その日は静かな夜だった。雲一つない空には真円の月が煌々と輝き、地上に白い光を注いでいる。
一仕事終えたなまえは、気まぐれに夜の街を散策することにした。
こつりこつりとヒールをならし歩く。
時刻は深夜。大抵の人間は眠りにつく時間帯。闇夜を動きまわるのは、裏の世界の人間かなまえのような『仕事』をするモノが主だ。
「…静かすぎるな…」
なまえは首を巡らし、辺りを見回す。いつもは少ないながらも人の気配があるはずなのに、今は一つもない。不穏な空気を感じ、眉をひそめる。
その時大気が震えたのに気づいた。は、とそちらを振り向き、空を見上げた。風にのって届いたのは波乱を伝える匂い。
「…どうやらもう一仕事のようだなあ」
面倒くさそう口調と裏腹に、その表情はどことなく楽しげである。
「さて、行くとしますか」
指をならすと、何処からともなく大鎌が現れた。ふわりと目の前に浮かぶそれになまえが腰掛けると、空へ急上昇した。
「現場へ急行!」
大鎌は空中を滑るように飛んでいった。

その日は、騒々しい夜となった。
バーボンは取引に向かった倉庫で銃撃にあった。奴等の動揺からすると、どうやら横槍が入ったようだ。
銃弾が飛び交う中、なんとか脱出出来ないか機会を伺う。取引は失敗。金は取れなかった。とりあえず事態がある程度落ち着くまで隠れていることにした。
物陰から様子を窺うと、煙る硝煙の向こう、この場にそぐわない、でもある意味ぴったりな人影を見つけた。
闇で染めたような漆黒の長い髪に白い肌。煌めく瞳はアメジスト。怖いほど整った顔立ちが、途切れた煙から垣間見えた。息を飲むほどのその美貌に、降谷は置かれた状況を忘れて見惚れてしまった。
静かに佇むソレはゆっくりと辺りを見回すと、ピタリとバーボンに視線を止めた。いや、僅かにずれている。
髪色と同じ黒いローブを身にまとい、湾曲した白刃がついた得物を肩に担いでいる。あちこちに死体が転がるこの場所に相応しく、死者を彼方へと導く――
「死神…」
ぽつりそう漏らした降谷に、ソレはにたりと不敵な笑みを浮かべて見せた。
これが降谷となまえの出会いだった。

「――誠によくやることよ…」
喫茶ポアロ。降谷の潜入先だ。
その周辺の人物の動向を探るため、『安室透』と名乗って毛利探偵に弟子入りし、事務所の下にあるポアロにアルバイトとして働いている。
なまえはカウンター席の一番奥の席を陣取って降谷の仕事ぶりを眺めていた。整った顔立ちのなまえだが、降谷以外、誰にも見えていないので騒がれることもない。
「――それにしても、あそこまで別人に成りきるとは…」
爽やかな笑顔を浮かべて接客する姿を見て、『降谷零』と真逆な雰囲気にくすくす笑った。
「まぁ、こうして表の人間とふれ合うことは良いことだ。精神面でも、そして、自分のやりたかったことの再確認の為にもな」
すいと横に視線を流す。
「今のあやつには心の支えとなる者たちが出来た。親しい友人を亡くした喪失感は消えはしないが、薄らぎはしただろう」
誰かに言い聞かすようになまえは言葉を紡ぐ。
「過去に囚われてばかりでは何も動かん。そろそろ踏ん切りをつける時だ」
そう言葉をしめると、降谷へ視線を戻した。
「一人の人間に肩入れし過ぎたか…。まぁ、たまにはこれもいいかもな」
降谷とのあれこれを思い浮かべているなまえの表情は柔らかいものだった。

