果たして形ある答えで終わるのか

人魚の学校には、陸の生物が通う学校に比べたら、数が少ないだろう。だから、いじめがあっても、それは一時的なものではなくて、半永久的に続いていくのだ。目の前で、しくしくと泣いているタコの人魚の彼も、その対象なのだろう。先生に教室へプリントを運ぶよう言われていた私は、プリントを貰って教室へと戻ると一人泣いている彼を見つけて、そう思った。昼休みの誰もいない教室で、机にへばり付きながら大きな身体を上下に小さく動かしている彼は、思ったよりも泣き声が小さかった。どうしたものか、声をかけるべき?話した事ないし、あの子は泣いてるし…名前は確か、


「アズール…?あ、」


ビクッと揺れた大きな身体、そこから見えた顔は涙に濡れていて、でも、こちらをキッと睨みつける目にドキリとした。目元を余計に赤くなりそうな勢いで拭った彼は「ボクに話しかけるな」と一言だけ、ハッキリと言った。


「ごめんね。あ、プリントあるから先に渡しとくね」


そう言ってアズールの元に足早に向かい、手に持っているプリントの内、一枚を渡した。手ではなく、タコ足でサラリと受け取った彼は、まるで用は済んだだろ、早くあっちへ行け。と言わんばかりの顔をしてきたので、私は無言で彼から離れた。それが、彼との最初の出会いだった。

それから同じクラスだろうが、話すこともなく、ただただ時間が過ぎていった。その翌年だった、彼が他の人魚から、"グズ"、"のろまなタコ"などと蔑まれていた光景をみたのは。そして、悔しさと憎しみが入り混じった目をしたアズールをみたのは。涙がもうすぐ溢れそう、そう思った時には私は彼の前に立っていた。何も考えて居なかったので、もちろん、次に起こす行動なんてものも考えちゃいない。いじめっ子達は急に出てきた私に少し怯んでいる、アズールの手を急いで掴み、一生懸命尾びれを動かしてその場を離れる。誰もいない海藻の中に隠れ、無理矢理連れてきたアズールを横目で盗み見るが、彼は下を向いたまま動かない。どうしたものか、と考えていると、小さな声が聞こえた。


「…なんで助けたの」

「えっ…?あっ、だって、アズールが泣きそうだったから」

「なっ、泣いてなんかない!」


ぐわっと顔を上げたアズールは、すでに目から大きな雫が溢れていて、思わず笑うと、アズールは顔を赤くしながら次はそっぽを向いてしまった。


「あははっ、…ねえ、アズール。私はグズで、のろまなんて思わないよ。そりゃあ、口では何とでも言えるだろうけど、キミが努力してる事は分かるし、きっとこれからも、キミは努力し続けるんだろうね。正直、あんな口だけの人魚たちより、キミの方が優れてると思うよ。」


ぽろんっ。またアズールの目から雫が落ちた。ポカンとしているアズールの目の前で手を振れば、「あっ貴女に言われても嬉しくも何ともありませんね!!」と言ってその場を立ち去っていった。小さくなっていく大きな背中を見ながら、「本当のことだよー!」と言ってやる。ビクッと身体が揺れるのが面白くて、笑いが止まらなかった。


その頃からだった、彼との関係が少しずつ変わっていったのは。まずは良く目が合うようになり、私が困っていると、すかさず助けてくれる、そのため必ず近くに居るようになった。友人からは、「え、なまえってばアーシェングロットから好かれてるの?恋?いいね!」と何故か推されたが、恋とは違うのだ、かと言って、友人でもない、不思議な関係である。いつの間にか彼はヤバイと噂のウツボの兄弟と仲良くなっていたみたいで、彼が私の近くに居る時には同時にウツボ兄弟が側にいる。ちなみに、アズールを馬鹿にしようものなら、やばいウツボ達に皆絞められて、今ではアズールに文句を言う人魚なんていなくなった。ミドルスクールになると、彼らと同じクラスになり、ウツボの双子の兄弟である、ジェイドとフロイドとも自然と話すようになった。


「ね〜え〜俺すんごい気になってんだけど、なまえってどうやってアズールと仲良くなったの?」

「別に、特に何もしてないよー。それに、仲の良さはキミ達の方が上でしょ?じゃあまた明日ね、フロイド」

「えー!まだいいじゃーん!」


はいはい、また明日と軽く流しながらアズールにも一言かける。最近のアズールはまた痩せていて、出会った頃の影が全くと言っていいほどない。ニコリと、人畜無害そうな笑顔で「ええ、また明日」と笑うアズールは本当に私が知っているアズールなのかと疑うほどである。それと同時に学内で色々な噂が流れるようになった。何かを代償に、自分が欲しかったものを手に入れることが出来るというのだ。それから一ヶ月、半年と時間は過ぎていくと、今度は私に変化があった。毎朝と言っていいほど、私のロッカーの中に泥が詰められているのだ。それだけなら我慢しているが、最近は机にはカッターの刃や、画鋲など、怪我をしそうなものばかりで、嫌よりも怖いという気持ちが勝ってしまっている。後ろではクスクスという声も聞こえて、うしろをちらりと見れば、金の長い髪をした人魚達がこちらを見ていた。この長いイジメの犯人はあの子達なのだろう。ずしん、と心が重くなる。あの子達は確か、リーチ兄弟とアズール達に恋心を抱いていると聞いたことがある。人魚達から逃げるように、私は学校の外にある背が高い海藻の中へと逃げ込んだ。ぐすんっと思わず泣いてしまうのは、仕方のないことだと思う。リーチ兄弟とアズールから離れれば問題はないのだが、自分達のせいで私が虐められていると知れば流石に気を遣わせてしまう気がする。…たぶん、少しは気にしてくれるだろう…たぶん。


