妖狐物語

 トキは甲板で星を眺めていた。比較的、緩やかな波に気持ちが落ち着く。

「眠れんのか?」

 その声にトキは振り返る。そして、少しばかり焦った様子で頷いた。女狐は分かりやすい彼女の反応に吐息ついて言った。

「トキ、身籠っておるな」
「…!なぜ気づいたのですか…!」
「気づかぬわけがない」

 近頃のトキと言えば、船に酔った、とよく戻し、部屋に篭ることが増え、不調をうったえる事が多かった。身籠った体に船旅は障る。
 しかし、女狐はトキの気持ちを汲み取った。

「案ずるな、だれもぬしをどこかの島に置いていこうなど思わん」
「良かった…!私、おでんさんと一緒にいたいから…!」

 彼女の真っ直ぐな想いに思わず苦笑した。しかし、同時に彼女の覚悟を感じた。
 トキトキの実の能力者である彼女が八百年前から未来へ飛んだと聞いていた。それを耳にした時、彼女とは近しい運命を感じた。
 そんな彼女がこの時代に愛するものとの間に子を授かるとなるとそれは彼女の旅の終着点とも思える。

「熱いのォ。じゃが、ぬしの気持ち分からなくもない」

 トキは女狐に目配せた。

「のう、トキ。そなたもはるか昔から来たと申したな。わっちも随分と昔からこの世界を見ておる。時に残酷で時に美しいこの世界で何を糧に生きているか、ようやくここに来て答えが見えた気がするのじゃ」
「あなたにとって彼が、その答えなの」
「そうかもしれん。わっちはあやつを愛しておる」

 ただ、と女狐は言葉を詰まらせた。トキは静かに彼女の言葉を待つ。

「わっちは少しばかり恐れておる。わっちら妖狐はこの世にひとりしか存在できんのじゃ。じゃから、何百年と生きるのじゃ。その命の終わりはどこか。真実の愛じゃ。愛するものと結ばれ、次の妖狐となる女児を授かり、次第に力は吸い取られるように子に宿る。そして次の妖狐物語が始まるのじゃ」

 トキの頬をツーッと涙が伝った。この世にこんなにも残酷な愛があるというのか。まるでその呪いの様な物語を憐れむ様な哀しい目をしていた。
 そんなトキに女狐は笑う。

「随分としけた話をしてしまったな。やつにはわっちから先に伝えておく。安心しておでんの側にいろ」


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 トキの懐妊に船員たちは大いに喜んだ。めでたい、めでたい、と連日宴三昧でトキの身体を案じて穏やかな航路を進んでいた。


 そんなある夜半、皆が寝静まる頃。
 いつものようにベッドに寝転ぶ白ひげの腹の上で女狐は寛いでいた。何を語るわけでもなく、波の心地良い揺れと白ひげの心臓の鼓動に耳を澄ましていた。ふと、彼女は口にした。

「のう、白ひげ。わっちはぬしにこの身を捧げたい」
「今日は随分と積極的じゃねェか」

 酒を煽る白ひげがニヤリと笑いながら云う。

「そうかや?わっちはいつもぬしに熱いぞ」

 彼女の唇が白ひげの頬に触れる。この様なスキンシップが珍しいことではない。しかし、今夜の彼女は少し艶めかしく女狐の誘惑の様であった。

「ぬしとの子ならこの命、朽ちても悔いはない」
「…身籠るのは命懸けっていうじゃねぇか」

 ははは、と女狐は高らかに笑った。

「ぬしが思うよりも過酷なのじゃぞ?」

 女狐は上体を起こした。そして、白ひげに跨る。

「たまげたな。そんな力もあったのか」

 白ひげは自分の背丈に合わせて身体を大きくした彼女に感心した。妖艶な女狐は帯びをするりと解き、衿元を下ろした。豊満な乳が露わになる。

「ニューゲート、わっちはぬしと家族になりたい」


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 その翌年、女児が産声を上げた。モビーディック号に二人赤ん坊がいるなど誰が想像できようか。赤子が乗る船はいつも賑わっていた。
 しかし、人知れず女狐は衰えていた。赤子が元気に泣けば、泣くほど彼女は己の力が吸い取られるような感覚に陥った。
 そんな中、赤子が原因不明の体調不良に陥る。四六時中ずっと額に汗を浮かべ、息も荒い。明日の命も望みが薄い状態に、女狐は悟った。故郷が自分たちを呼んでいる———。

