向かっていった。

 背伸びをしてから、執務室に入り、いつも通りに執務をこなしていく。夕餉まで二時間ほどある。この調子で行けば、一時間程度で全ての書類をさばき切ることができるはずだ。短刀たちと遊ぶ時間を作れなかったことに申し訳なさを抱きながら、私はその日の仕事を終えた。







「あるじ。僕のお仕事はある?」

「ごめんなさい、髭切。今日は全然ないみたい」

「ありゃ、そうなのかい?」



 翌朝、軽やかな足取りで執務室を訪れた髭切にそう伝えると、彼は少しだけ残念そうな声を出した。



「仕事のない近侍はつまらないでしょ? 今日は自由にしていいから」



 せっかくの楽しみを壊してしまったので、せめて好きなように過ごしてほしいと思っての声掛けだったのだが、髭切は何も言わずに執務室に入ってきて、ごろんとたたみに寝転がった。「ならお昼寝しよう!」名案だ、とでも言いたげな顔で彼は笑った。少しだけ尖った歯が、ちらちらと覗いている。

──仕事がないのに、つまらなくないの?

 てっきり事務仕事が好きだと思っていた私は、仕事がなくても目に見えて落胆もせず、あっけらかんとしている髭切を不思議に思って問いかける。すると、彼は飴色の瞳を何度も瞬かせてから、カラカラと喉を鳴らして笑った。



「ふふ、あはは、君は面白いね」

「どうして笑うの? 私、変なこと言った?」

「君があまりに間抜けなことを言うから拍子抜けしちゃったよ」

「間抜け? ちょっと、それはどういう、」

「僕は事務仕事とやらは嫌いだよ。紙と睨めっこだなんて楽しくないからね」



 瞳に笑い涙を浮かべながら、髭切はぽつりぽつりと話し出す。前かがみになって口を挟もうとすると、彼は細くて白い指で私の口を押さえる。幼い子どもを黙らせる手段だ。

 彼の一挙手一投足は私を子ども扱いしているようでときおり腹が立つ。私は彼を男性として意識しているのに、彼は私を妹のような審神者だと思っているようだ。ちくちく、ずきずき。下腹部がちりちりと痛み始めるが、髭切は私の怒りなど気付くはずもなくゆったりとした口調で話し始める。



「僕が近侍を望むのは君の傍にいたいからだよ。演練が好きなのは、君が傍で見ていてくれるからかな。出陣が好きなのは君にいの一番に戦果を届けられるからで、君が一番に褒めてくれるお仕事だから。逆に遠征は大切なことだとしても、君はあまり褒めてはくれないし、連絡だってできないよね。僕はそれがつまらなくて、遠征は嫌いなんだぁ」



 ぼんやりと間延びした穏やかな声で彼は言う。たたみに寝そべったままの髭切が私を見つめながら、そう語る。彼の口から紡がれた言葉はどれも私の心を満たすには充分で、浅はかな私は髭切と想いを通わせあいたいと思ってしまった。

──髭切のこと、特別に思ってるよ。

 ぱちぱちと目を瞬かせてから、髭切は嬉しそうに目を細め、身体を起こす。飛び込んでおいで、と言わんばかりに彼の腕は大きく広げられ、私はその腕に飛び込んだ。ふわりと春の香りがする。桜と、……柔軟剤のにおい。



「君は人の子だからね、僕たちとは違う。だから、君が生きている間はずーっと傍で見ていたいんだ。だって君は僕の特別な女の子だもの」



 よしよしと子供をあやすような手つきでも、今のそれは恋人にするそれと同じものだ。瞼を閉じて、ゆっくりと髭切の方に重心を落とし、とくとくと小さく脈打つ左胸に耳を当てる。彼は付喪神で、私たち人間とは違う存在であるけれど、こうやって心臓が脈打つのも、恋をするのも、人間と何も変わらない。何かを愛おしいと思う気持ちを抱くのなら、それは付喪神も人間も変わらない。



「来世もきっと君を愛すよ」

「今、来世の約束をする? なんだか不謹慎。私まだまだ現役だよ」

「君も僕もいつ死ぬか分かったもんじゃないからね。だから、出来るうちに幸せな約束をしておきたいんだ」

「髭切、」

「今はちょうど春だからね。今世の別れを連想しないで、未来でまた相見えることを考えようよ」



 にこにこ、にこにこ。髭切の笑顔は絶え間ない。

 開け放たれた障子の奥で大きな桜の木が風に吹かれて、わさわさと花弁を散らす。遠くから聞こえてくるのは短刀たちの駆け回る声と、それに付き合う薙刀や太刀の声。戦に出ない時は田舎の風景と何ら変わりない。

 あたたかい空気と、心地よい心臓の音。

 髭切の言う死がいつ訪れるか分からない。それは、刀剣男士も審神者も同じこと。私の采配ひとつで刀剣男士は折れるし、私とて時間遡行軍に襲われたら一溜りもない。来年のことを言えば鬼が笑う、というけれど鬼切丸と呼ばれた髭切ならば、すぱすぱと鬼を斬って私を迎えに来てくれるはず、きっと。


Ash.