あぁほら、また。
こんなにも、胸がざわついているわ。
――――いくら逃げども春は非道だ
「いらっーー」
「何時もの頼む」
「………!また、来てくださったんですね…!」
半年ぶりだろうか。その顔を見るのは。ふかふかの帽子を取って、一番奥のカウンター席に座る。
表情なく座ったところで、私がお酒を差し出すと、少し表情を崩した。
夕方、もう二時間も経てばお仕事を終えた人でこのお店の席は埋まる。チラホラとだけ埋まっているこの時間は、穴場かもしれない。
ゆっくり落ち着いて休む時間には、丁度良い。
「今回もお仕事なんですか?」
「まぁな」
「前に来てくれたのは秋頃だったから…ふふ、会えて嬉しいです」
「季節なんて、この海で生きてちゃ関係ないだろ」
四季折々の顔を見せてくれるこの島は、大きなお城があったり、有名な人が居るわけではないけど、次の島に向かうために休憩する場所としては最適な場所。
花や食べ物、着るものもその季節によって変わる。そんな規則的に季節が変わることも相まって、たくさんの人が行き交う。
この酒場にも、島の人は勿論旅の人も訪れてくれる。ただ毎日来てくれる島の人はともかく、一度二度訪れてくれたお客様のお顔を細かく覚えているかと言われたら、正直困ってしまう。
目まぐるしく変わる人に、自分のしなくてはいけない仕事もプラスされたら、私はとても覚えられない。
だけど、彼は別だった。
お仕事で来ているらしく、初めて会ったときは仲間の人と一緒にいた。
「でも…4回と回ってくる季節が、あなたが来てくれる目安ですから。私にとっては」
「ふぅん」
「少し、心配でした。通ってくれ始めて、こんなこと初めてだったから」
「…………客、呼んでるぞ」
「あ……ごめんなさい!今行きます!…それじゃあ、失礼しますね」
カラン、と彼が傾けたグラスから、音がした。
ボトルと料理を持って、お店のなかをくるくる移動する。それでも、ふ、と意識を変えるとあのお客様の方を見てしまう。
初めて来てくださった時は仲間の方が居たけれど、二回目からは一人で来る様になった。
沢山お酒を呑むわけでもなくて、沢山お話するわけでもなくて。ただあの席に座って、同じお酒をずっと呑んでる。今の時間は手が空くことが多いから、時々話しかける。嫌そうな雰囲気は出さないから、私も気軽に話しかけるようになった。自分のこと、島のこと、今日のお料理のこと……そう話しているうちに、私は彼のことを覚えてしまった。相槌をして、ポツリと返してくれる言葉がとても心地よくて。いつの間にか話すことが楽しくなった。
テーブル席のお客様が一組帰られたので、グラスを戻しにいく。テーブルを拭いて、椅子を整える。
またその時彼の方に目を向けると、あの人はこちらを見ていた。思わずドキッとしたけど、すぐにヒラヒラと手招きをしたから、注文の為だったと考えが辿り着く。
ニコリと笑って、持ったグラスを返却口に置き、直ぐに彼のもとに走る。自分でもおかしいと思うぐらい、口元が緩む。
カウンター越しに対面することが多かったから、今日は少し、新鮮だ。
「ごめんなさい、お待たせしました」
「簡単につまめるものと…あぁ、あの酒をくれるか」
「分かりました、お酒は氷でーー」
「違う、ボトルのままくれ」
「あ…分かりました」
どうやら今日はそれなりに時間を取ってくれるらしい。料理を頼むなんて、冬に来てくれなかったからだろうか?
