セマンティック・パレード

「おい」
「……」
「おい」
「……」
「おいっつってんだろ!」

 グイッと腕を引かれて、私は立ち止まることを余儀なくされた。視線を向けると苛立ちのピークという顔で爆豪が私を睨みつけている。

「呼んでんの聞こえねえのか、テメエは。難聴かよ」

 そう言うあなたは若いのに何で人の名前を覚えられないのよ、もう耄碌してる訳? なんて言えたら良かったけど、言った瞬間に爆破されるだろうと分かっていたから言えない。

「今度はシカトかよ」
「……誰を呼んでるのか分からなかったの」

 嘘だった。私を呼んでいると分かっていた。
 でも、おいなんて呼ばれて返事をしてやる気には更々ならなかったから聞こえないフリしていたのだ。

 そんな私の言い訳に「ふーん」と声を漏らした爆豪は、何か思い付いたようにニヤリと笑う。相変わらずあくどい笑い方だ。

「じゃあ、お前は今日からブスな」
「……は?」
「ブスって呼んだら返事しろよ、ブス」

 この人、もしかして本当は凄い馬鹿なんじゃないかと思った。
 仮にも年頃の女子相手にブスはない。常識的に考えてデリカシーが無さ過ぎる。

 頭の中で猛反発している癖に、あまりのことに言葉もない私に「ボサッとしてんな、ブス」と爆豪が追い打ちをかけてきた。

***

 その出来事以来、本当に爆豪は私をブスと呼んだ。
 最初はクラス内で否定的な声が多かったのに、今では馴染んでしまって彼がブスと言うと「呼んでるよ」なんて友達が教えてくれるようになった。私にブスという言葉が馴染みはじめていて泣きたい。

 そんなブスという単語とイコールで結び付けられてしまうような私が、厚かましくも恋なんていうものをしていたのだが、やっぱり似合わないらしい。つまり、失恋した。

 振られた訳ではない。ただ、私が告白する前に好きな人が恋人を作ってしまったので、私は間接的にフラれたような状況になっているだけだ。
 私は勇気も足りない女だったのだ。こんな駄目なところ尽くしの女が誰かに好かれたいと思うこと自体が間違いだったのかもしれない。

 ズブズブと思考は底なし沼に沈むようにマイナス方向へ引き摺られていき、私は机に突っ伏して泣いた。誰もいない教室で、誰に知られることもなく泣き尽くして私の恋は惨めに枯れていく。
 ああ、なんて私に似合いの終わりなんだろう。

「あ? まだ残ってたのかよ、ブス」

 感傷に慕っていた私の耳に、今、最も聞きたくない人の声が入ってきた。
 もしここで泣いているのがバレたら「何泣いてんだ、ブスに拍車かかってんぞ」とか「ブスの泣き顔とか見苦しいもん見せんな」とか言われるんだろうか。

 そんなの絶対に言われたくない。こんなメンタル弱ってる時にそんなこと言われたらどうなるか自分でも分からないし。
 ここは寝たふりをしてやり過ごそう、と泣いていたせいで早くなっている呼吸を静める。

「……寝てんのか?」

 けれど、用を済ませてさっさと教室を出て行くと思った爆豪がこっちに寄って来る気配がして、思わず肩を強張らせる。

 え、何で? 寝てる私なんて放ってさっさと帰りなよ!
 そう思ったものの、寝たふりをしてしまった手前、何も言うことが出来ない。こんなことになるなら爆豪は来たって分かった時点で帰っておけば良かった。
 完全に帰るタイミングを失ってしまって、もう息を潜めることしか出来ない。

 もし、私は失恋したって分かったら爆豪はどう反応するんだろう。寝たふりをするしかない私は暇潰しにそんなことを考える。
 「は、ダセえ」と鼻で笑う姿と、好きな人がいたって言った時点で「ブスが生意気なんだよ」と告げる姿が浮かんだ。

 どうして人を好きになっただけでそこまでボロクソ言われなきゃいけないんだ……。
 抑えていた涙がまた勝手に溢れてきた。自分の想像で勝手に泣いてたら世話ない。情緒不安過ぎだ、私。

 もう息を殺すことも出来ず、しゃくり上げる私の異変にこの静まり返った教室で爆豪が気付かない訳がない。

「おい?」

 怪訝な声と共に頭に手が当てられるが、頑なに頭を上げずにひたすら涙が止まるように努めていると問答無用で持ち上げられた。
 酷いと思ったけれど、それを口にする気力も抵抗する術もなく、罵られる覚悟をして目を閉じる。

「……何泣いてんだよ」

 けれど、予想に反して爆豪は少し気まずそうな声でそう言っただけだった。
 問答無用で私の頭を上げた手が離れていく。けれど、泣き顔を見られてしまったのにまた突っ伏して泣くのも何だか馬鹿らしくて、ただそのまま涙を流す。