長い準備期間を経て、組織の壊滅作戦が決行された。降谷はバーボンとしてぎりぎりまで組織側に付き、内部から攪乱していった。APTX4869のデータを入手したところで、ジンに見つかり、腹部を銃で撃たれた。そこへ小さな名探偵が姿を現した。時計型麻酔銃をジンに撃ち込み、隙をつくってくれたので、降谷は渾身の右ストレートをジンの鳩尾に叩きこんで意識を刈り取った。直ぐ様に武装を解除し、衣服で拘束する。
「僕は撃たれてしまったので、ジンを抱えることができない。応援を呼んできてもらえないかな?」
降谷は痛みを堪えながら薬のデータを入れたUSBを少年に差し出し頼んだ。
「わかった!死んじゃ駄目だからね!安室さん!」
少年はくるりと踵を返し走り出した。
小さな名探偵を送り出すと、降谷は壁を背にずるずると崩れ落ちた。
「漸くここまでくることが出来た」
腹部の傷口を押さえ、息を吐き出し感慨深く呟く。
「長かった…」
「そうだな。よくやった。ご苦労だったな」
なまえがぽすんと降谷の頭を軽く叩いた。
幾ばくか時間が経った時、降谷は複数の足音が近づいて来るのに気づいた。
「降谷くん!生きているか!?」
「赤井…」
ドアの向こうから姿を見せたのは赤井だった。降谷の意識があるのを確認するとその表情を僅かに緩めた。赤井は直ぐに駆け寄り、ざっと視線を巡らし状態をチェックした。腹部の出血を認めると、自分のジャケットを脱ぎ、患部に巻き付け袖を縛った。
その強さに降谷はぐう、と唸ったが、赤井はそれに頓着せず、肩に腕を回した。
「僕は…怪我人だぞ…。…丁寧に…扱え」
「ふっ、そういえる元気があるなら大丈夫だな。さぁ、ここから出るぞ」
ジンは連れだった捜査員が担ぎ上げた。
瓦礫に足を取られながらも煙が蔓延する通路をなんとか歩き、建物から出ることができた。
降谷たちが外へ出たとたん、轟音と共に建物が崩れ落ちた。
「間一髪だったな」
「ああ」
「……これで終わったんだよな」
「……一先ずは、な」
瓦礫の山と化した組織のあじとを見つめながら降谷と赤井はぽつりぽつりと話した。降谷の横顔は、憑き物が落ちたかのように穏やかなものだった。
「これで区切りはついたか?――スコッチ?」
二人の頭上に浮かぶなまえはちらりと隣に視線を送る。
「あぁ、組織の壊滅も拝めたことだしな。ゼロの周りには毛利探偵や名探偵くん、風見さんたちがいる。それに、お前もいるんだろ?もう彼奴は独りじゃない」
そういうスコッチの表情は晴れ晴れとしていた。幼なじみの降谷が心配で、死んでからずっと憑いていたのだ。なまえと降谷が出会ってから今までのことは側で見ていた。なまえばかり話して狡いと抗議したが、規定違反だから駄目だと取り合ってもらえなかった。お堅い奴だとスコッチは思っていたのだが。
「ここは私の仕事場だからな。…たまに様子を見に行くぐらいはしてやらんではない。……そろそろいくか?」
「素直じゃないなぁ。あっ、最後にゼロに伝言頼めるか?『長く生きて、たくさんの土産話を持ってこっちに来い』ってな」
「…規定違反ではあるが、最後の望みだ、まぁいいだろう、承知した」
駄目もとでお願いしたところ、諾の返事が返ってきた。意外にも柔軟な一面もあるらしい。
なまえはふわりと上昇し、スコッチにも続くように促す。それに頷くと、
「じゃあな、ゼロ」
降谷を乗せた救急車を見送り、なまえの後を追った。
後日、なまえは入院中の降谷にスコッチの言葉を伝えた。何故、側にいたことを教えなかったと降谷に憤慨されたが、規定違反だからなとさらっと流しておいた。
「長生きして、早死にしたことを後悔するぐらい色々話して聞かせてやる。――ヒロの言伝て教えてくれてありがとう」
降谷は嬉しそうに顔を綻ばせた後、丁寧に頭を下げて礼をいった。

