とぷん、と赤いのが沈められた。目の前の女の子が、炭酸水に浮いてるサクランボで遊んでいるのだ。その一切容赦のない様子は、「白スーツ」と「鳩」、もしくは「鳩」と「白スーツ」の関係を彷彿とする。

「まあでも、どっちもおんなじようなもんだよねぇ。」
「え?なにが?」

 問いながら、またサクランボのやつが浮いてくるのを待ち構えている。今度は沈めるだけでは飽き足らず、ストローで一突きにしてしまうのかもしれない。ちなみに、彼女の持っているストローはホオグロのドリンクについてきたものだった。

「いいや、なんでも。」

彼女がホオグロのストローを使うのも鳩が赫子を使うのも結局はおんなじことだ。

「お行儀悪いってことよね?ごめん、もう飲むよ。」
「いーよいーよ。気にしないで。お行儀悪いとこで育ったからさ、何がいいとか悪いとかわかんないし。」

 長いこと飲まないでいたので氷も少なくなってしまった炭酸水に、やっとみょうじは口を付けた。それからあっと声をあげる。

「これ、ホオグロさんのだった!」

ストローを使って飲んでしまったことに気づいたのだ。しかしそれにもホオグロは笑みを崩さない。

「ダイジョーブ、使ってよ。ストローなしだと飲みにくいデショ?」

ホオグロ自身にストローを使うこだわりはさしてなく、さらに言えばこの場の会計はみょうじ持ちだった。喰種という身分柄後ろ暗い金しか持ち合わせていないからだ。
 という諸々の理由により、みょうじがストローで炭酸水を飲み、ホオグロがアイスコーヒーを直に飲むことに正当性が見いだせる。

「そんなことより、それ薄くなってるんじゃない?ずっと話してたからね。」
「もともと味がないようなものだから、あんまり変わらないと思うよ。」
「それ味がないの?」
「うん、ただの炭酸水。しゅわしゅわしてるだけの、砂糖なしの。」

新時代だ。色々なものを選り好んで飲み食いしている人間たちは、一周回って味のない物を味わう新境地に達している。最近流行ってる、と彼女が加えたことからも、まさしく最先端のものであるらしい。

「そっか、知らないんだ。ホオグロさんこそお洒落っぽいからなんでも知ってそうだと思ったんだけど。」

味見してみる? みょうじは得意げに言った。本当に味がないの?と確認をして、グラスを受け取った。吐くほど受け付けないものを涼しい顔で飲む自信がなかったからだ。
そして、恐る恐るストローを吸った。口の中に飛び込んできた炭酸水は遠慮がちに舌を叩く程度で、確かに味は普通の水のようだった。と、安心した瞬間わずかに違和感。
失念していたが、グラスの底には圧倒的な存在感でサクランボが転がっていた。本来は素晴らしいアクセントなのだろう。けれどホオグロとしてはいらないお世話であるため、顔をしかめる。

「あ、炭酸苦手だった?」

 いたずらな笑みでみょうじは言った。ちょっと、と答えてグラスを返す。

「いい加減何してる人なのか教えてよ。」

みょうじはゆるゆると炭酸水を飲んでいる。

「なーんにも。いっつも遊んでるよ。」

 女の子にお茶おごってもらってね。と加える。

「えーうそ、じゃあヒモなの?いい服着てるのに。」
「まあそんなとこかなぁ。」
「違うでしょ。・・・わかった、私がCCGだから隠してんでしょ。」

 生唾を飲む。さっきのサクランボの生臭さがまだうっすらとあった。

「大丈夫よ。よく一般の人に、ケーサツみたいなもんだと勘違いしている人がたくさんいるんだけど、そんなことないから。基本喰種しか追っかけないし。それに私すごい下っ端だし。脱税とかしてても内緒にしてあげるよ。」

 喰種であるホオグロとしては大丈夫ではないが、今のところ彼女の見立てではヤバい仕事で荒稼ぎの兄ちゃんと言った様子。

「ねえだからちょっとくらい教えてよ。ずっと私の話を聞いてくれるばかりで、自分のことはぐらかしてるじゃない。」
「君の話が珍しいからさぁ。それに、聞きジョーズってやつだと思うんだよね。」

 事実ホオグロは聞き手に回ることが多い。普段は飽きるほど付き合いの長い男どもか必要事項以外は話してはならない仕事相手しか関わりがないし、人間の女をナンパしても大抵相手の話を聞く。聞かれても受け流すのをむしろ楽しむ。すると女も、こいつはヤバそうだ、とある程度察する。
そもそもじゃあお茶に行きましょう、という段階まで到達するのも珍しい方だ。白スーツに色素の薄い髪のへらへらした男。いくら東京とはいえ、一般的ではない。

けれど目の前の女は喰種捜査官でありながら初めて会った怪しい男にお茶を奢り、自分の生い立ちをべらべらと喋り、アウトローな雰囲気をものともせずデート時間最長記録をぶっちぎって更新し続けている。

