私がホームについたと同時に滑り込んできた電車に乗り込む。どこへ行くかも決めていない。どこだっていい、とにかく今だけ、どこかへ行きたかった。電車の中は比較的空いていて、私は空いている席に腰を下ろした。それと同時に、大きなため息が出る。ばかみたい、私って、本当にばか。自己嫌悪に陥る。
涙が出そうになって、俯く。こんなところで泣きたくなんてないのに、涙は待ってくれない。ぽたり、と私の膝に雫が落ちる。いつかはこんなことになるって、わかってて何もしなかったのは私だ。何かしていれば、少しは変わったかもしれないのに、私が臆病だったせいで、自分の首を絞めていた。
電車が進むたびに、人が降りていく。私の隣に座っていた人もどこかの駅で降りていった。車両にはぽつぽつと人がいるだけになった。
今なら誰も見ていないはず。そう思うと、ぶわっと涙が溢れてきて、もう我慢できなくなった。嗚咽は漏らさないように、声を出さないように泣いた。

「……大丈夫ですか?」

油断していたからか、目の前にその人が来たことに気づけなかった。咄嗟に顔を上げて、しまったと俯くがもう遅い。その人は驚いたような顔をして、そしてなぜか私の隣の席に座った。制服を来ていたから、私と同じ高校生か。どちらにせよ今は、誰とも関わりたくないのに。それが同年代の高校生となれば、余計に。
隣の席に座った彼は、そのまま何も言わずにいた。私が泣いていることは気づいているはずなのに。
電車は進み続けて、いつの間にか終点がすぐそこに迫っていた。終点についたら降りなきゃ、と憂鬱な気持ちでいると、彼が遠慮がちに口を開いた。

「終点で降りるんですか?」

囁くような小さな声で彼は私に訊いた。私は声を出すのも億劫で頷くだけ。どこで降りるかなんて決めていなかったけれど、曖昧な返事をすれば変に思われてしまうだろうから。彼が私を心配そうに見ていることはわかったけれど、私には周りに気を遣う余裕なんてない。崩れ落ちてしまいそうな心を、ぎりぎりのところで食い止めてる。
がたん、と電車が大きく揺れて、速度を落としていく。間もなく終点、とアナウンスが鳴る。しばらくすると電車は完全に止まって、わずかに残っていた人たちも降りていった。私も、少し遅れて電車を降りる。

「あの、この近くに美味しいパンケーキのお店があるから、一緒に行きませんか?」

降りた瞬間に、彼にそんなことを言われた。驚いて、彼の顔を見る。どことなくあの人に雰囲気が似ていて、思わず顔をしかめてしまった。彼はそれに気づいて、ごめんなさい、馴れ馴れしくて、なんて謝る。

「なんだか、放っておけなくて。放っておいてほしいかもしれないですけど」

ただ、この人はあの人よりも優しい声で話す。優しくそんなことを言われると頼ってしまいたくなるほどに、今の私は寂しい。1人になりたい、遠くへ行きたい。そう思いながらも、どこか寂しくて。誰かに優しくされたいと思っていたんだ、と気づいた。

「……気を遣わせて、ごめんなさい」
「ああ、よかった。やっと話してくれましたね」
「ごめんなさい、感じ悪かったですよね」
「ううん、そういうときって誰にでもあると思うから。行きませんか?すごく雰囲気のいいお店なんですよ」

ふわ、と微笑みながら言われて、私は思わず頷いてしまった。優しい雰囲気が私を落ち着かせてくれるし、優しい言葉をかけてくれるのが嬉しくて、どうしようもなく寂しい心を、この人が一時的でも埋めてくれそうだったから。


