俺の原動力

 ほいっとバスケットゴールに向かってボールを投げてみた。ボールが歪な放物線を描いて落ちていく。

「…下手」

 ガンッとゴールの淵に当たって跳ね落ちるボール。
 彼の棘のある言動にムッとした顔を向けると、彼は涼しげな顔のままだった。

「バスケ未経験だもん」

 私は彼、流川楓と幼稚園の時からの付き合いだ。小さい時から楓ちゃんの側にはバスケがあった。そして、私もいた。
 けれど、私が彼と同じようにバスケットをすることは無かった。
 私はただ楓ちゃんがバスケをする姿を見るのが好きなだけ。

 こうして同じ高校に進学し(彼同様、自宅から近いという理由もあり)放課後の練習を終え、その後、自主練をする楓ちゃんに時折付き合ったりする。

「楓ちゃんがシュートを決める瞬間を真似してやってみたんだけどなぁ」

 楓ちゃんのシュートはあまりにも自然にボールが吸い込まれていくから、初心者の私は簡単に出来るものなのかと勘違いしてしまう。

「楓ちゃん、簡単に入れちゃうから」

 私自身、随分と生意気な言葉を口にしたと思った。彼は、はぁ、と息を吐き、首を振っている。切長な目がジトっと、呆れている様である。
 それでも彼は私に「練習の邪魔」とか「先に帰れ」とも言わない。
 そんな彼の無口な優しさに甘えた。
 ボールを拾い上げ、リングから捌けると、ダンダンダン、とボールの跳ねる音が耳に響いた。楓ちゃんは走り出した。
 試合の時とは違って、肩の力を抜いた軽い動き。それでもとてつもない威圧感が表れている。
 シュートを決める瞬間は時が止まった様に見入ってしまう。ボールはすぽりとゴールに入った。まるで吸い込まれていくように。

「ナイスシュート!」

 私の声は思った以上に体育館に響いた。楓ちゃんは当然だというようにボールを掬い上げ、またドリブルをする。

 ふと、先程まで行っていたバスケ部の練習風景が脳裏によぎった。
 最も鮮明に彷彿したのは桜木くんだった。桜木くんは春子ちゃんの声援に応える様にリバウンドをして、幾つものシュートを決めていた。その度に春子ちゃんの方を見て、照れた顔でピースをする。
 好きな子にはいいところを見せたい。
 桜木くんの春子ちゃんに対する想いが見え見えで、でもそんな姿が微笑ましくて、今日のハイライトになったのかもしれない。

「春子ちゃんが羨ましいなぁ…」
「……は」

 何気なく呟いた言葉に楓ちゃんは振り返った。ドリブルの音は消え、静寂に包まれる。私は少し驚いた。まさか、楓ちゃんが私の何気ない一言に関心を寄せるなんて思わなかったから。
 私は口にするつもりがなかった言葉を今更なかったことにすることも出来ず、楓ちゃんに言った。

「春子ちゃんは桜木くんの原動力なんだよ」

 自分の応援がその人の活力になる。それがとてつもなく羨ましい。
 私は楓ちゃんとは比べものにならないくらいゆっくりとしたドリブルをしながら言う。すると楓ちゃんがあからさまな吐息をついた。かと思えば、私の方に近づいてくる。ドリブルを止めるか、と腕の中に収めようとした瞬間、

「わっ」

 ボールは簡単に私の手から離れた。楓ちゃんの切れ長な目が唖然とする私を捉える。

「ただのあほうだ」
「もう!楓ちゃん」

 そう直ぐに生意気をいう楓ちゃんを注意しようとすると、スパッとシュートが決まる音が響いた。楓ちゃんはスリーポイントシュートを決めた。ついさっきまで私の手にあったボールがあんなにも遠くにいってしまった。

「すごい…!ナイスシュート」

 やはり楓ちゃんは簡単にシュートを決めてしまう。誰の期待に応えるわけでもなく、自分自身に真っ直ぐなのだ。
 ふと視線を感じた。楓ちゃんがジッと私の事を見ている。何か良からぬことをしただろうかと首を傾げた。

