カルデアのとある一室。 電子ロックのその先は、どこかしら明るい施設内の対極にいる様な暗澹で、彼女はいつもそこに居る。
ビリーが電気をつけるまで、彼女が灯りを灯す事は無いしビリーが出ていけばこの部屋はすぐ様暗闇に満たされる。彼がスイッチを入れた途端、黒々とした闇たちは壁と壁の継ぎ目だとか家具の下に形を潜め、無機質な白壁や家具たちが露わになった。ビリーはその奥、簡素なパイプベットに沈みリネンで身体をすっぽりと覆った“形”のそばまで寄って、手にしていたトレイをベッドサイドに置いてから“形”に向かって声をかける。
「調子はどうだい?」
彼の声に“形”はもぞもぞと変形して裾から黒い頭を出す。“形”は女の顔をしていた。眩しそうに、眠たそうに瞼を細め、乱れた長い髪に鬱陶しそうに手櫛を通してから、黒々とした瞳で彼を見た。
「レイシフトは終わったの。」
少女のそれでは無い、変声期前の少年の様な張りのある声音で彼に問う。面倒臭そうな寝起きの声は、少し乾きざらついていた。
「何の問題もなく。魔力を使って疲れただろ?食事、持ってきたから食べなよ。」
女はひとつ大きく欠伸をしてから、包まれていたリネンを剥がして生白い足をベッドサイドから冷たい床に下ろして、トレーの上でLED照明を反射する水の注がれたグラスを手に取り一気に煽る。下着の上にカーディガンを羽織った格好をしている彼女は、就寝中に何か問題が起きて誰かに起こされる可能性など微塵も考えてはいないのだろうと、ビリーはその姿を見る度に思う。
「今日は…豚肉?私、豚肉嫌い。」
「知ってるよ。君は豚も牛も鳥も魚も野菜も嫌いだろ。君の好きなもので料理を作ったら出来上がるのは食事じゃ無いだろうさ。」
「なにそれ。意地悪ばっかり。」
「意地悪は君の方だよ。一仕事終えて帰ってきた僕に何か言う事があるんじゃ無いの?」
フォークを手に取り、豚肉のトマト煮込みを突いて嫌忌の表情をする彼女はその言葉にゆっくりと顔を上げ、自分を見つめる彼に向かって気怠げに「おかえり」とだけ言ってまた豚肉を虐め始めた。こんなのは何時もの事なのだ。
数年前、彼女は一介の医療スタッフとして従事していた。あの事件でマスターとしての人材が枯渇し、その後に魔力量を見込まれマスター適正があると判断されたのだが、結局彼女が正規のマスターになる事は無かった。
当初からマスターとして雇用されなかった理由が「彼女にレイシフト適性が全く無かった」であったからだ。それは後に備わる素養では無い。彼女はレイシフトしないマスターであり、召喚したサーヴァントの支配権はレイシフトが可能な藤丸立香に移される。彼女はマスターでありながら令呪を持たない、謂わば生きた魔力タンクと言える存在になった。
そうなる前から特に社交的な性格では無かった彼女だが、魔力供給のみを行う身となってからは卑屈さに拍車が掛かり、必要に駆られない限り部屋に閉じこもる様になってしまった。
ビリーは彼女の4番目のサーヴァントだ。最初はアサシン カーミラ、2番目はセイバー ガウェイン、3番目がキャスター 諸葛孔明、ついで召喚されたのが彼だった。上記の成果から分かるように、彼女は魔力は質が良く特異で、縁を持つ藤丸に触れるだけで直接の縁や触媒が無くとも強力なサーヴァントを高い確率で引き当てる事ができる稀な魔術師である。その為、召喚に於いては彼女の右に出る者(と言っても召喚者は彼女以外に一人しかいないのだが)はおらず、戦力を補充する彼女が引き籠もろうと有事の際に出てくるのであればそれを咎める者は彼女に召喚されたサーヴァント以外には一人としていなかった。
ビリーが召喚された際、はじめに見たのはこの青白い顔(かんばせ)に陰鬱さを湛えた覇気のない女であり、彼は「ある意味魔術師らしい顔つきだ。」との印象を受けた。
彼女のサーヴァント達は、戦闘に於いては藤丸に従っており形式的には彼女を「マスター」とは呼ぶが、彼らが普段付き従い気にかけるのはやはり自身を呼び出したなまえであり、彼女が引き篭もっていることを常々気にしている。主人と認めているのも彼女だけだ。あるものは花束を、ある者は茶を、ある者は小言をこの部屋に持ち込むが、彼女がそれを有難いと思った事は一度として無く、サーヴァント達との交流を極力断とうとしていた。
「昼にカーミラがお茶とケーキを持って来てさ、『髪も肌も荒れ放題で青い顔をして、化け物みたいよ』って言うんだよ。」
「吸血鬼に顔色心配されるってかなり問題があると思うよ。現に君は青い顔をしているしね。栄養取って少し身体を動かしたほうがいいぜ。」
「別に、私が健康になったところで何の意味もないじゃん。魔力の質が落ちてるわけじゃ無いんだから放っておいて。」
「みんな心配してるんだよ。君は僕らエーテル体と違って生身の人間だから。」
「余計なお世話。私はただの貯蔵庫で、貯蔵庫が少しごちゃついてたって誰も気にすることはないし気にする必要はない。“そこ”に“あるべき物”があれば文句ないでしょ。誰が貯蔵庫の見てくれを気にするって言うの。」
「マスターは本当に卑下が好きだね。君自身を粗末に扱って欲しくないんだ。」