「こんなところにいらしたんですね。貴女は全く、昔から海藻が好きですね」

「アズール…?」


長いタコの足を器用に使い海藻をかき分けてこちらへと来たのはアズールだった。機嫌がよさそうに、私の元へと向かってきたアズールは、私の横にゆっくりと腰掛けた。


「あの時もそうだった、そう、僕が貴女に助けられた…あの時連れて行かれた場所も海藻の中だった。」

「なまえさん、あなた、いじめられてますね?」

「っ…うっ、」


目から雫が何粒も溢れて来る。その涙を、いつもより優しい顔をしたアズールの指が優しく拭き取ってくれる。


「なまえさん、わたしの噂はご存知でしょう…?」

「アズールの、ユニーク魔法…?フロイドから聞いたよ、」

「ふふふ…では、貴女の悩みをボクに話してくれませんか?」

「でも!…私は何もアズールにあげられないよ?」


そう言うとアズールはとても大きく笑った。まるで、今のこの状況をずっと待っていたかのように。アズールのタコ足が私の腰や尾びれに絡みついて、距離が一層近くなった。おもわず、「アズール近い…」と言ったが、彼の耳には入っていないようだった。そのままギュッと抱き寄せられ、彼の全身を使って抱きしめられた。そして囁かれる、


「"貴女"があるではありませんか。」

「えっ…わたし?」

「はい。ボクは、"貴女"がほしい。貴女をボクに渡してくれるのであれば、貴女を助けて差し上げられます。さあ、どうします…?」

「助けて、くれるの…?」

「ええ!もちろんです!」


この状況から抜け出せれば、それだけで良いと思った。だから私は、


「私を助けて、アズール…私の全てを、あなたにあげる」


そう言った瞬間だった。ジェイドとフロイドが何かを手に持ってこちらへ現れたのは。


「はい、これが貴女を助けた証です」

「すっげームカついたから、ボッコボコにしちゃった」


語尾にハートが付きそうな程にニコニコうっとりと話すのは、両手に先ほど私が見た金髪の人魚達だった。彼女らは、動かない、


「大丈夫です、生きてはいますよ。まあ、顔は元に戻るか分かりませんが…」


ふふふと話すのはニタリ顔のジェイドだ。フロイドはぽいっと手に持っていた3人程の人魚を地に投げるようにおいた。アズールを見れば、彼もニコニコと何も言わずに、私をぎゅっと抱きしめている。


「ア、アズール、あの」

「これで貴女が今後いじめられる事はありませんよ。ジェイドとフロイドに貴女を助けるよう指示をしておきました。ふふ、貴女が、僕と契約しなくても助けますよ。貴女は僕の大事な人なので。でも、まあ…契約をしてしまったのは仕方のない事です。貴女は一生ボクのモノになりますが、よろしいですか…?」

「ありがとう…アズール、」

「大した事ではありませんよ。では、先に教室へお戻りなさい。僕たちは少し用がありますので」


じろりと横目でジェイドとフロイドの方をみるアズールに、わたしはお礼をもう一度言い、もちろん、ジェイドとフロイドに対してもお礼を言って教室へ向かった。良い友達を持ったなと思いながら。


「ぶふっ!!アハハハハッ!!アッアズールってば!!全く気付かれてないじゃん!!」

「うっうるさいですよ!!あの人は少しばかり鈍いんです!!!」

「ふふっ…ぶふっ…そうですよフロイド、そんなにわらっ…わらってはアズールが可哀想です、あ無理ぶふっ」

「ああああもう良いです!!!僕は彼女の元へと行きます!!」

「えっ、"友人"としてですか?」

「あーはははは!!!もう腹が捩れるっ…しにそ」


ぷんすかと茹でタコのようになり彼女の元へと行ってしまったタコの足をみながら、双子はニタニタと笑っていた。


「ねえ、ジェイド」

「ええ、フロイド」

「ちゃんと、契約しないなんて、アズールもまだ甘いねぇ。契約して本当に自分だけのものにすればいいのに」

「そうですね。でも彼は、心から彼女が欲しいんでしょう。」

「ふーん…恋って言うの?面白いね」

「ええ、面白いですね、フロイド」

「でもこれでなまえは"オレ達"のになったね」

「とても、喜ばしい事です…」


ニタリ。大きな口が喜びの声を上げる。面白いタコの彼も、お人好しで鈍い彼女も、オレ/僕達のもの。