「ん?」
「はぁ…」
「えっ何で溜息なの」
「…知らない」

 でた。何を考えているのか分からない楓ちゃんの溜息。いくら小さいときから一緒だとはいえ、言葉にしなければ分からない事が多い。
 ため息のわけを聞こうと言葉を発そうとしたら、楓ちゃんはドリブルをはじめ、シュート練習を再開した。

 しばらく私はコートの隅で、その姿を眺めた。キュッキュッと小気味よいバッシュ音が耳を撫でる。楓ちゃんがレイアップシュートを決める瞬間、上を向いた綺麗な横顔。額に伝う汗を荒く拭う姿。
 無口でクールな姿からは想像もできないくらい、熱い心を持った男の子。それが楓ちゃんだ。

「…帰る」
「はーい」

 楓ちゃんのその一言で今日の自主練習は終わった。

 帰り道。すっかりと日の暮れた暗い夜道をふたり肩を並べて歩く。楓ちゃんも私も特に言葉発する事はなく、かといってそれが気まずいわけでもない。
 無言が心地良い関係。

「あ、そういえば週末にある練習試合、観に行くね!」

 ふと思い出したことを口にした。週末は大抵アルバイトが入っており、なかなか練習試合に顔を出すことが出来ない。けれど今週末は珍しく、休みを取ることが出来、丁度バスケ部の練習試合も相まって、応援に行く。

「珍しくバイトお休みなの」と隣を歩く楓ちゃんに笑みかけると、楓ちゃんはチラッと私に目を向けた。
 何か口にするかと首を傾げながら待っているが、自転車の車輪が回る音と猫の鳴き声しか聞こえなかった。

(応援、来てほしくないのかな…?)

 口にしないからその真相は分からないけれど、それでも私は試合を観に行く。たとえ私の声援が楓ちゃんの耳に届かなくても、楓ちゃんが大好きなバスケを全力でプレイする姿を見れたら、大満足だ。





 そして週末、練習試合の日。
 体育館は異様な空気感に包まれていた。敵チームも味方チームも観客も皆がその奇妙さに言葉を失っていた。
 けれど唯一、女子の黄色い声援だけはけたたましく体育館に響いていた。

「なんか今日の流川…自己中プレーじゃね…?」

 湘北チームのベンチに控えるメンバーがそう思うのも無理はない。試合開始から3クォーターを終えた現在まで、半分以上のポイントを流川が決めているのだ。

「おい!てめぇ!なんでパスしねぇんだよ!」

インターバルが訪れると早々に桜木が流川に噛みつく。すると流川はなんてことない素振りで言った。

「…俺がお前にパスすることはない」
「てめぇ!生意気言いやがって!」
「まぁまてまて桜木」

 流川に襲い掛かろうとする桜木を一年の部員たち総出で抑えつける。ガルル、と大型犬の様に唸る桜木。流川は涼しげな顔で水分補給をする。

「なぁ流川どうした」
「反抗期か…?」
「練習試合といえどチームの成長にも繋げたいのだが」

 と各々が流川のプレイスタイルを改めようとする。しかし、流川は無言のまま、そっぽを向くばかり。ついに皆の額に青筋が経つ。
 雰囲気の悪くなる状況にマネージャーの彩子は考えを巡らせた。
 ふと、流川の視線が一瞬、上を向いた。その瞬間を捉えた彩子は全てを理解した。

(流川のやつ…)

 彩子は困った顔で観覧席に目を向ける。その視線の先にいるのはユメコだった。

(これじゃあリョータや花道と変わらないじゃない)