刹那、彼の後方で激しい金属音が鳴り響き、目の前の彼女は露骨な憤怒の表情をビリーに向け唇を戦慄かせている。金属音は彼女が手にしていたフォークを投げつけた事によるものだったのだ。
「うるさいッ!!サーヴァントと戦場出た事も無い私がマスターなもんか!役立たずだって言えよ!魔力量以外なんの取り柄も無い肉の樽だって!どうせアンタ達も馬鹿にして笑ってるんでしょ!?そんな風に機嫌とるなよッ!!どうしたって私はあの子になれないんだよ!!私はあの子みたいに輝けない…!!私なんて…!」
子供の様に癇癪を起こし喚きながら涙を流す。頬を滑り落ちた涙は喉元を濡らし鎖骨に迄至った。激情型の彼女はこうして度々激昂しては抱え込んだ不満をぶちまけ、情をかけられる事を酷く嫌うのだ。掴み掛かって怒鳴る癖に、彼女は彼の瞳を一切見ない。そうして自身を覗かれる事を無意識に拒絶している。襟を掴む彼女の手をビリーの黒革に包まれた掌が柔く包み、彼女の瞳を視線で捉えて離さない。そこでやっと、なまえは頓悟してからバツが悪そうな顔になり大人しくなった。潤む悄悄とした瞳を見つめながら、ビリーは幼子を嗜める様にはっきりと、それでいて恋人に愛を囁く様に甘く語りかける。
「マスター、僕の目を見て…君にはあの子しか見えてないんだね。でも僕には君が見えるよ。君が見ようとしない君を見てる。劣等感や自責で毎日泣いている可愛い君を知ってるし、本当は皆んなで食事を摂るのが好きだって事も知ってる。君は自分を役立たずだと言っていたけど、そんな事思ってる奴はカルデア内にひとりだって居ないよ。そんなこと言う奴は僕が殺してやる。君の為ならなんだってするよ。僕は君の物なんだから。」
その物騒な物言いは紛れもなく本心から来る物であり、比喩ではなく本当に彼は彼女を蔑む人間の命を躊躇なく奪うだろう。しかし、その瞳には暗鬱とした狂気では無く、誠実な気高さがあった。
「ねえ、遠い所に行こうか。グランドオーダーが完遂すれば何処にだって行けるよ。此処は君には狭すぎる。君が出ていけばカーミラなんかはあからさまに悲しむかもね。彼女は君を可愛がってるから。でもさ、僕が君の物である様に君だって僕の物でいいじゃないか。」
彼女は何も言わなかった。只々、肌を滑るごわついた革の感触と紡がれる言葉を甘受して、先程とは打って変わってはらはらと静かに涙を零して首を縦に振る。彼女が動くたびに暖かな涙雨がその雫で黒革を濡らした。
「君はあの子と同じ国の生まれだろ?銃弾も硝煙も血も縁の無い平和な所だって言うじゃないか。君の街に行こうか。この格好じゃ目立つだろうから君が選んだ服を着るよ。好きだった店に行って、好きなものを食べて、思い出を聞かせて。君と僕が居れば怖い事なんて一つも無いだろ?」
「うん、」
「分かったら泣くのは止めて。豚が嫌なら後で一緒に食堂に行こうか。僕も付き合うから。…今は眠ろう。僕も、レイシフトで少し疲れた。」
力を込めすぎない様に震える華奢な肩を押し、波打つシーツの上になまえの身体を横たえる。彼女は、されるがままに力を抜いて、驚くほど素直に受け入れた。純白の上に散らばる黒髪は油絵の様な模様を描き、ビリーがベッドに乗れば動きに合わせてその形を際限なく変えてゆく。彼女の隣に横たわり、足元に丸まった掛布を引っ張って、自身となまえを外気から隠す様に頭の先まですっぽりと被る。腕を伸ばせば彼女は小さな頭を預け自然と此方を向いて目を閉じた。
「マスターは本当に体温が低いね。そんな格好してるから尚更。何処も彼処も冷たいや。」
革手袋を咥えて手を引き抜き、素手で触れた彼女はやはり冷たく、生身ではない自分よりも人間味が無い主人を酷く愛おしく感じた。自身との間に空いた僅かなスペースに仕舞い込んだ掌をとり、自身の首に触れさせると死人の様な肉の冷たさにぞくりとした。
「あったかい…。」
「そう…。全身が温まるまでこうしていよう。」
「さっきは、ごめんなさい。私、いつもこうだね。八つ当たりして不安を怒りで誤魔化そうとする。駄目だって分かってるのに。優しさに甘えてばかりで。」
「…何にも気にする事ないよ。僕は君の役に立ちたい。君を甘やかすのも慰めるのも、僕でありたいんだ。勿論、君を連れ出すのもさ。」
変かな?
声を潜めて伺う様な声音で尋ねる彼に、なまえはクスクスと空気を揺らして笑ってみせた。つられてビリーも同じく笑う。
お互いの体温を感じながら、また一つ夜を超える。このひと時は間違いなく、枯渇した感情の海に降る大雨の如く彼女を潤していった。
主従とは違う絆で彼らは固く結ばれている。それは恋慕とも憧憬とも違うものであったが、彼らにとってはそれが傷の舐め合いでも、好意の押し付けであっても名目などはどうでも良いのかもしれない。形はどうでも良かったのだ。ここに1人の人間 なまえと1騎の英霊 ビリーザキッドが共に居るだけで。正しさなどは初めから要らなかった。
この先、何があろうと英彼は彼女を守り、慈しむだろう。それが例え、この戦いが終結し座に帰った後であろうと。
地上で眠りに落ちる民草を見守る、星々を湛える夜空の様に。
End
Ash.