私はマグルの父と魔女である母との間に生まれた。私には魔法の才能があった。先に生まれた姉たちは魔法が使えなかったために、私に対する母の期待はすさまじいものがあった。よく出来た子だ。素晴らしい子だ。お前こそが私の血を分けた子だ。何度も何度も言われてきた。私はそれが嬉しかった。認められて愛されることが嬉しかった。ホグワーツに入学し、レイブンクローに所属してからも学問に励んだ。私は出来た子だ。私は素晴らしいのだ。母親からの言葉を胸に、ホグワーツでも優秀な成績を修めようと努力した。そうすれば母親はもっと喜んでくれると思った。私のことをもっと認めてくれると思った。いや、母親だけではない。この魔法界のすべての人が認めてくれると思った。魔法界すべてから愛されるだろうと思った。そうなればどれほど気持ちがいいだろう。そうなればどれほど幸せだろう。自分が特別であると言われることは、気持ちがいい。自分を認めてもらえることは、幸せだ。だから私は、努力してきた。だが、私の努力は結果には結びつかなかった。気付いたのは、入学して数年が経ってからだった。成績は伸びない。それどころか授業内容についていけない科目も出てきた。私は確かにほかの学生よりはほんの少し出来た学生だった。私は間違いなくほかの学生よりはほんの少し優秀な学生だった。そう、ほんの少しだけ。幼い頃より母親によく出来た子だ、素晴らしい子だと言われてきた私は自分こそが一番優れているのだと信じてきた。私は知らなかった。私程度の学生など、世の中に巨万といることを。私は出来た子でも素晴らしい子でもなかった。ありふれた、どこにでもいる、ただの、平凡な、学生だった。それに気づいたその時、自分のすべてを、否定されたような気がした。
「ねえねえ、レイブンクローのロックハートって素敵よね」
「とても優しい顔をしているのよ、物腰もとっても柔らかくて」
一つだけ平凡でなかったところをあげるのならば、私の見た目だっただろう。入学から数年たったころには背も伸びていたし、ソプラノに近かった声も声変わりによりテノールに変わった。父親譲りのブロンドの髪と母親譲りの若草色の瞳を素敵だと言ってくる女子生徒が後を絶たなかった。「ロックハート」私を呼ぶ声に笑顔を振りまけば彼女たちは黄色い声を上げた。うっとりと見つめてくる彼女たちにウインクをひとつ投げてやれば顔を真っ赤にして喜んでいた。私の行動ひとつひとつに歓声を上げる彼女たちを、顔を真っ赤にして喜ぶ彼女たちを、ばかみたいだと思いながらも、私の心は満たされた。だってそうだろう。平凡な私が、一番になれなかった私が、唯一、一番になれる瞬間だったんだ。一度存在ごと否定された私の心が満たされないわけがなかった。どこにいても目立つために翡翠色や群青色のローブを纏うようになった。監督生に目を付けられようが寮監に注意されようが関係なかった。私を見ていてほしい。私を認識していてほしい。その気持ちのほうがずっと強かった。ギルデロイ・ドックハートという存在を常に意識してほしかった。見ていてほしかった。みんなの注目を浴びたかった。歯並びを見せるように笑う癖もたぶんこのころについたものだ。私程度の魔法使いはいくらでもいる。魔法以外のところで認められなければ、私は私でなくなるような気がしていた。世界から見捨てられるような気がした。否定されているような気がした。
ちょうどそのころに、私はなまえ・みょうじの存在を知った。
ホグワーツ中の女子生徒が私に夢中になる中で、彼女は私を見ようともしなかった。彼女は私に興味を示さなかった。ギルデロイ・ロックハートという名を知っていたかどうかさえ、あやしい。そのくらいに彼女は私に興味を示さなかった。彼女は、グリフィンドールの生徒だった。優秀で勇敢で曲がったことが嫌いな性格の子だった。グリフィンドールに入るべくして入った、そんな子だった。もっとも、直接話をしたことがないから、遠目から見た印象だったり、彼女と仲のよい女の子たちから聞いた話から判断したものだったけれど。多くの女子生徒が私を見つめてくる。教師たちも好意的ではないが私という存在を認識してくれている。そんな中で私に興味を示さない彼女が、気になった。彼女に私を認識してほしくなった。彼女に私への興味を抱いてほしくなった。