 みょうじはCCGになんの愛着も誇りも感じてはいない。聞けばかなり貧乏な家庭の生まれで、母親に幼いころから言い聞かせられていたことがあると。
 貧乏だって嘆くことないわよ、喰種捜査官てかっこいいでしょう。いい学校へ行くよりも捜査官の学校へ入れば、お金はかからないのにあんなかっこいい仕事でお給料はいいのよ。
 「売りに出されたようなものよ」と呟いたみょうじは、心臓だけ少女のまま置いてけぼりにしてここまで来てしまったようだった。彼女の心や思考の最も内側に少女の幼さが見て取れた。
 幼女趣味はないが、その憂いを晴らしてやりたくなった。そこで僕も、と言った。
「ホオグロさんも?」
「まあその、売られてはない、か。どっちかっつーとといなくなったっていうか。」
 みょうじは一緒にしてくれるなと思うかもしれない、と慣れない共感を後悔した。しかしみょうじは慈しむように私たちは一緒ねと微笑んだのだった。
 人間の女の子に共感をするなんてはじめてのことだ。他の女との会話はひたすら無機質で、そういう意味ではみょうじがホオグロにとって初めて”女の子”と認めた存在である。
 そして”女の子”に出会うのは後にも先にもみょうじだけかもしれない、と思いつつ時間を確認。およそ2時間。このタイムを塗り替える猛者もきっといないだろう。

「わかった、国を追われた王子様。」
「違いまーす。みょうじちゃん飽きてきたでしょ?そろそろお開きかな」
「うーんそうね。そろそろ行こっかな」

 みょうじはサクランボをひょいと口に含み、器用に種を紙ナプキンに移した。人間はこれを色っぽい動作と見ると聞いた。喰種はそうは思わないはずだが、ホオグロはまるで自分の心臓でも食べられたかのようにはっとした。

「また愚痴聞いてね。」
 もちろん、とは言えなかった。恐らく二人が仲良くお茶を飲むのはこれが最初で最後だ。仮に再会するとすれば血で血を洗う戦場に違いない。近頃CCGとアオギリの樹周辺の喰種の衝突が多い。いつ真向対決と相成ってもおかしくはない緊張状態だった。そんな世界でみょうじが生き残っていけるとはとても思えない。
「そうしたいけど、僕スマホとか持ってないしこれが最後かもねぇ。なんせヒモだから。」
「良心的なヒモだね。―――私暇なときはよくこのお店に来てるの。だから、また会おう。」



 帰り道は珍しく大通りを歩いた。なんとなく、人間の真似事をしたい気分だった。それにもしかしたら、先ほどの店の位置を覚えておこうとしているのかもしれなかった。
ビルの大きな液晶ではアイドルか何かの女の子が、炭酸飲料を飲み干して「夏はコレ!」とウインクする映像が流れている。夏なんて暑いのくらいしか印象がなかったが、さっきみょうじと飲んだ不思議な飲み物とあれとが同じようなものならば、確かに夏の飲み物だと納得したのだった。



 根城に戻ると案の定ナキと承正、死堪くらいしかいない。いつもならば今日はどんな女をひっかけてやっただのと武勇伝を一通り話すのだが、みょうじに関してはあまり話す気が起らなかった。CCGの女に奢らせたというのは自慢できるかもしれないが、なんで殺してやらなかったのだと言われかねないし、みょうじのことを誰かと共有したいわけではなかった。一人で、少女の心臓の行方を思っていたかったのだった。
「近々、アオギリの樹全勢力でCCG本部を叩くらしい。」
 承正の言葉で、脳内の少女が血に染まる。
「・・・あれ、赫子使いの人間のことがあるんじゃねえの。ムカデのことは?」
「ああ、嘉納がサンプルを分析した詳細がまとまったそうだ。ムカデは敵ではなくなると上から。」
近々、みょうじは死ぬのかもしれない。そして嘉納の研究の材料にされてしまうのかもしれない。彼女の心臓がホルマリンに漬けられたなら、あの炭酸水のサクランボのようだろうか。



 翌日、ホオグロは昨日の店に開店間近の時間を狙って訪れた。テラス席の掃除に出てきた若い女の店員をつかまえ、みょうじのことを尋ねた。みょうじが常連であることや、ホオグロが目立つ容姿をしていたことが幸いしすぐに店員は昨日の来店を思い出してくれた。そして一度店の奥へ引っ込むと紺色の男物のハンカチを持って戻ってきた。
「これ、昨日忘れていきませんでしたか?」
「いや、違いますけど」
 ホオグロたちが座っていた席にあったというが、まったく身に覚えがなかった。
「じゃあ誰のかしら・・・」
「それ、私のです。」
 振り返るとみょうじがそこに立っていた。そして驚く店員から丁寧にハンカチを受け取りお礼を言った後で、
「ホオグロさん、昨日振りね」
と微笑んだ。