書き込んだ伝票を繰り返して、彼に微笑んだ。
「それでは少々お待ちにーー」
「ーーあぁ、悪い」
そうして戻ろうとしたけれど、グッと腕を引かれて戻されてしまった。そんなことされるとは露にも思わず、私は思いっきりよろけてしまった。
足が絡んで視線はぐらつき、手元は空しく宙を舞って、辿り着く場所はそうさせた原因である彼の元しかない。
これは、抱き寄せられたんだろうか。
そう思ってもおかしくないぐらい、耳元と視線は彼の胸元にぶつかるし、腰には腕を回されてこれ以上私がずるりと落ちることが無いように支えられてる。心臓はうるさく動いているのに、言葉の1つも出てこない。
何をされたと理解しようとしても、何も考えが追い付いてこない。
「やっぱり、注いでくれるか、グラスに」
「―――――――」
「…聞いてるか?」
「は、はい…す、すみません、あの、えっと、あの、」
「ん?」
聞いてるか?と言われたから、はいと答えた。
だけど内容を理解したかと言われたら、いいえと答えるだろう。
耳元で囁かれるように言われて、彼の声は落ちてきたのに、何も内容は入ってこなかった。
グルグルと離れなければと考えが回っているのに、耳元で心配される言葉を言われる度に、背中がゾクゾクして考えがどこかに行ってしまう。
そうしているうちに、彼の方が私を離した。
「妙に顔が赤いな。体調でも悪いのか?」
「あ……わ、わ、悪くないです…!ただあの、び、吃驚して」
「何に?」
「な、なに、に?」
「おーい、料理出来てるぞー?」
「は、はーい!」
――私は、何に驚いたのだろう。
すっかり熱くなった頬を押さえて、彼から立ち去る。
後ろにいた彼が意地の悪い顔をしていたなんて知らない私は、ただ問われた内容を繰り返し考えていた。
「お、お待たせしました。春の軽食と、ご注文の…」
「あぁ」
暖かなお皿と、冷たいグラス。
カウンター越しにそれらを置く。
そうしてくるりと、背を向けた。
「なんだ、今日はおしゃべりしないのか」
「…………っ、」
「それとも、本当に体調がーー」
「わ、悪くないです……!」
どうして今日は、こう、なのだろう。
心が落ち着かない。頭のなかはぐちゃぐちゃ。顔は熱い。視線は忙しなく動いてる。
こんな状態、初めてだ。生まれてから数えてみたけど、こんな経験、無い。
一人のお客様にこんなに何時もの私じゃなくさせられたのは、初めてだ。
カラン、また氷が音を奏でた。1つ深く息を吸って、彼の前に立った。
彼は頬をついて、それは口許を覆っている。だから、今どんな表情をしているのか分からない。
でも目元は穏やかな気もする。じっと見つめられるから、私の方が視線から逃げた。
もしかしたら会うのが久し振りだから、こんなにもドキドキしているんだろうか。だからこれは、決して、
「おれは医者なんだが……」
「は、はい」
「そんなに顔赤くしてちゃ、風邪としか思えないんだが」
「ええと、あの、その、風邪はひいてません。元気です。ほら、今日はちょっと暑かったので、片付けとかしたらちょっと暑くなってしまったんです」
「ふぅん」
「それより、お医者様なんですね、ふふ、また1つあなたのこと知れました。色んな所を回られてるんですか?」
「あぁ」
「世界中を回るなんて、凄いですね…!専門は何に――」
「初めて会ったときも、お前はそうやって誤魔化したな」
「え?」
初めて会ったときも、こんな会話をした。
「そんな顔をして、風邪でもひいているのか」。
グラスを片付けようとしたときに、そう言われた。その日は確かに体調が悪かった。でも熱は無かったし、体もダルさはありつつも動かせる状態だった。だから働いていたのだけど…彼にそう言われて、何故か心臓を掴まれたような感覚になった。
曖昧に笑って誤魔化したのに、彼と…彼以上に仲間の皆さんの方が大袈裟なぐらいに心配してくれた。
結局休むからと伝えて、ベットに入るところまで見られて、なんとか帰ってもらった。
その後本当に高熱が出てしまって、彼等の言う通りにして良かったとホッとした。あのまま働いていたら、倒れて余計に迷惑をかけたかもしれない。
チクチクと痛むお腹を押さえながら、ぼうっと意識を手放す。
はっきりと問われた彼の事が、頭から離れなかった。
だから二度目に訪れてくれた彼を見て、私は思わず声をあげた。そんな私を見て、彼は何を言うわけでもなく、注文をした。
それから季節が変わることに訪ねてくれて…話すようになって…。なんとなく、から、はっきりと覚えることが出来たお客様になったのは、彼が初めてだった。
お医者様と知った今、これは患者を診に来ているようなものなのだろうかとぼんやり思った。
「…あの時は、本当にありがとうございました。あなたの言うことを聞いて、大事にならなくて良かったです」
「だろうな」
「ええと、でも、今日は本当に違うんです。その…、………、ちょっと、ドキドキして」
「ドキドキ、ね。何にドキドキしたんだか」
「…………………」
す、と視線を外す。カウンターを拭くフリをして、唇を強く噛む。
だって、あんなに男の人と近づくなんて初めてだし、それに、唯一記憶に残ったお客様だし、それに、
「まぁこれ以上は追求しないが。それより、ゲームをしないか?」
「……ゲーム、ですか?」
「ここにコインが十三枚ある。それぞれデザインも大きさも異なる。このコインを順番に取っていって、最後にコインを取った方が負け。コインは一枚から三枚までの間で、必ず取ること。どうだ?」