私を認識していない彼女に認識されたとき、私に興味を抱かない彼女に興味を抱いてもらえたとき、私はどれほど幸せになれるだろうかと思ったのだ。どうしたら彼女が私を認識してくれるだろうかと考えてクディッチ・ピッチに自分のサインを刻んでみた。自分で自分にバレンタインカードを山ほど送ってみた。同時期に複数の女の子からの告白を受け入れてみたりもした。けれど彼女は全く私に興味を示しはしなかった。廊下ですれ違うその時に歯を見せて微笑んでみても彼女は全く反応をしなかった。それでも最初のうちは、いつか彼女も私に夢中になるだろうと信じていた。彼女が私に夢中になっているのを想像するだけで満ち足りた気持ちになった。それなのに、彼女は半年たっても、一年たっても、私を認識してはくれなかった。私に興味を抱いてくれはしなかった。
それどころか、彼女の視線の先には、私ではない一人の男がいた。
彼女の視線の先にいた男は、決して優秀な男ではなかった。成績はほかの学生よりはほんの少し優秀くらいだった。私と同じだ。見た目は私よりもずっと劣っていた。女子生徒に人気があるようなタイプでもなかった。それなのに、それなのに、私に興味を抱いてはくれない彼女は、その男をいつだって目で追っていた。そして気が付けば男のほうも彼女を目で追うようになっていた。そうして、二人の仲は、日ごと親密になっていった。私は、魔法以外のところでさえ、認められないのかと絶望した。この頃には、彼女は私の世界となっていた。それは手に入らないものを手に入れたいという歪んだ執着だったのかもしれないし私にはないものを持っている彼女への憧れだったのかもしれないしもしかしたら、本当にもしかしたら、見つめているうちに芽生えた彼女への純粋な恋情だったのかもしれない。いずれにせよ、彼女は私のすべてだった。私の世界だった。
だからこそ。
彼女に認められないことが、耐えられなかった。
彼女に認められているあの男が、憎らしかった。
そうして私は、決意した。
忘却術。それほど高度な魔法ではない。授業で習う魔法の一つだ。マグルに対する記憶操作にも使われる。私はこの魔法を利用した。人気のなくなった教室で談笑する二人に向って、杖を一振り。そしてObliviateと悪魔のように囁けば終わりだ。何も難しくない。ありふれた、どこにでもいる、ただの、平凡な学生だった私にでも問題なく使える魔法だった。あの男から、彼女に関する記憶のすべてを消去する。そして、彼女の中のあの男に関する記憶をすべて修正する。彼女の中のあの男を、すべて私に置き換える。彼女の視線の先にいるのは常に私であるように。彼女が親しくなったのが私であるように。彼女が求める存在が、私だけであるように。魔法をかけたその直後少しぼんやりとしていた彼女は、私の姿を見ると、その瞳に私を映してくれた。美しい瞳に私の姿を映して、彼女は「ギルデロイ、どうしたの?」といとおしそうに私に声を掛けてくれた。杖をローブの中に隠す私に向って伸ばされたその手を、私はずっとずっと望んでいた。
私はあの瞬間の幸福と罪悪感を、一生忘れない。
「ギルデロイ」
彼女は今も私の隣にいてくれる。柔らかく優しく、私だけに微笑んでくれる。嘘で塗り潰された彼女の記憶を真実と信じ切った彼女は、私にだけ微笑んでくれる。彼女がすべてを知ることはない。彼女があの男を思い出すことはない。仮に思い出すことがあったとしても、私は彼女のその記憶をまた嘘で塗り潰すだろう。彼女の記憶は、嘘と偽りに満ちている。私のせいで。許されることではないのだろう。いくら私でもそのくらいはわかっている。微笑む彼女の果実のような唇にキスを贈る。突然のキスを、彼女は幸せそうに受け止めてくれた。忘草色のローブを身に纏う私の背に手を回し、甘えるように私の名を呼んでくれる。
「…なまえは今幸せかな」
「学生時代からずっと幸せよ、だって、ギルデロイと一緒なんだから」
「そうですか。それを聞けて、私も嬉しいですよ」
ずっと、一緒。私にはその価値はないし本当の彼女が一緒にいたかったのは私ではない。わかっている。許されることではない。だが、彼女がそう言って微笑んで嘘と偽りに満ちた記憶を私ごと受け入れてくれればそれだけでほんの少し救われるような気がした。
Ash.