 爆豪の質問には答えなかった。もしかしたら爆破されるかもしれないと思ったけれど、今はそれすらどうでも良い。
 そんな私をどうするでもなく、爆豪は自分の席に行って机からスマフォを取り出した爆豪はそのまま帰るかと思ったら私の前の席に陣取って、何やら操作をはじめた。

 もしや私の涙でぐじゃぐじゃになっている顔を撮るつもりかと戦慄としたが、そういうつもりはないらしく、私など存在しないようにスマフォと向き合っている。
 その無関心な反応が、今はとてもありがたかった。

***

 それからどれだけ経ったのか、ようやく際限なく流れる涙が止まってきた頃、私は半ば放心状態で椅子に座っていた。

 たくさん泣いたせいか体の節々が痛い。でも、いい加減に帰らないと。
 そんな風にのろのろと思考を働かせていると、爆豪がスマフォから視線を上げた。私と目が合う。

 ああ、見苦しいところ見せちゃったし、謝らないといけないかな。

「爆豪、」

 そう思って名前を読んだ瞬間、教室の窓から差し込む西日が彼によって遮られた。伸びる影に吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚え、目を閉じたのと唇を生温かい感触が掠めていったのは同時だった。

「……は?」

 続く筈だった謝罪が間の向けた声に変わる。
 ただでさえ泣き過ぎたせいか思考が鈍っているところに何をされたのか理解が及ばなくて、ただ瞬きを繰り返す私に「おい」と何かが放り投げられた。

 ほぼ条件反射で受け取ったそれは私のスクールバックだった。

「帰るぞ」

***

 まるで何もなかったような反応に、私がさっき教室で見たのは白昼夢だったのかも知れないと思った。
 泣き過ぎて頭がぼんやりしていたし、失恋したばかりで情緒不安定だったから何かおかしなことを考えてしまったんだろう。

 何より、もし爆豪が私を好きなら日常的にブスとは言わない。
 そう結論付けるとモヤモヤしていた頭が少しだけスッキリとした。ちょうど分かれ道にさしかかったので「あ、私はそっちの道だから」と爆豪に声をかけた。

「ああ、そうかよ」
「今日は変なところ見せちゃってごめん。また明日ね」
「ん」

 完結過ぎる返答に苦笑しながら、爆豪と逆方向の道に足を進める。けれど、数歩歩いたところで腕を引かれ、振り向いた先に爆豪がいた。

「お前! ……他に、何かねえのかよ」
「……他? 何が?」
「はぁ?」

 コイツ馬鹿じゃねえのみたいな顔されて思わずムッとする。
 急に主語のない質問で引き留めておいて、その反応はない。

 大体、今の流れで他のことなんて何が……と考えて、ひとつ思い当たることがあった。
 泣いている間、爆豪を引き留めるような形になってしまったことを言っているのかもしれない。

 私みたいな個性が平凡なブスが雄英志望の将来有望な爆豪を引き留めて何もなしなんてあり得ない、みたいなそんなことを彼なら言い出しても不思議ではない。

「今日は本当に迷惑をおかけしました、今度何かお詫びの品でも渡すからいいでしょ」
「はぁ!?」

 が、どうやら私の返答は的外れなものだったらしく、爆豪の手の中で爆発が起こった。
 ヤバい。何か知らないけどヤバい。

「そうじゃねえだろ」
「じゃあ、何のこと?」

 出来るだけ刺激しないように、つとめて落ち着いた声で問い返した私の腕を解放しながら、視線を逸らす。

「……教室の、ことだよ」
「教室?」

 絞り出すような小さな声で言われた台詞を反復して、白昼夢だと思っていた光景が脳裏によみがえる。

「え? あれ、でも、それってただの白昼夢じゃ……?」
「そんな訳ねえだろ!」

 私の半信半疑の声は苛立った声に即座に切り捨てられた。
 けど、あれが白昼夢じゃないなんてますます意味が分からない。

「じゃあ、あれって何?」
「は? キスだろ」
「いや、そういう意味じゃなくて」

 そんなことも知らねえのか、みたいな目で見られるけどそうじゃない。

「何で、私にそんなこと……」

 日頃からブスと呼ぶ女にあんなことをした彼の意図がさっぱり分からない。
 思ったまま、当然の問いをぶつけたつもりだが、爆豪はそうではないらしく「あ?」と不機嫌そうな顔で凄んできた。

「普通に考えりゃ分かるだろ」

 普通に考えて分かることならわざわざ聞かない。そう思ったけれど、凄い顔で凄んできてる爆豪にそんなこと言える訳もなく、俯いた私の旋毛あたりに「じゃあな」と声が落とされる。

 そのまま、爆豪は今度こそ振り向いたり引き返して来たりすることなく帰って行く。
 それを呆然と見送りながら私の頭の中は爆豪の意味不明な行動のことでいっぱいで、自分が失恋して泣いていたことなど残ってはいなかった。


Ash.