ながく染みついていた(後篇)

ジェイドとフロイドが監督生さんを寮へ送り届けようと動き出したときに、私はやっとの思いで足を動かす事ができた。出来る限り、その場から離れたくて何も考えず、ただ走った。校舎から離れたところで、息を整えようとするが、ある程度時間を置いても息がうまく出来ないのは陸の上だからだろうか、砕け散った恋心のせいだろうか、それとも、自分の存在理由が分からなくなったからなのだろうか。草木に囲まれた石壁に寄りかかりそのままズルズルと腰を下ろした。ぐすぐすと泣くのは今日までだ、1日くらい泣いてもバチは当たらないだろう。明日からはジェイドと離れる事に専念しよう、だから今日だけだ


「っるせーなァ…ピーピー泣いてんじゃねーよ」


上から降ってきたという表現が一番似合う。木の上で寝ていたであろう、百獣の王が降ってきたのだ。もう夜だと言うのに寮に帰らずに何をしてるのなど思うが私も同じなので声には出さない。髪の毛を掻き上げながら、尻尾がゆるりと動いている。


「あーっ!レオナさん!もう戻るっ、ス、よ…なまえ?何して…え、泣いてんの?なんで?もしかしてレオナさ」

「俺じゃねーよ!!ッチ…上で気持ちよく寝てたら下からピーピー声が聞こえてきたんだよ」

「えっ?あー…、なんとなく分かったっス。もしなまえが良ければなんスけど…」

「?」

サバナクロー寮こっち、来るっスか?」


どうせ寮には帰らないつもりでしょー。と笑うラギーに私の涙腺は崩壊した。レオナさんがごちゃごちゃ言ってるが私は無視して一緒にサバナクローへと続く道を歩いて行き、ラギーの部屋に泊めてもらった。話を聞いてもらうと、ラギーは相槌だけをして、ずっと話を聞いてくれた。おかげさまで自分の状況を再確認できたし、明日から自分がどうすればいいのかも分かった。おやすみ、それだけ言うと、ラギーは、おやすみッスと言いながら、スマホをテーブルの上に置き、ソファーへと横になった。


翌朝、私は早めにオクタヴィネルの寮に戻り、身支度をして授業に参加した。その間、やはりジェイドからの連絡はなく、食堂ではフロイドとジェイドに囲まれて食べる監督生さんがいた。私はなにも言わずにサンドウィッチを片手にラギーとレオナさんが居る場所へと向かった。そんな生活が、まさかの一ヶ月半程続いている。最初は、自分の寮に帰れ、こっち来んなうるせーなど言ってたレオナさんだが、今はもう何も言わずに、こちらが話せば適当に相槌を打ってくれる程にまでなった。なので今日も一緒に植物園でご飯を食べていた訳だが、いつもと違ったのは、レオナさんと二人きりで、そのレオナさんがめんどくさそうな、なんともいえない顔をしてこちらを見てきたことだ。


「お前、ジェイドとちゃんと話したのか?」

「えっ…」

「あー…ッチ、めんどくせーな。てめーらが良い仲って事は見てりゃ分かるし、お前が女って事も知ってる」

「…………」

「野生の勘だよバーカ。…ラギーは喋ったりしねーよ。」


ラギーを一瞬たりとも疑ったことを悔やんだ。親切にしてくれてるのに本当にごめんなさいラギー。それにしても、ジェイドとの距離は空いているし、そのまま自然消滅を狙っていた訳だが、そう簡単な話ではないらしい。それもそうだ、今はサバナクローにお世話になっているが、いずれはオクタヴィネルに戻らなきゃならないし、いつまでもジェイドから離れておくことなんて、きちんと別れなければ出来ないのだ。連絡も一切ないし、別れ話なんてすぐに終わるはず。きちんと縁を切るなら切れということをレオナさんは言っているんだ。「ありがとうございます、今日ジェイドと話してきます」とレオナさんに伝えて、私は足早にその場を離れ、スマホからジェイドの名前を探し、久しぶりにメッセージを送信した。


"今夜、部屋に言っても良いですか?お話したい事があります"


頑張れ、わたし。今日で全てが終わる。思ったより返事はすぐに帰ってきた。ただ、"お待ちしております"と一言。もう泣く事も、傷付く事もない、あの日に泣いて全てを流してしまったから。大丈夫、私は上手くやれる。自分の気持ちを整理したいので一度別れたいと伝えよう。別れて貰えれば、後はこのまま距離をジリジリと離していくだけだ。午後の授業もおわり、夕食後、私は一人、ジェイドの部屋へと向かっていった。今日はジェイドのシフトは休みと言うので、このフロアにある残り3つのうちアズールとフロイドの部屋には誰もいない。残り一つは私の部屋なので、もちろん、そこにも誰も居ない。部屋の前に立ち、軽くノックをする。中から"どうぞ"とジェイドの声がして心臓がバクバクと音を立てる。大きく深呼吸をして、いつも通りの表情をして、私はジェイドへと続く扉を開けた。久しぶりに入ったジェイドの部屋は相変わらず小綺麗にされていて、一歩ジェイドの部屋に入るだけでジェイドの匂いに包まれる。


