「はははは、怖いもの知らずの男じゃなァ!さすがわっちが見込んだ男じゃ!骨のある男に育ったものよォ」
白ひげが女狐におでんの話をすると彼女は豪快に笑った。自分の腹の上で酒を持ちながら転がる彼女に、溢すなよ、と白ひげは酒を煽る。
そして、己に身を預けている女狐に目配せた。
「お前知ってて滝を登らせたのか」
女狐は頬杖をついて白ひげを見つめる。自信に満ちた、真っ直ぐな眼差しを白ひげは好んだ。それを肴にぐびっと酒を流す。
「いいや、奴は想定外じゃった。じゃが、わっちはこれまでぬしを危険に晒す提案をした事はないじゃろ?」
白ひげは思い当たる節しかないと押し黙る。はて、ととぼけるように女狐は首を捻った。
「…故郷なのか」
白ひげの言葉に女狐は少し眉を顰めた。下を向いたまつ毛が濡れている。
時折見せる、彼女の過去に思いを馳せる姿はとても孤独に感じた。ひしひしと伝う彼女の孤独に白ひげは手を伸ばす。小さな頭部に手を添え、自分の胸に引き寄せた。
「ずいぶんと昔だ。あの山がもっと高かった時代じゃ」
震える彼女にいつもの気丈さはなく、とても頼りなく小さかった。
しばらくして、女狐はケロッとすっきりした顔を上げた。そんな彼女の突風のように早変わりする気の持ちように白ひげは毎度笑わされた。
「二週間後に出航する」
「ほうか。なら、わっちはもう少し休むとするかや」
「…ここで寝るんじゃねェ」
すぐに聞こえてくる小さな寝息に白ひげは吐息ついた。そして、かろうじて彼女の手から離れない盃を手に取り、残った酒を流し込んだ。
二週間後の夜。
無事に船が出航したかと思えば、面倒ごとを避けるために乗船を断固として許さなかったおでんが体を張って船にしがみついてきた。
そんな彼を追って一人の若い侍、イゾウも乗り込み、三日間、波に耐えれば乗船を許可すると云う契りを交わした。
嵐の日も、海王類が荒れ狂う日も、耐え忍ぶおでんに次第に声援が送られ、白ひげ海賊団の船員は彼に惹かれていた。
しかし、あと数十分のところで餅巾着のように膨れ上がったおでんは消えた。
皆が残念がり、鬼畜な船長を責める中、あたりを旋回していた女狐が空から声を上げた。
「おい白ひげ!案ずるな、あの島にあやつはおるぞ」
「さすが、ねえさん!迎えにいこう〜!」
「やっぱりあいつは生きてた!」
嬉々とした声が船から湧き上がる。ここまでも人を惹きつけるおでんという男に女狐は少しばかり旧友とその影を重ねた。
「お前の想像を遥かに超える大冒険に出かけるぞ‼︎弟よ‼︎」
無事に白ひげに認められたおでんは、白吉っちゃん、と愛称をつけた。
おでんは船に乗り込むなり、身に覚えのある妖艶な狐に、
「おぬし…!拙者の幻!」
まるでこの世のものではないものを目に捉えたかのように指を向けた。
「幻?現実じゃ。契りは守ったようじゃな。立派じゃ」
四つの尻尾をゆらりと揺らす女狐に、
「ユガラもミンクか⁉︎」
と船内に身を隠していたネコマムシが訊く。
女狐はネコマムシと共に乗り込んだイヌアラシにも目配せ、
「ぬしらとは少し違うなァ。わっちは妖狐じゃ。豊作の神なのじゃぞ。稲が成ったら手を合わせ敬うのじゃ」
わかったかや、とふたつの頭を撫でた。
久しく触れた母のような温もりにふたりは胸に込み上げるものを感じた。
一方、島で海賊に襲われていたトキが白ひげに乗船を希望していた。
案の定、白ひげはイヤそうな顔を浮かべる。面倒ごとはもう懲り懲りだ、というような顔だった。
そんな白ひげの肩にふわり女狐が身を寄せる。
「良いではないか!わっちは嬉しいぞ。なぁニューゲート。一生のお願いじゃ彼女を乗せてやって」
「お前の一生のお願いは何度も聞いた」
「…良いと云う事じゃな」
さすが偉大な男じゃ、と女狐は喜ばしげに白ひげの頬に頬を擦り寄せた。白ひげもまんざらではない顔をする。
二人の仲睦まじい姿にトキは頬を赤らめた。
「ねぇさんねぇさん!」
「どうしたのじゃ、マルコ」
マルコは瞳をきらきらと輝かせていた。こういう時のマルコは好奇心に溢れており、何か知りたいことを問うのであった。女狐は眩い彼の視線に怪しく笑った。
「恋ってなんだ!愛ってなんだ⁉︎」
どうやら、甲板で二人きりで言葉を交わすおでんとトキを目にし、胸の辺りがドキドキするのだ、と
云う。
「可愛いのォマルコは」
女狐の尻尾に撫でられてマルコはくすぐったそうに笑った。
「でもおれ、オヤジがねえさんのこと見つめる時もドキドキするんだ!」
「ほう?」
女狐は興味深そうに首傾げた。
「ほら、ねえさん宴の時、すぐ寝るだろう!オヤジの肩に乗ったままとか膝に寄りかかって。そうするとオヤジがねえさんのこと優しい目で見るんだ!」
「そんなにも優しい目をしておるのか」
「ああ!ねえさん部屋に運ぶかって言ってもこのままでいいとか俺が運ぶって絶対にねえさんを譲らないんだよい!」
女狐は思わず綻んだ。じわりと胸に温かいものが流れるような感覚がした。
「そうか、良い話を聞いた」
「ねぇさん今すごく嬉しそう!」
マルコの洞察力に女狐は感心せざるおえなかった。
「マルコが心で感じたその全てが恋であり愛じゃなァ。口で語るよりその心で感じる方が良いものよ」
「そういうものなのか…!」
マルコの瞳がきらきらと眩い。
「そうじゃ。わっちは愛の放浪者なのじゃぞ?」
「すげぇ!」
何百年と彷徨い続ける愛の放浪者。
己の物語にも終いが近いかと、そう予期した。