 細い路地を歩きながら、ホオグロはみょうじが丁寧にハンカチを鞄にしまった様子を、大切そうに見つめる様を思い出した。ホオグロだけを見つめて、自分の過去を包み隠さず話してくれた昨日とは打って変わってハンカチについて一言も触れないでいる。そのかわり、みょうじは、すでに死んでいるのでは、と疑うほど深く小さな声で言った。
「近くね、喰種の大きい組織を潰すことになった。」
だから今度こそほんとに最後。
「戦わないで済ませられないもんなの?」
 対立する側としてはおかしい質問をする。
「そんなの、私は下っ端だから決められないんだよ」
 ホオグロも同じだった。
「――――死ぬんだね。それでも、仕方ないんだね。」
 そして、とうとう言うことに決めた。
「みょうじちゃん、一緒に来てよ。」
「・・・どこに?」
「僕の行くとこ。まだ・・・決めてないけど」
 しばらくみょうじは黙っていた。街の蝉が盛りだ。
「いいかもね。もう、どことか決めずにどっか行こうよ。」
「あまり乗り気じゃないみたいだけど。」
「・・・とりあえず、喰種捜査官だから。いなくなったらお給料もらえなくなっちゃうし。」
「そうしたらお母さんが困っちゃうんだね。ねえそんなことどうだっていいよ。」
 ホオグロはみょうじの手を取り、顔を覗き込んだ。しかしみょうじは宥めるように言う。
「どうだってよくないんだよ。お母さん、私を育ててくれたから。」
「他に一緒に行けない理由があるんじゃないの?さっきの・・・ハンカチの、男とか。」
 その男がきっと、みょうじの心臓の行方だ。
「あのハンカチ・・・・あれは、お父さんのなの。」
「・・・お父さん?」
「若い時、お母さんがお父さんにプレゼントしたんだって。私が生まれる時にはもうお父さんはいなかったから、遺品、て感じ。」
 確かに、その男がみょうじの心臓の行方には違いなかった。しかし事態はどんどん暗がりに落ち込んでいっている。

「お父さん、喰種に殺されたの。」

 二人で逃げるしかない、と思っていたのに。彼女を解放してやらねばならないと思ったのに、ホオグロには理由がなくなってしまった。彼女は母親を嫌ってなどいない。置いて逃げるなど少しも考えていない。唯一と思ったのはホオグロだけで、みょうじはホオグロのことをそう思っていない。むしろ、仇のようなものかもしれない。

「じゃあ、君にそこから逃げる必要はないわけか」
「そうね・・・せっかくだけど、」
「みょうじちゃんはひどいなあ。」

 みょうじは良くってもホオグロは良くないのだった。彼女を放ってやるというメッキが剥がれてはしまったものの、根底にはホオグロがみょうじと殺し合わねばならないことに(結局はホオグロがみょうじを殺すだろうことに)耐えられないという事情があるのに変わりはなかった。

「ひどい?」
「僕はさぁ、みょうじちゃんが死んじゃうの、嫌なんだよね」

 ホオグロの言葉に、みょうじは薄らと微笑んだ。

「ありがとう、私もホオグロさんとまたデートしたいし、できるだけ死なないようにするから」
「違うよね。僕のためじゃない、お母さんのためじゃん。あと・・・そんな大きな作戦でみょうじちゃんは生きて帰れないよ、絶対。」
「ホオグロさん、作戦のことよく知ってる風に言うんだね。」
「まあちょっとね。こっちの作戦もそっちの作戦もちょっとずつ知ってるよ。」
「・・・・どういうこと?」
「みょうじちゃん知ってる?僕たち下っ端はこんな大きな作戦では死ぬことが前提なんだよね。みょうじちゃんはCCGの、僕はアオギリの最前配置ってとこかなぁ。」

言いながら現した正体に、みょうじの目が釘付けになる。すぐそこにある大きな瞳に、自分の赤い瞳が映り込んでいる。

「みょうじちゃんてほーんとバカ。こんな得体のしれない男にナンパされてついてって、挙句にお茶代払って自分の身分ベラベラ喋って。こんなに君のこと大好きなヤツがいるのにはい死にますってさ。」

ぽかんと立ち尽くすみょうじの両肩を掴んで壁に押し付けた。

「僕もすっげえバカ。もともと勉強なんてできないけどさァ、喰種が人間好きになったっていいことなんかねえの知ってたはずなのに、上手くいくんじゃないかなとか・・・思っちゃったんだよね」

喰種、と呟いたみょうじの顔のラインを上から下へ、なぞるように撫でる。

「ねえひどいよね、死んじゃうなんて。僕に殺させるつもり?僕以外が殺すの?だめだな、どっちも。」

いずれにせよ、もうホオグロに帰る場所はなかった。みょうじと殺し合わないためには白スーツの一味から離反するしかなく、そうすれば自ずとアオギリの樹からの離反に繋がる。結局のところ立場が危ぶまれているのはホオグロの方だった。

「ど、どうせ死ぬんなら一緒・・・って、言ったら・・・?」
「そんなこと言わないでよ。」

頬にあった手を首筋に滑らせる。首には大きな血管が通っていて、ここをかっ裂けば殺せるのだと、小鳥のような脈が教えてくれている。

「一緒に逃げてよ」

ホオグロの心臓は、あの日炭酸水の海に沈んだまま。彼女の心臓もホオグロに囚われるのが、きっと正しい。

Ash.