うっすらと空が白み始め、冬よりも寒さは和らいできた。それでもまだこの時間帯となれば吐く息は白く、動いている人影は市場か、コンビニぐらいのものだった。エナジードリンクと、ガムと、幾つかのお菓子が入ったコンビニ袋をぶら下げ、夏に履き潰した雪駄を鳴らしながら歩く。家とコンビニが近くてよかった。よく利用するコンビニは、店員の愛想もあまりよくないし、品揃えも5分ほど歩いた先のコンビニの方がいいといった具合だが、近いというそれだけの理由でよく利用した。店員も、「ああよく来るやつか」といった具合で、すっかり買うタバコの銘柄も覚えられてしまった。
スウェットのポケットから、ひんやりと、無機質さが目立つ鍵を取り出す。何かキャラクターもののキーホルダーをつければいいのに、となまえは笑ったが、俺がそんなものをつけていたら違和感が拭えないとは思わないのだろうか。鍵穴にそれを差し込み、左にひねる。カチャリと音がやけに大きく響いた。そっと扉を開け、静かに扉を閉める。外よりも幾分か暖かく感じる部屋は、それだけ外が冷えているということなんだな、と思った。リビングへ続く廊下を歩くたびに、土くさく、どこか甘いにおいが漂う。何とも言えないにおいに、ああ、春か、と息をついた。
テーブルの上に、買ってきたものを並べ、それから、エナジードリンクの栓を開け、一気にあおった。炭酸が口内で弾け、食道を通る頃には、甘ったるさが残るだけだ。ベッドで寝る気も起きず、ソファーに横たわる。目を瞑り、眠気の波が来るのを待った。ポストに鍵が入っていた。合鍵ではあるが、俺の鍵とは違う。なまえが持っていた鍵には、可愛らしいキーホルダーがついていた。ポストに入っていたのは、キーホルダーのついた可愛らしい鍵だ。洗濯カゴの中には、まだ下着や衣類が残っている。乾燥機にかけたまま3日は経過していた。返すのか、捨てるのか、決めなければいけない。身体は泥に沈むかのように微動だにしないのに、脳だけ別物のように爛々としていた。
目を開ける。閉じても眠れないのなら、開いていたって同じだ。DVDデッキのデジタル時計は、4:14と表示されている。遮光カーテンからはうっすらと光が漏れていた。朝だ。
それは俺の気がつかないところで、じわじわと溢れていったのかもしれない。容器に水がゆっくりと溜まっていく速度で、俺たちの関係は飽和し、ジクジクと傷み、そして突然、容器がひっくり返った。溢れた水は、掬えども掬えども容器に返らないことを知っている。覆水盆に返らず、とはよく言ったものだった。
何が原因なのか、もうずっと考えている。
もしかしたら言葉が足りなかったのかもしれない。あるいは、言葉を余計にかけてしまったか。元々、人間関係を形成することは不得手だった。友人と呼べる人も、かろうじてひとりいるかどうかという具合で、恋人と呼べる人ができたことが今思うと奇跡にすら感じる。……その恋人も、この間出て行ったきり帰ってこないのだが。
ガチャリ、とドアノブが回った。ゆっくりと起き上がる。
「ウルキオラ、話があるの」
聞き慣れた声と、聞き慣れない、もうひとつの足音で、俺はなまえとの関係をどうするべきなのか、考えることをやめた。
Ash.