ステュちゃん。
そう彼女が呼んでくれる時、機械的なエラーが発生するようになったのを——私の生みの親は喜ばしい進歩だと好奇に満ちた目を輝かせていた。
彼の研究の力になるならばそれは良いことだと割り切っていたけれど。
彼女が私以外に寄せる特別な感情を他者に向けていることに、いよいよこのエラーは私自身も、そして彼女自身も傷つける結果になるのではと少し彼女と距離を置こうと思った。
けれど彼女は
「ステュちゃん!」
と私を見つけては耳を優しく撫でてくる。
「あら、なまえちゃん。どうしたの」
「最近、会えてなかったから嬉しいの!」
「ふふふ、私も嬉しいわ。あなたに会えて」
ドキ…ドキ…
ほらまた。彼女の素直な感情が私を狂わせる。
正常心を装って言葉を返すと彼女は私の手を取って、無邪気に笑い掛けてくる。
「また一緒にアフタヌーンティーしようね」
「ええ、ぜひ。しましょう」
そう彼女に微笑した。
「よかった!…あ!ルッチ」
彼女が気配に察したように振り返ると、離れたところであの男が佇んでいた。まるで番犬みたく、私たちを見ている。そんな彼を見つめる彼女の瞳が特別な色を帯びていることを私は知っている。
私は彼女のその瞳に手をかざしてしまいたいと思った。ルッチを見つめる彼女の目を閉ざしたい。
そんなことをしたらきっと彼女は不安そうな声で、ステュちゃん、と言葉を洩らすだろう。そして、離れたところにいる彼が私に襲いかかる。
先の読める展開だから、決してしないけれど。
「じゃぁまたね、ステュちゃん!」
そう言ってまた私に振り返った彼女に私は微笑んだ。彼女と触れ合う手が離れていく。ルッチと共に去っていく彼女をしばらく見つめた。まだ、手のひらに残る彼女の温もりを頬に当てた。
以前、彼女をアフタヌーンティーに誘った。それは、ほんの気まぐれのような、自分の彼女に対する反応を試すように実験的な意味だった。
偶然、彼女が好物だという苺限定のものという事もあって誘ったのだ。
よく晴れた日だった。テラス席で目前に広がる人工的に整えられた庭園を眺めながら彼女と肩を並べた。彼女のうきうき、わくわく、とした感情がダダ漏れの表情に私は自然と口が緩んだ。
「ステュちゃん、誘ってくれてありがとう!」
彼女は私に体ごと向けてそう口にする。弾ける笑顔がパラソルの中なのに陽が差したように眩しい。
「いいえ。一度ゆっくりあなたとお話がしたかったの」
そう口にすると彼女は「え?」と首を傾げて目を丸くする。その驚きを隠せない表情に心というものが煩わしく反応する。そして彼女はまた太陽のように笑った。
「嬉しい!ステュちゃん、すごく落ち着いてて、大人なんだけど!大人っぽい雰囲気だから、その…私みたいに子供っぽい人とはあまりかな、て思ってたの」
「そんな事ないわ。あなたは任務中もよく状況を見て判断をするし、私自身フォローされる事も多い。それにあの堅物を相手にできるてるんだから立派よ」
「ステュちゃんにそう言ってもらえると凄く嬉しい…!」
両手を口に添えながら瞳を潤ませる彼女にまた私の心が煩くなる。
刹那、スイーツを載せたスタンドが運ばれてくる。彼女が「わぁ」と言葉を洩らす。私は甘ったるいスイーツが乗ったスタンドになんか目もくれない。彼女の反応を愉しんでいた。
「すご〜い!どれも美味しそう!」
「うふふ、そうね。とても美味しそう」
本当はそんな事微塵も思ってないの。けれど、彼女の喜ばしそうな顔を見ると最もそれが優れた返しだと私の脳は認識している。
「…ルッチを誘っても絶対断られるもん」
「…でしょうね。彼がスタンドに手をつける姿、想像つかないもの」
「たぶん…ほらこれとか、口に入れた瞬間こーんな顔するよ!」
「ふふふ、するわ。きっと」
彼女の眉間に皺を寄せた姿。そんな顔、あまり見たことがなかったから、つい嬉しくて自然と綻んだ。
「嬉しいなぁ、ステュちゃんとこうして一緒に美味しいもの食べられるの」
彼女はティーカップの中身を覗きながらいう。苺の紅茶だとか。香りを楽しんでいるみたい。
「ありがとう。沢山、嬉しいって言ってくれて」
私もカップに手を取った。無論、二杯目もブラックコーヒー。
「ステュちゃん、ブラック飲むんだね〜!凄いよ〜!」
私飲めないの、と口を尖らせる彼女が何とも愛らしい。
「ルッチもコーヒーブラックなの!この前試しに飲ませてもらったのね。そしたら、やっぱりダメで、うぇって顔をしたら、ふっ馬鹿め、て鼻で笑ったの!澄まし顔でコーヒー啜りながら!」
他にもね、と彼女は彼の話を続けようとする。私は少し耳を塞ぎたくなった。けれど、彼女は彼の話をしたいみたい。それを遮ってしまえば、彼女は悲しい表情を浮かべてしまう。
分かっていたのに、想像できていたのに。震える心が「ねぇ」と彼女の言葉を遮った。
「え?」
首を傾げる彼女に私はなるべく笑顔を貼り付けて———
「……彼の話、お腹一杯になっちゃった」
途端に彼女は、はっ、と目を見開いた。
「わぁごめん!私、ルッチの話ばっかりだったよね!こんな素敵な時間にあんなパワパラ上司のこと考えたくないよね…!ごめんね!」
彼女に気を遣わせてしまったことに心が痛い。こういう時、普通の人間はどうする?
ずらーっと並べられた脳内フォルダーを探った。そうだ、彼女が教えてくれた。
「そういう事じゃないのよ」
私は微かな焦りを見せた彼女に言った。
「羨ましいのね、きっと。あなたが彼に向ける特別な感情が」
「ステュちゃん…」
「ふふ、これ美味しい」
素直な感情を見せる。これが答えだった。
ほのかな苺の香りが鼻腔をくすぐるクッキーサンド。口にすると中に挟んだクリームが溢れそう。
私は笑って見せた。
すると、彼女は真っ直ぐ私のことを見つめながら口を開く。
「私、ステュちゃんのこと大好きだよ。ステュちゃんにも特別な感情あるよ。カリファさんとかにはない、色々なお話ししたり、美味しいもの食べたり、楽しい事を共有したいお友達でいたいなって」
彼女の言葉に心が砕けてしまった。それは嬉しさもあって、悲しさもある。複雑な感情を抱かせる言葉だった。
「嬉しいわ、ありがとう」
ただそう言うしかなかった。
「本当だ〜美味しい!」
彼女は私と同じものを口にする。すると彼女の唇に生クリームが乗った。
そっと彼女の唇に触れた。なんて柔らかくて、無垢なのだろう。親指に伝う彼女の温もりが私の心を締め付ける。思わず、顔を引き寄せそうになった。
けれど、彼の顔が浮かんだ。この唇にキスをする彼。そして幸せそうな彼女の顔。
今、私を見つめる不思議そうな顔をする彼女からすーっと手を引いた。
「ついてたの」
ぺろっと拭った生クリームを舐めた。彼女は忽ち顔を赤くして「ありがとう」と口にする。
目の前の庭園に目配せた。心なしか、美しく見える。今日の景色を忘れない、そんな気がした。