どんなあなたも

「えっこれが寿くんなの…?」
「お前!勝手に見るな!」

 そう慌てて私の手からアルバムを奪った寿くん。頬から耳まで真っ赤に染まった顔を膨れっ面で見てやった。

 期末テストに向けて、勉強を教えてくれなんて言うものだから付き合ってあげたのに、中学時代の卒業アルバムをじっくり見させてくれるお礼があってもいいじゃないか。

 それにしても、衝撃的な1枚だった。サラサラ黒髪ヘアにキラキラとした笑顔。いかにもクラスの女子が瞳をハートにして見てしまう、好青年、中学時代の寿くん。
 私は目の前にいる、短髪、顔面喧嘩傷あり男をじっと見つめた。

「嘘だ…」
「嘘なわけあるか!俺だよ…俺…」

 寿くんは恥ずかしそうに下を向く。アルバムを背後に隠して、ペンを持ち、問題を解いてる風を装っているけれど、一問も進んでいないから気が気でない様だ。

 私もテスト勉強なんてどうでもいいと思っていた。それよりも彼の中学時代が気になって仕方が無い。

「信じられないからもう一回!」
「…嫌だ」
「ケチ」

 もう相手にしないと言わんばかりに教科書と睨めっこしている。けれど、教科書を見てもさっぱりなのだろう。眉間に皺を寄せて、今にも教科書を投げ捨てそうな雰囲気。

 どうやら、期末テストに向けて部活動にも制限がかかっているらしい。さらに赤点を取ってしまえば放課後を補習に奪われてしまう。寿くんにとって、それはとてもいたい。

 だからこうして、まあまあ勉強のできる彼女を頼るしかないと思ったのだろう。赤木君や小暮君を頼る手もあったのだろうけれど、恐らく私が一番、優しく教えてくれる、なんて考えたに違いない。

 こうして淡々と問題を解かせ、慣れさせる方法でテスト勉強を行っているのだが、実のところ赤点を間逃れるだけの必勝法を知っている。

 私はここぞとばかりに、
「ああ〜赤点だけは取らないようにする方法教えてあげるのになあ〜」
 これをエサに彼を釣ることにした。

 案の定、寿くんは片方の眉をぴくりと持ち上げ、
「なんだよ、教えろよ」
 それが人にものを頼む態度か、と心の中でツッコミつつ、乗ってきた寿くんをニヤリと見つめる。
「アルバム見せてくれたら…ね?」
 寿くんは歯をギリギリと食いしばった。寿くんにとって、何か恥ずかしい過去が思い出される写真なのだろうか。

 以前までのロン毛寿くんほど恥ずかしいものはないと思いつつ、それを口にすると意外に彼は素直に落ち込む。彼自身が深く反省しているからこそ湧いてくる感情なのだろうけれど。

 しばらくして、ついに寿くんはアルバムを背後から取り出した。
「わかったよ、ほら」
 手渡された私は早速、あの写真を今一度じっくり見つめる。
 バスケ部のユニフォーム姿でシュートフォームを決める寿くん。自然と口元が緩んだ。

「かっこいいし、可愛いね。きらきらしてる」

 まさに青春期をバスケに全力で注ぐ男の子という感じだ。
 チラチラと写真の寿くんと今の寿くんを交互に見遣る。すると、彼は「なんだよ」と恥ずかしそうに口を尖らせた。

「なーんでも」
「…もう良いだろ!」

 寿くんは赤い顔をそっぽに向けたまま言う。

「なんで、寿くん見ようとしないの?」

 私は寿くんのわざとらしく外す視線を不思議に思った。一体何が彼をそんなに臆病な気持ちにさせるのだろう?

 寿くんは言葉に落とし込めていない為か、弱い頭を必死に回転させているのだろう。眉をきゅっとひそめている。英語の問題が解けない事よりも苦しそう。
 次第にそんな寿くんが可愛く見えてしかたがなくなってきた。お手が出来ずにエサを貰えない犬みたい。

「寿くん」

 彼の肩にそっと頭を預けた。そうすれば、少しだけでも彼の心に寄り添える気がして。すると寿くんは一息ついて言った。

「この時の俺は…純粋すぎた」

 意外な言葉が出てきたものだから、私の目は意識せずとも丸くなる。

「自分がこの世で一番にバスケが上手いと思ってたよ。天才だってな」

 嘲笑する様に歪められた口元。視線を落とすと、古傷が目に留まる。

「けど、赤木や宮城、桜木や流川…天才たちが沢山いたんだ」

 彼の瞳が眩し気に細められた。その瞳にはコートで動く彼らの姿が鮮明に浮かんでいるのだろ。

「お前の見てる世界は思った以上に狭いぞ。上には上がいる。そう言ってやりてぇんだ」

 寿くんは漠然と心に思っていたことをようやく口に出来た事で、とてつもない満足感を得た様なすっきりと晴れ晴れとした顔をしていた。思わず、その表情に見とれた。
 上目遣いに見つめる私の熱い視線に気づいた寿くんは「なんだよ」と照れたように言う。

「ついこの間まで歯抜けロン毛だったとは思えない…」
「お前っ…やめろ…」

 彼は顔をそっぽに向け、口元を隠す仕草をする。

「早く、必勝法を教えてくれ」

 そう急き立てる彼をよそに、私は「でもね」と彼の首に腕をかけた。軽いハグ。ほんのりと寿くんのさっぱりとしたシャンプーの香りがする。寿くんにも私の甘やかなシャンプーの香りがするかな?

「私、中学時代の寿くんもカッコいいと思うし、ロン毛の寿くんもカッコいいと思う。けどね…」

 大きな手がそっと背中を撫でてくる。それが言葉を失ってしまいそうなほど、心地良くて口を閉じかけた。けれど、ここからが本当に伝えたいこと。大切な事。
 私は寿くんの目をじっと見つめて言う。

「今の三井寿が一番かっこよくて好きだよ」

 すると、寿くんの瞳がゆらりと揺らめいた。
 彼は本当に純粋で真っ直ぐな人なんだ、と思う。だから彼にはこれからもバスケを通して沢山の景色を見て欲しい。
 遅い事なんて何もない。過去を悔やむ必要もない。今の彼をつくり上げた過去の彼も大切な存在なのだ。

「ユメコ…」
 
 切なげな声で囁かれると、どうしようもなく、彼を愛おしく感じてしまう。ぎゅっとハグして、彼の首元に顔を埋めた。その刹那。突然、身体が浮かんだ。
 次の瞬間にはもふっと柔らかな布団に落下する。覆い被さる寿くんを見上げると、彼は苦し気に眉をひそめている。

「すまん…我慢できなくなった…」

 その一言に私は「あ!」と口を大きく開けた。

「ちょっと、べんきょ…!」

 ふと重なる唇。見た目に反して柔らかな口づけをする彼を止められる気がしない。

「あとで…」

 そう呟く彼ともう一度口づけを交わすと、私はもう、ん、と返事して、彼の首に腕をまわした。

backtop