「分かり、ました、けど…」
「別に、何も賭けたりしない。おれの遊びに付き合ってもらえるだけで良い」
「うっ、それなら、やります」
酒場である以上、お客様からこんなゲームを持ち掛けられることは多い。でも、私は賭けられる事が嫌で、あまり乗り気になれなかった。
そんな心を知ってか知らずか、彼はコインを並べて私に視線を向けた。
私から、取って良いのだろうか。
数秒見つめて、私は手を差し出した。二枚。その後、彼が取る。
コインが少なくなるにつれて、私は手を止めてじっとそのコインを見つめてしまった。残る枚数は五枚。そのときになって初めて、このゲームはやるべきじゃなかったと気付く。
このコインは、彼の物じゃない。
見たときに気付くべきなのに、浮かれた私は何も気づかなかった。この、コインらの端についた傷や模様はーー。
固まった私に彼は何も言わず、ただお酒を呑んで、グラスの中の氷をカラン、と回した。
「言い忘れていたが……」
「そのコインらはこの店で使われてるコインだ」
「……………………………………」
「どうする?今度こそ、報告するのか?」
ガタン、と音がする。私の名前を呼ぶ声も。でも今の私には何もかもが遠くにいってしまったかのように、すべての音が入ってこなかった。
ただ、その最後のコインから目が離せなくなっていた。
――様々な人が行き交う島。大きなお城や有名な人が居る訳ではなく、休憩所として寄られる事が多い島。
それは海賊だって変わらなかった。酒場は人も情報も行き交う。ヒーローなんかじゃなく、迷惑でしかない存在なんて。手配書が回られている人なんて、見掛けたら普通、報告するでしょう。
覚えるべき顔なんて、そちらの方が優先だ。
この店ではコインの一つ一つが、海賊の代わりを指す。店に立ち寄った海賊が居たら、その海賊らが立ち去って直ぐに、コインを送って報告をすることになっている。そうすれば、海軍は直ぐに動く――。
誰にも気付かれないと思っていた。海賊でも拒まず受け入れ、何処にでもある酒場。
気付かれないように、海軍の指揮下の元運営されているなんて、誰にも――。
何も言えずにいる私の手に、彼の手が重なった。びくりと震えた私の頬に手を添えて、小さな声で何かを言った。
途端に、パッと世界が変わった。
「あ………」
「……時間切れ」
ざわつく店内はもうどこにもなくて、そこは賑やかな港の反対側、この島の漁師さんたちが使っている地元の港だった。
これが、彼の能力なんだろうか?
「噂では聞いてたが…ま、気付かねぇな。ありゃ」
「な、何で、」
「そりゃこっちの台詞だ。何回報告する機会があった?ゲーム持ち掛けてボロ出すかと思ったら全くださねぇし…」
「ただの噂かと、本気で思ったが…」
………ボロなんて、出るわけがない。
「あなたに出会った日は、初めてあのお店で働く事になった日です。気付かなくて…」
「あなたに言われて休んで…そのあとオーナーに言われました。あれは海賊だって。でも、私、信じられなくて」
「だって、只の町人に風邪ひいてる、早く休め、薬飲んで、なん、て、ふつう、い、言うわけが……」
溢れる涙が、止まらなくなってきた。
信じられなかった。
海賊は悪い人と教えられたのに、私はその悪い海賊に助けられたのだ。風邪ぐらいでと思うけど、今まで生きて教えられてきた自分の中の価値観を、大きく変えられた日だった。
だから、ボロなんて、出るわけがない。
私は彼を海賊としてではなくて、お客様としてとしか見てこなかったから。
「よくそのオーナーはお前の言うことを聞いたな」
「……報告するなら、死にますと言いました」
「あぁ、なるほど」
喉の奥で笑って、彼はふかふかの帽子を被った。
その手には見慣れない、長身の刀があった。
「じゃ、行くか」
「へ……?」
「別に報告されないならそれはそれで良かったんだが…流石に何度も何度も同じ場所に通うとな、報告せずともバレるからな」
「きゃ…!あぁぁあの!?ど、何処に行くんですか!?」
「おれの船」
「こ、ここ困りますよ!お、お店…」
「悪いがおれは医者でもあるが海賊なんでな。お前を拐うことにした」
「そ、そんな!私、行くなんて一言も…!」
「なら、戻っておれのこと報告しろ。それで全部、終わりにしろ」
力強く掴まれた手首に、一層力が込められた。
告げられた言葉の一つ一つが、私の胸のなかに落ちていく。落ちて、スルスルと、どこかに逃げていく。
分かっていた。
理解もしていた。
それでもしなかったのは、私が本当の彼から逃げていたからなのに、いざ現実を向けられると、何も言葉が出てこない。
分かっていても、理解していても、私の仕事、世間一般的に考えればこれは私の逃げで、ワガママなんだと気付かされる。
「それは…無理です」
「何でだ」
「私が……あなたを…」
「………………………………」
「…ふぅん。ま、こっちだって何時までも逃げてるわけには行かないからな。だから今回は、お前を拐っていく」
「…おれの船に入ったらゆっくりお前の心も拐っていくから、そこも覚悟しとけ」
「…………………………え?」
「あぁ……ま、そんな難しくなさそうだなこりゃ」
「〜〜〜〜〜〜〜!」
ニヤリと笑った笑みに、私はまた頬を押さえて視線を投げ捨てた。
もう彼の姿を見たくない。見たら、心臓が今度こそ壊れてしまいそう。
「…………、ロー、さん」
「ん?」
「…ローさん」
心の中でオーナーに謝りながら、私はもう一度彼の名を呼ぶ。
暖かな風が、春を運んでいた。
end.
Ash.