桜が満開の季節を迎えた。降谷は国を象徴するこの花が咲く季節が一等好きである。桜を眺めつつ出先から警察庁へ戻る途中で、なまえと出くわした。
「――守りたいものを、欠けることなく守りぬいた。そして、それらがあるべき所に、あるべき形で収まった。これぞ大団円というものではないのか?」
「そうだな」
ふわふわと浮かぶ大鎌に座るなまえと並び、降谷は一緒に視線の先を歩く高校生のカップルを眺めながら頷いた。
組織を壊滅して一年がたった。APTX4869のデータを入手できたことにより、解毒剤も完成した。小さな名探偵は元の高校生に戻り、帝丹高校に復学した。
降谷は今回の潜入捜査により、裏社会に顔が知れ渡ったため、昇進を機に現場を退き、管理職となった。
失ったものはたくさんあった。心折れそうになったことも何度もあった。
それでもなんとか持ちこたえ、ここまでこれたのは、一重に周りの人々の支えのおかげだろう。
「お前にも世話になったな。ありがとう」
降谷は隣を見上げ、視線を合わせるとなまえに礼をいった。
すると、なまえはアメジストの双眼を僅かに見開いた。
「唐突に何をいうかと思えば…。私は何もしていない。側にいただけだ」
ふい、とそっぽを向いた。ほのかに赤らむ頬に、照れいることがわかった。
「それだけでも、僕は随分助けられた」
ふと、過去のとある出来事が浮かび上がった。

長年、組織に公安にと常に気をはり、前を向いて走り続けてきた。降谷は周りからは超人的だといわれているが、やっぱり人間なのだからどうしようもなく落ちる時はある。
自分のやっていることは果たして正しいのか。
自問自答しても答えは出ず、苛立ちもあり、溜まりに溜まったものを―周りの人間に見えないので外に漏れないのをいいことに―なまえに色々ぶちまけてしまった。半狂乱になって叫ぶのをなまえは一言も挟まず黙って聞いていた。全て吐き出して落ち着いたところで、なまえに抱き込まれた。
「今だけ何も考えなくてよい。組織のことも、公安のことも忘れてしまえ」
静かな声が耳元でした。ぽんぽんと背中が叩かれ、興奮していた神経が沈静化しいき、すうっと全身から力が抜けていった。
「ゆっくり休め。疲れを癒してまた走り出せばよい」
柔らかい声音と温い体温が心地よかった。死神も温かいのだなとぼんやりする頭で思い、睡魔に抗うことなく瞼を閉じたのだった。

あの時は色々重なり、精神面がぼろぼろだった。やつ当たるようになまえにぶちまけた後、寝てしまったが、目が覚めた時はすっきりしていた。
なまえのおかげで気持ちを切り換え、任務を滞りなく遂行できたのだ。
「ほんとに感謝しているんだ」
降谷が重ねてそういうと、なまえはわかったからもういうな、と居ごごち悪そうに身じろいだ。
礼をいわれて照れるという可愛らしい反応するなまえにくすりと笑いを漏らし、降谷は再び高校生カップルに目を向ける。
何事かをいった少年に対して、少女は立ち止まり、手を腰にやると、勢いよく何かいい始めた。険悪な雰囲気になるかと思いきや、少年が上手く言いくるめたらしく、少女の顔が赤味をおび、ばしりと少年の背中を叩いた。
「あれは痛そうだ」
なまえは歪む少年の顔を見ながら眉をしかめた。
「彼女は空手の有段者だからな」
「それはそれは。だが、彼女を随分と待たせたのだろう?これしきのことは甘んじて受けてしかるべきだ」
降谷がそう教えると、なまえはふんと鼻をならし、口を尖らせていった。同じ女性として何か思うところがあるようだ。
そんな二人に、一人の少女が駆け寄った。さらに賑やかになったそれを、降谷は目元を緩めて見つめた。
「――正義の為に、己の手を汚してでも、親しい者に恨まれようとも、自分の信念をつらぬく。中々出来ないことよな。お前は曲げずによくここまできたな。たいした奴だ」
何を思ったのか、なまえの口からぽつりと溢された率直な賛辞に、今度は降谷が照れた。
それを受けて降谷は、何てことのないありふれた日常が、いつまでも続いていけるように国を守っていこうと、改めて決意したのだった。

Ash.