「お久しぶりですね、なまえ。さあ、こちらへどうぞ」


私の手を優しく取り、ソファーへと導かれる。そのまま流されるように、私の大好きなミルクティーがジェイドによって用意され、"貴女の好きなお菓子が手に入ったんですよ。"とニコニコとお菓子の準備を始め、まるで元に戻ったんじゃないかと錯覚してしまう。そこで私は焦って、次に起こす行動を、シナリオを間違えてしまったんだと思う。


「…ジェイド!」

「どうされました?」

「私、今日は、大事な話をしに来たの…」

「そうでしたね、どのようなお話ですか?僕で良ければ何でも聞きますよ」


ニコニコと愛おしそうに見つめられ、うっ…となるが、掌をぐっと握って、私は言葉を放った。


「私と、別れてほしいの」


一瞬の事だった。ジェイドの目が大きく見開き、弧を描いていた唇が直線を引いた。そして身体がソファーへと倒れていったかと思えば、腕と腰が一気に重くなった。痛いと言う声は出すことができなかった。いや、そもそも声が出せるような状況ではないのだ、あからさまな殺気というものを直に感じた事はない、この感情は、恐怖だ。


「僕の聞き間違いでしょうか…別れたい、なんて虫唾が走るような言葉が聞こえたのですが」

「言っ、たわ…わたしと、別れ、て…ジェイド 」

「貴女が居ない一ヶ月半の事はよく知ってます。レオナさんにでも惚れましたか?ラギーさんですか?…まあ、どちらでも構わないのですが。貴女はなにか誤解をしているようですね。まず、僕は貴女の事を愛してますよ。…海の底よりも深く、深く、愛しています」

「貴女が僕の気持ちがないと思い始めたのは、フロイドが監督生さんに興味をもった頃でしょう?その後モヤモヤしている期間があり、あの日、アズールに交渉をし、監督生さんの肩を抱いている僕を見て、気持ちが離れていってると感じて、距離を置いて自然消滅を狙った…そんなとこでしょう。しかし、それは大きな間違いです。だいたい、僕はフロイドが監視をするようアズールに言われて居ました。あの時、僕が目を離した瞬間にフロイドがふざけて監督生さんに突撃していき足を捻った監督生さんを僕が抱き留めただけのこと…まあ、貴女に伝えなかった僕も悪いですが」

「違う男の部屋で寝泊りするのは…いかがなものかと」


グググっと手首に力が篭り思わず顔を歪める。ただでさえ、ジェイドは憤怒している。愛されてないなんて私の勘違いだった、わたしは間違った、そもそも焦って別れ話をした時点で間違っていたのかもしれない。きちんと"話をすれば"すれ違う事なく済んだのかもしれない。でも、それはもう遅いのだろうとジェイドを見ながら思った。


「不愉快ですね…貴女から違う"オス"の匂いがするのは…」


首筋に顔を沈めながらジェイドがそう言った。そのままガブリと食べられてしまいそうで怖い、怖いのだ。ジェイドの舌が首筋を下から上へと辿っていく。声が、出ない


「なまえ、僕は貴女の事を愛しています、ですので、今まで貴女が笑顔で居られるように努めてきました。なので、"愛"が伝わっていれば、今回も大丈夫なのではと思ってましたが…」

「それだけでは、"愛"が足りなかったみたいですね」

「貴女がこれ以上不安にならないように…僕から離れたいと思わないくらいに、」




「貴女を愛してあげます」




恍惚とした表情をしたジェイドに、私はもう逃げようなんて思わなかった、いや、思えなかったのだ。ジェイドの唇が離れ、中から長く尖った歯がチラリと見えた。そのまま、私の首元へ、がぷりと歯が皮膚を通り越して肉まで貫通した。



「骨の髄まで、僕を感じてください」



ふふふっと幸せそうに笑うジェイドに、私はもう何も考えられなかった。




「ねぇアズール〜ジェイド止めなくて良かったのー?」

「構いません、全てはあの二人の問題ですし、この一件で彼女が僕たちから離れていく可能性が無くなりましたし、あの期間のジェイドの相手をした僕の身にもなって頂きたい。彼女が居てくれれば、それだけで僕は構いません」

「アハッ!アズールってば、ひっでー!!」

「うるさいですよ!さあ、開店の時間です!ジェイドが居ない分働いてもらいますよ!」


ニヤリと笑ったのは、どちらだったか、それとも、両方だっただろうか。




後篇 end






(「レオナさんも悪いッスねえ〜」

「俺は"話をしたのか"と聞いただけだ、"別れ話"をしたのかとは言ってねーよ」

「シシシッ、でもまあ、あの人はジェイド君から離れられないっすよ」

「離してもらえないの間違いだろうがよ」

「…まあ、幸せならそれだけで良いんスけど」

「お前も報われねーなァ…ラギー」

「そんなんじゃねーッス…まあ、俺は優しく見守るタイプなんで!て、レオナさん、また午後の授業サボるつもりでしょー!」

「っるせーなぁ…ッチ、お前は俺の母親かよ」)