「いてっ」

 合点がいった彩子は流川の頭をハリセンで叩いた。その姿に赤木でさえ口を閉ざす。彩子は流川だけに聞こえる様に声を顰めながら言った。

「ひとりで活躍するってのも良いけどね、あの子はあんたがチームでプレイする姿も見たいのよ」

 流川はハッと目を見開く。全てを見抜いた彩子に驚いている様だ。

「わかった?」と彩子が問うと、流川は「…うす」と渋々頷いた。

「よし!分かったなら次はつなげていく!いってこい!」
「…うす」

 そう返事はしたものの、結果的にこの練習試合は流川ひとりの功績で幕を閉じた。





 練習試合後、湘北バスケ部は通常練習をするほどのハードスケジュールだった。休日だという事もあって、体育館は早く閉められる為、自宅近所のストリートコートで楓ちゃんと合流する約束をした。

(楓ちゃん凄かったなあ…)

 試合早々からシュートを決めた楓ちゃん。中盤、終盤になってもその勢いは止まず、それと同じく声援も勢いづいた。女の子たちの甲高い声援。
 ギュッと胸が締め付けられる。

 今日観た試合を思い出しながら、ドリブルをしてみた。そして、ゴールに狙いを定めて、ボールを手放す。

「…下手」

 淵にかすりもせず、落ちるボール。楓ちゃんの静かな声が私の耳を心地良く撫でた。

「楓ちゃん、お疲れ様!」

 振り返ると楓ちゃんがいつもの無表情で立っていた。その姿になぜだか、安心する。


「今日凄かったね!それに楓ちゃんの応援隊…?も凄かった!」

 なぜだか、矢継ぎ早に言葉を発してしまう。

「私の応援なんてかき消されちゃうくらい…」

 凄かった、と口にした。すこしだけ悲しくて声が震えてしまった気がする。中学時代から楓ちゃんが女の子達からモテる事は知っていた。
 けれど、試合の時、あんなにもたくさんの応援団がいる事は想像もしていなかった。
 楓ちゃんがシュートを決めるたびにお腹の底から大きな声を出したけれど、全て彼女たちの熱い声援で埋もれてしまったに違いない。

「なんか、楓ちゃんが遠い…」

 そう自然と零れてしまった言葉。楓ちゃんには聞こえない様に小さな声で呟いたはずなのに、いつの間にか、楓ちゃんが目の前にいた。

「びっくりした…!」と目をぱちぱちさせると、楓ちゃんは吐息をつきながら「あのさ」と一言零す。

「はい?」
「この前言ってたこと」

 私は首を傾げた。

「えっと…どれだろう…?」
「原動力」
「ああ〜!原動力!うん、どうしたの?」

 突然、過去の会話を掘り起こすなんて楓ちゃんにしては珍しい。それほど楓ちゃんにとって印象深い話だったのかな、と考えていると、楓ちゃんが何か言いたげに口をもごもごとさせている。
 そんな楓ちゃんの姿があまりにも珍しくて、私はただ黙って言葉を待った。
 すると、決したように楓ちゃんの真剣な眼差しが私を射抜く。

「…ユメコが俺の原動力なんだけど」
「……えっ?」
「ユメコがいたから、良いところ見せたくて頑張れたんだけど」
「か、楓ちゃん…」

 頭がフリーズしてしまった。彼のバスケに対する思い同様、あまりにも真っ直ぐな言葉が私に飛んできた。

「わかんないよ…どう返事したら良いか…」

 私の頬は酷く真っ赤になってるに違いない。それとは反対に楓ちゃんは涼しげな顔をしている。
 ふと彼は「ふんっ」と鼻を鳴らし、荷物を置いてボールを手に取り、ドリブルを始めた。放心状態の私を置いて自主練を始める。

 私が楓ちゃんの原動力。
 突きつけられた真実がじわじわ心に染み入る。

「楓ちゃん!」

 私は精一杯に声を上げた。すると楓ちゃんは私の方に振り返る。

「次の試合も、その次の試合もなるべく観に行くから、だから…頑張ってね!」

 楓ちゃんの為に私が出来ること。

「おう」

 楓ちゃんは一言そう呟いて、ボールを放った。美しい放物線を描いてボールは吸い込まれていく。

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