連れてこられたのは、木の温かみを感じられるような、素敵なお店だった。素朴で可愛くて、お店の中にはカップルがたくさんいた。こんなに素敵なお店を知ってるなんて、おしゃれな人だな、と少し感心してしまう。穏やかな雰囲気はあの人に似ているけれど、あの人はきっとこんな素敵なお店は知らない。そんなことを思って、目の前の彼とあの人を比べてしまう自分が、嫌だった。
メニューには美味しそうなパンケーキがたくさんあって、人生最大といってもいいほど落ち込んでいた私の心は、少しずつ浮上していた。それは決してパンケーキだけのおかげではなくて、むしろほとんど彼のおかげだった。私を気にかけて、声をかけてくれた彼のおかげ。

「名前、訊いてもいいかな。呼びかけるときに何て呼んでいいかわからないから」
「みょうじなまえ、です」
「みょうじさん?俺は幸村。幸村精市」

幸村くん、と呼ぶべきか幸村さんと呼ぶべきか少し迷って、小さな声で幸村くん、と呼んだ。彼はそれで満足そうな顔をしたから、思わず私も笑ってしまった。すこしぎこちない笑顔だったかもしれないけれど。

「みょうじさんは高校生?」
「はい。高校2年です」
「あ、同じだ。俺も高2だよ」

同い年だとわかってから、幸村くんは最初よりもフレンドリーに、なんとなくお互いに使っていた敬語を崩しつつ、なるべく楽しい話題を振ってくれた。周りに気を遣うのがうまい人だな、と思う。
しばらくすると、フルーツと生クリームのいっぱい乗ったパンケーキが運ばれてきて、私の意識は一気にそっちへ向いた。その様子を幸村くんが笑って見ていたような気はするけれど、あまり気にしないことにする。どうせ、今日しか関わることはないんだから。

「美味しい……!」
「だろう?あんまり人も多くないし、穴場なんだ」
「すごいね、こんな素敵なお店知ってるなんて」
「俺も人に教えてもらったんだけどね。美味しいパンケーキ屋さんがあるから、彼女とでも行ったら?って」
「えっ、幸村くん彼女いるの?」
「意外?」
「意外ではないけど、彼女いるのに私なんかとここにいたら彼女とこじれないかな、って」

私がちょっと焦って、そんな風に言うと幸村くんは、あはは、と笑い始めた。私がぽかんとしてると、幸村くんは「彼女なんていないよ」と私に言った。

「教えてもらったのはいいけど、彼女ができてもここには来ないと思うなあ」
「なんで?」

私が素直に訊くと、幸村くんは少し顔を曇らせた。訊かれたくないことだったかな、って私が謝ろうとすると、幸村くんは微笑んだ。それはさっきまでと変わらない優しい微笑みだったけれど、どこか悲しげな気がして、不安になった。

「聞いてて楽しい話ではないけど」
「あの、幸村くんが話したくないなら無理しないで」
「話したくないわけじゃないよ。大丈夫」

そう言って、幸村くんは話し始めた。
このお店を教えてくれたのは、幸村くんの幼なじみの女の子で、幸村くんはずっとその子のことが好きだったこと。幸村くんはその子に好きだって伝えることができなくて、そうしているうちにその子には彼氏ができてしまって、幸村くんは想いを伝えられないままになってしまったそうだ。
その話を聞いた私は、知らないうちに涙を流していた。話し終わった幸村くんが私を見て、驚いたような顔をする。なんできみが泣いてるの?と言われたときに、私は初めて自分が泣いていることに気づいた。

「あれ、泣くつもりなんてなかったんだけど……おかしいな……」
「……電車で泣いていた理由と、関係あるの?」
「うん……まるで、私みたいだなって思って。ついさっき、そういうことがあってね、逃げたくなっちゃったの」
「そっか。たまには逃げてもいいと思うよ。失恋って、結構辛いよね」

笑顔の幸村くんにそう言われて、心が軽くなった気がした。この世の終わりみたいな絶望を感じていたはずなのに、いつの間にか自然に笑うことだってできていた。逃げて、その先に幸村くんがいてよかった。そんな風に思えたのは幸村くんのおかげだ。


Ash.