忘れたくない夜
赤髪海賊団が立ち寄った島の酒場が一夜のうちに一月分の収益を得てしまうのは、この大盛況を見ると真実味が増す。
「お前ェら今日は宴だ〜‼︎浴びる様に呑め〜‼︎」
お頭の陽気な声に皆んなが、おー、と雄叫びをあげる。私もジョッキを片手にお頭に想いを込めて乾杯をした。
「珍しく良く呑むな!」
「んふふ、お仕事がないから」
船の上で宴になるとお酒の替えや料理運びなど裏方に回って忙しなく動き回ってる事が多い。けれど今日は違う。酔いの回りも心地よかった。
「私、お酒呑むの好きなのよ」
こういう節にこの船に乗って良かったと心から思う。数年前、ちょっとした手違いでこの船に乗る事になってしまい、お頭の計らいで職をもらい、お世話になる事になった。
船に乗る前はこんなにも海賊が賑やかだとは思わなかった。もちろん、航海する中でひどく残虐な海賊を目にしてきたけれど、赤髪海賊団は違う。その強大な力を使う場面も筋が通っているし、弱きものを救う優しくも強い海賊団なのだ。
「私、この船に乗って良かった〜」
もう一度、ジョッキを片手に持ち上げて声高らかに口にした。すると「おい、なまえこっちに来い。珍しい酒がある!」と誰かが声を掛けてくる。私は、はーい、と能天気に声をあげて、声の主の卓へと体を翻した。
「本当だぁ、おいしい」
「好きなだけ呑め!」
「うれしい〜!」
ぐいぐいと注がれる酒を喉に流し込む。いい飲みっぷりだ、と周りが煽るものだからついつい酒が進んでしまう。ついにはぐらりと視界が回り、私は力が抜けた様に誰だか知らないけれど、私をこの場に呼んだ男の太腿を枕にして身を預けた。
「なまえが寝るぞ」
「おいおいそんな所で寝るなよ」
「食われちまうぞー」
様々な声が聞こえるけれど、そんなのどうでも良いくらいに眠かった。誰かわからないけれど、髪を優しく撫でるその手先がとても気持ち良い。あまりの心地良さに意識が遠のいていく——
目覚めた時、私は自室のベッドで寝ていた。
「あたまいだい…」
「呑みすぎだ。ほら、この薬飲んどけ」
船医室にてホンゴウから頭痛に効く薬を貰った。まだ効くには時間がかかる様で、気休めに額を抑えた。全く昨夜の記憶がない。唯一、誘われて呑んだお酒がこれまで呑んだ中で一番と言って良いくらい美味しかった事だけが記憶にある。
「そういえば私、どうやって部屋に帰ったのかな…」
「…俺だよ」
「ホンゴウなの?じゃぁ、私に美味しいお酒を振る舞ってくれたのも?」
「それは違ェ。ついでにお前の枕代わりになったのも俺じゃねェ」
少しずつ記憶の糸が手繰り寄せられていく気がする。
「とりあえず、部屋まで運んでくれてありがとう…」
「頼まれたから運んだまでだがな」
誰に、と問いかけるとホンゴウは
「それは本人に言わないでくれ、と頼まれたから言わねェよ」
「なんで!」
「さぁな。ほら病人以外は長居禁止だ。出ていけ」
半ば無理やり廊下へと押し出された私は閉まる扉の前で唖然とした。なぜそこまでして隠そうとするのか。
———もう少しで全てを思い出せそうだったのに。
:
「おい、なまえ。今夜、俺の部屋に来てくれるか?」
石鹸の香りに包まれながら洗濯物を取り込んでいる時のことだった。真っ白いシーツの間から赤髪が現れた。もちろん、この船で赤髪なんてお頭しかいない。そして船長命令を言い渡された私は反射的に「はい…!」と応えるしかなかった。
私の返事にお頭は無邪気な少年の様に笑って、あとでな、と去っていった。
お頭に部屋に誘われるのは初めてだ。
「え、それってつまり…」
私は、はっ、と息を呑んでその場に腰を落とした。心臓の鼓動が高鳴る。夜に男の部屋に女が呼ばれるなんて、あれしかない。
偉大なるお頭に女として見られるのはとても喜ばしい事だけれど——
「なんか、ちょっとショックかも…」
つまりこの船の上で捌け口にちょうど良いという事でもある。
「でも…唯一お頭のためにできる事なのかな」
本来、自分なんかがこの船に身を置ける立場ではない。海賊に憧れて見習いとして船に乗る事を志願したわけでもない。そんな自分を行く当てがないからとこの船に置いてくれたお頭にはとてつもない大恩がある。
何か恩返しができるとすれば——自分を納得させるしかなかった。
:
日が暮れて、静かな海の波音が夜に溶ける時間。
私は妙に胸元が大きく開いたキャミソールワンピースを見に纏い、船長室の扉の前にやってきた。
一つ深呼吸をして「お頭」とノックする。
「おう、なまえ。来たか……!」と無邪気な笑顔でお頭が顔を出したかと思うと、とても分かりやすいくらいにお頭の視線が私の胸元を指した。一瞬の沈黙に私の心臓の鼓動が爆速する。
「すまない、珍しい格好でな」
お頭は視線を逸らし、私を部屋に招いた。少しばかりお頭の頬が赤くなったのは今夜の為に一役買ったと思っても良いだろうか——?
