恋したきっかけ

 リョータが早退した後、体育館では課外授業を終えた赤木が部員たちを集合させ、点呼をとっていた。ふとリョータの姿がない事に気づくと、彩子がため息交じりに事情を説明した。

「なに!?宮城に彼女!」

 赤木は初めこそ目を丸くして驚いたものの、すぐに呆れ顔になった。これまでリョータが何度か練習をサボることはあった。しかし、その原因はほとんどが喧嘩か補習で、彼女が原因で練習をサボるのは初めてのことだった。

「まあ宮城の事だ。しれっと戻って来るだろう」
 
 飄々としながらも、バスケ愛の強いリョータの性格を赤木は十分に理解している。

(彼女には悪いが、あいつにとってバスケは何ものにもかなわん)

「よしっ!練習を始めるぞ!」

 赤木の掛け声でその場の空気が一瞬にして締りをみせた。部員たちが準備のために捌ける中、三井と花道だけは思案顔でその場に突っ伏していた。

「なぁあいつのどこがかっこいいんだ…?」

 三井は今だリョータに彼女が出来たことが解せない様子だった。過去の自分と同じように喧嘩ばかりしていた男。さらには、マネージャーの彩子に対するあからさまな下心を醸し出していた男だ。
 それが突然、1学年下の子と付き合うとは…。

(分からん…!俺には分からない…!)

 女心がよくわからない三井の頭はパンク状態に陥った。そんな三井の背中をバシバシと叩きながら、花道は悪い笑みを浮かべて言う。

「みっちーもそう思うよな…!?いやしかし!リョーちんなんてすぐに飽きられるのがオチだ!ガハハハッ!!!」

 花道の高笑いが体育館に響き渡る。
 しかし、そんな花道に、

「…見苦しいぞ」

 赤木の矢のように鋭い一言が花道の胸を貫いたのだった。




 
 暖かな日差しを浴びながら、ベンチに腰掛け、リョータ先輩と過ごす放課後の時間は特別だ。 
 バスケや中学時代の懐かしい話をしていると夢中になって、リョータ先輩が練習をサボっていることなど、すっかり忘れてしまっていた。

「懐かしいな!あの時はさすがに女子バスケ部に怯んだな」
「はい、主将が凄かったから」

 中学時代の話をするとリョータ先輩の瞳がきらきらと輝く。
 
「おいおい、なに公共の場でイチャイチャしてんだ?」
 
 ふと、前方から如何にも雰囲気の怖い3人のお兄さん達がやってきた。一瞬にしてその場の空気が緊張感を増した。リョータ先輩の優しかった眼差しも鋭くなる。

「なんだ、お前ら。あっち行けよ」
「彼女の前だからってカッコつけんなよ」
「ああ?」

 彼らに迫ろうとするリョータ先輩のリョータ先輩の袖をぎゅっと掴んだ。私の手は少し震えている。

「リョータ先輩…」
「ユメコちゃん…大丈夫だよ」

 リョータ先輩は宥める様な優しい眼差しをわたしに向けた。リョータ先輩なら大丈夫。そう思いながらも不安は募るばかり。
 3対1なんてあまりにも無謀だ。それに喧嘩したことが学校にばれてしまったら停学にもなりかねない。

(リョータ先輩の大好きなバスケができなくなっちゃう…)
 
 私はリョータ先輩が彼らに襲い掛からない様に一層強く裾を握り絞めた。
 すると、リョータ先輩が私の手を握り絞める。ハッとして顔を上げると、リョータ先輩がジッと私の瞳を見つめていた。
 何となく、リョータ先輩が伝えたいことが分かった。私は大きく頷く。私の返答にリョータ先輩は白い歯を覗かせた。

「逃げるが勝ちだ!!!」
「おい!まて!」

 リョータ先輩の声を合図に私たちは走り出した。リョータ先輩の手に引かれながら私も全力疾走する。
 アスファルトの弾力で速く走ることが出来ている様に感じる。

(リョータ先輩に追いついてる…)

 ずっと追っていた背中。手を伸ばしてもすぐに離れてしまう。けれど今は、私の手を引いて一緒に同じ道を走っている。

(絶対に離さない…)

 私は一層ギュッとリョータ先輩の手を握った。





「ユメコちゃん、すげぇ」
「はぁはぁ…元バスケ部ですから…!」
「さすが!」

 さすがなのはリョータ先輩の方だ。私は息が上がってしまい、荒い呼吸をしている。本当はもっと大胆に呼吸をしたいけれど、リョータ先輩が隣にいるから控えめに。
 それにしても、リョータ先輩は全く疲れを感じていない。余裕の面持ちだ。寧ろ楽しんでいる…?