お頭のために出来たこと。ちょっとだけ気分が良くなった。
「いい酒が手に入ったんだ」
お頭は嬉しそうな顔で酒瓶を持ち上げた。お頭にソファへ座るよう促された私はぎこちなくそこに座る。隣に座ったお頭をちらりと盗み見た。グラスに酒を注ぐため前屈みになった拍子で逞しい胸元が露わになっていた。
——今までどれだけの女性がこの胸に抱かれたのだろう
——この胸に抱かれたらどんなに心地良いだろう
あらぬ想像を払うため私は両手で目を覆った。その瞬間、お頭が吹き出すように笑った。「え?」とお頭の顔を覗く。
「すまん、すまん。表情豊かでつい笑っちまった」
誰しもこの後のことを想像したらこの顔になるでしょ、と心の中で囁きながら私はグラスに注がれた酒を煽った。そして、想像していたよりも度数が高かったお酒の風味にぐらりと視界が回る。
「あまり酔っちゃうと眠くなるから…」
と伏し目に言う。そうなってしまうとお頭の望みを叶えられない——
「おう、寝ていいぞ。昨夜の酒場の時みたいにここを使って」
「え?」
お頭はあぐらをかいた右腿をとん、と叩いた。途端に昨夜のぐらついた光景がまなこに浮かんだ。私は、はっ、と息を呑んだ。
「もしかして私に美味しいお酒勧めてくれたのお頭…?」
「ああ、そうだ」
「気持ちよく髪を撫でてくれたのもお頭…?」
「おや、ご満足いただけたかな?」
「ホンゴウに私を運ばせたのも⁉︎」
「ああ…本当は俺が運んでやりたかったんだけどな」
「いいえ‼︎それは申し訳ないです…‼︎」
左肩を摩りながら申し訳なさそうに言うお頭が可愛く見えた。寧ろ酔っ払いをお頭に運ばせる方が申し訳ないと思う。
私は昨夜の記憶が明瞭になった事にとてつもなくスッキリした。
「思い出せて良かった…‼︎」
と不思議な達成感に満ちた。今日の心残りが一切ないといっていいほどに。ただその思いも束の間、私はお頭に部屋に呼ばれたわけを思い出す。
「あっでも今夜は寝ません‼︎ちゃんと心の準備は出来てます…‼︎経験は本当に浅くて…お頭を満足させられるか不安だけど…私、頑張ります‼︎」
「…なまえ、そうか。お前の覚悟、聞いたぞ」
急に真剣な眼差しを向けてくるお頭に私は腰が引いた。嫌だから、ではなくてあまりにも魅力的な男性に見えて気圧された。
そっとお頭の指先が私の顎を持ち上げる。迫り来るお頭の顔が少しだけ切なくて、なんだか蠱惑的。私はぎゅっと目を瞑った。
ちゅっ、と可愛らしい音が耳を突く。思わず「え?」と間抜けな声が漏れる。お頭は私の額にキスをした。それだけだった。困惑する私の頭をお頭は少しだけ乱暴に撫でた。
「何か妙だと思ったんだ。俺を誘うような服装をしているからな。言葉の意図が分かったよ」
お頭が何を言っているのか分からなくて自然と首が傾く。お頭は申し訳なさそうに笑った。
「すまなかった、勘違いさせたようだ。ただ、なまえと美味い酒が飲みたかっただけなんだ」
もの凄い速さで自身の誤った認識を回想した。じわじわと顔が熱くなった。恥ずかしい。ただただ恥ずかしい。
「だって…急に夜呼ばれたら勘違いします…」
「そんな取って食うような真似はしないさ」
お頭は大きく口を開けて笑った。私にとって笑い事ではない。羞恥と共に情けない感情が湧いた。
「自分が信頼を寄せて身を預けた船の船長さんにそんな失礼なこと思ってしまって…ごめんなさい」
「まァ気にすんな!怖がらせて悪かったよ」
お頭の優しい言葉に泣きそうになる。お酒のせいだと言うようにグラスに口をつけた。
「ただ、そうだなァ」と呟くお頭の声。ふと頬から耳の辺りを撫でられた。お頭が眩しそうに目を細めて私を見ている。
「俺は他の男にお前さんが気持ちよさそうに酒に酔ってる姿を極力見せたくないと思ってる」
「え?」
「可愛いんだ、その顔が」
両手で支えてるはずのグラスが一瞬落ちたような感覚に襲われる。
「よし船長命令だ。酒場で飲む時は俺の隣に来い!絶対だからな」
そう言って髪を撫でるお頭から私は目が離せなかった。ふわりとした視界に映るお頭の無邪気な笑顔。どうかこの夜の記憶は忘れないで———