「ほい」

 息を整え、顔を上げるといつの間に買ってきたのか、缶ジュースを差し出すリョータ先輩がいた。

「ありがとうございます」

 そしてまた、二人並んでベンチに腰かけた。
 先ほどまで青かった空もいつの間にはオレンジ色に染まっていた。この時間は何だかちょっと寂しい。

(バイバイしたくないなぁ…)

 少しだけリョータ先輩の方に身を寄せた。触れるか触れないかの距離をとろうとしたのに、私の肩はリョータ先輩にそっと触れた。
 何となく、この気まずさを埋める為に、

「私が中学時代、バスケを続けられたのはリョータ先輩のおかげなんです」

 と言葉を紡いだ。
 リョータ先輩は缶ジュースを傾けたまま、私に目配せる。私は恥ずかしくて、缶ジュースを包んだ両手をじっと見つめた。

 私が中学時代、バスケを始めたきっかけは、バスケとバレーは身長が伸びという噂と近所にストリートコートがあったからという、とても単純な理由だった。
 たいして背が高いわけでも、ドリブルやシュートが上手いわけでもなく、他の部員に後れをとらないように練習に明け暮れていた。
 そんな二年生の夏休み。新入部員の一年生たちがミニバス上がりの子達ばかりで新学期が始まったら退部しようと考えていた時だった。
 最後まで全力でやり切ろうと体育館で自主練をしていると、

「おっ夢有じゃん」

 その声にハッと息を飲んだ。

「リョータ先輩…!」

 三年生のリョータ先輩はバスケット部のエースだった。そして誰よりもバスケが上手くて、誰よりも努力していた。
 だからこうして、誰もいない時間帯の体育館で顔を合わせる事が出来た。

 女子バスケ部と男子バスケ部は体育館のコートを半分にして練習をすることがほとんどだった。自然と隣のコートでプレイするリョータ先輩に目を奪われるのも仕方がないと思う。

 二人だけの体育館で、一方のコートをリョータ先輩が使うと思ったら、リョータ先輩は私がいるコートへやって来て、「1on1やろうぜ」と相手にもならない様な私に付き合ってくれた。
 リョータ先輩は優しいから、私にポイントが入る様に相手をしてくれた。けれど、負けっぱなしは嫌な様で、その分自分のポイントも決める。
 結局、同点で終わるから勝った気も負けた気もしない。けれど、心は満たされる。

 小休憩をとったタイミングで私は思い切ってリョータ先輩に言った。

「夏が終わったら部活、辞めようと思います」

 この時はまだ、顧問や主将には伝えていなかった。誰よりも先にリョータ先輩に伝えたかったのだ。今思い返してみると、止めて欲しかったのかもしれない。
 リョータ先輩ならバスケと私を繋ぎとめてくれる。

「ふーん、勿体ねぇな」
「え?」
「夢有、スピードもあるし、良いパスすんじゃん」

 私は驚きのあまり言葉を失った。リョータ先輩が私のプレイを見てくれていた事実とこうして評価してくれたことに衝撃を受けた。
 次第に心臓がばくばくと速度を増した。急に恥ずかしくなって視線を逸らそうとしたけれど…

「チビはスピードとテクニックで勝負しようぜ」

 と白い歯を覗かせながら、リョータ先輩は高く飛び上がり、シュートを決めた。その瞬間を見逃すことは出来なかった。





「あの時私、リョータ先輩に励まされて3年間バスケを続けられました」

 懐かしい記憶に心がほっこりとする。リョータ先輩は照れた様子で頬をかきながら、

「俺、そんなカッコイイこと言った…?」

「はい!シュート決めながらばっちりと」

 リョータ先輩の頬は赤く染まっていた。そしてそれを隠す様に顔を手で隠し、俯く。

「はっず…」

 小さくか細い声に私はクスッと笑った。
 ようやく、リョータ先輩が顔を上げた頃、私は真っ直ぐリョータ先輩の瞳を見つめながら言った。

「私、リョータ先輩がバスケする姿を見るのが好きです」

 コート上で動き回るリョータ先輩の姿が脳裏に過る。

「だから…明日からはちゃんと練習に参加してくださいね…?」

 高校生になって、またリョータ先輩のプレイが見れる。今度は隣のコートから隙ありで見るのではなくて、ずっと見ていたい。

「わーったよ」

 リョータ先輩の手が私の頭を荒く優しく撫でた。
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