 人気の無い廊下で女狐は身を崩していた。荒い呼吸に肩が上下する。子と同じく体調の優れない彼女を案じて、マルコは跡をつけていた。

「ねぇさん…!ねぇさん!」
「マルコ!誰にも言うな。言ってはならん」
「ねぇさん…」

 マルコの顔は不安げに歪む。ただごとではない、とオヤジに伝えるべきか、彼女の想いを守るべきか、心は彷徨っていた。
 女狐はマルコの腕を握った。

「…わっちは赤子を連れてワノ国へ帰る。小さいうちはわっちら妖狐は弱い。故郷でなくてはならんようだ…」
「戻ってきてくれるよな⁉︎」

 女狐は笑った。そして、マルコの頭を撫でた。その力無い手の温もりにマルコの瞳が潤む。

「案ずるな」
「俺も行くよい!飛べる!」
「まだ慣れておらんじゃろ」

 うう、とマルコは顔を歪めた。

「白ひげならわっちの覚悟を分かってくれる」

 その夜、皆が寝静まった頃。
 女狐は赤子を抱いて人気の無い船尾にいた。腕に抱く赤子は静かに眠っていた。

 今まさに風に身を化かそうとしている。しかし、それは一声により一歩踏み止まらせた。

「お前ェ、俺に黙ってどこに行く」

 静かな夜にこぼれ落ちた声はよく耳に届いた。その声に布に包んだ赤子が泣いた。父の呼びかけに声をあげている様だった。

「…やはり、ぬしは誤魔化せんな」

 白ひげは初めから彼女が何をしようとしているか、分かっていた様な佇まいだった。女狐は隠しても無駄だと思い、全てを伝えた。

「もうこの運命はどうしようも出来んのじゃ。じゃがあの時の言葉通り、わっちに悔いはない。わっちの覚悟、ぬしなら分かるじゃろ」

 彼女の試すような口ぶりに白ひげは、
「とんだ馬鹿な女だ」と呟く。

 そして、彼女に近づいた。腕を伸ばし、赤子ごと彼女の体を包み込む。

「だが、そんな女を俺は愛した」

 女狐はこの力強い温もりにこのまま時が止まれと祈りたくなった。もっとこうして家族との時間を過ごしたい。時を刻みたい。共に子の成長を見届けたい。
 この腕に抱かれるとそんな願望が次々と湧いてくる———。
 女狐は泣きそうになるのをグッと堪えた。
 
「ニューゲート、わっちも愛しておる」

 走馬灯のように共に過ごした時間が脳裏によぎる。九百年生きた中で短い時間だった。しかし、失いたくない最も大切な記憶だった。

「しばらくの別れだ。自分のガキの顔忘れねェように見せてくれ」

 二人は包んだ赤子を覗き込む。長いまつ毛が下を向き、穏やかに眠っていた。

「お前に似て綺麗だ」
「照れることを言うなァ」
「だが性格は俺に似た方が良い」
「…まるでわっちが意地汚いようじゃ。じゃが、そうだな。ぬしの様に愛情深い方が良いな」

 そうじゃ、と思い出したように女狐は声を上げた。
 
「この子がぬしを探せるよう、ぬしのビブルカードをここに入れておいた」

 首に下げた巾着に確かにここを示す紙切れが一枚入っていた。いつかこの船に、父のもとに、導く一枚の紙——それを大事に懐へ忍ばせる。
 そして女狐は風となった。白ひげの頬を撫でるように掠める。白ひげは風の行方をしばらく見守った。


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 ワノ国に近づくにつれ、赤子は元気にきゃっきゃっと笑い声をあげるようになった。しかし、それに反して女狐の体力が格段に落ちていく。吸い取られていく感覚に、やはり呪いの物語だと笑うしかない。

 女狐は積雪を歩いた。もう風に化かす力もない。
 しばらくして、狐たちが彼女らの気配に誘われた様に前に現れ、とぼとぼと近づいてくる。

「ぬしら久しいなァ…あまり時間がない…のじゃ…ハァわっちの子じゃ…次なる妖狐…じゃ…ハァ…わっちはもう長くない…ぬしらに任せても良いか…ハァ」

 狐たちは顔を見合わせ、頷いた。狐たちに赤子を見せれば、興味深そうに鼻先で突く。赤子は嬉しそうに笑った。きゃっきゃっ、きゃっきゃっ、と笑う。

「元気な子じゃ…そうじゃ…笑え。笑うのじゃ」

 女狐は赤子を手に持つのも限界がきた。そのまま積雪に身を預ける。震える手は赤子に添えたまま———

「何百年…何千年だって生きてよい…いつか出会える」

 思い返せば、随分とあっという間じゃった。
 白ひげに出会ってからがあっという間じゃった。
 よほど生きることを楽しんでいたのじゃろう。

「ぬしがわっちの旅の終着点じゃった…共に時代を生きれて嬉しかった…」

 薄れゆく意識の中で白ひげを想った。自然と綻ぶ。

「ありがとう、ニューゲート」


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 船内は騒がしかった。女狐と赤子が消えたと皆が船内中を探した。しかし、見つかるはずもない。
 マルコは女狐との約束をひとりで抱えきれず、全てを吐き出した。それを耳にしたおでんは声を上げる。

「いこう!白吉っちゃん!」
「ねぇさんを迎えにいこう!」

 皆がワノ国へ向かおうと声を上げる。しかし、白ひげは首を縦に振らなかった。彼らに背を向けたまま、真っ直ぐ船の進む方向を見ていた。

「……航路は変えねェ」
「なんでだよ!白吉っちゃん⁉︎」
「オヤジィ‼︎‼︎」

「アホンダラァァ‼︎‼︎」

 白ひげの叫びは空と海を震わせた。皆がその威圧に身が怯む。

「お前らにはあいつの覚悟が分からねェのか‼︎」

 白ひげの決して揺るがない大きな背中に船員達は泣いた。オヤジが一番泣きたいに決まっている。それなのに自分たちに一筋も涙を見せない。その勇ましい姿に心が震えた。

 そして白ひげは言う。

「お前ェら宴だァ‼︎笑って見送れ‼︎」

「「うぉぉぉお‼︎‼︎」」

 笑いとも涙とも言える声が海に響き渡った。


 今し方、耳に声が届いた気がした。
 風が頬を撫でる。
 過ぎていく風に白ひげは呟いた。

「俺も感謝してるぜ、女狐」


 妖狐とは 愛のために
 何百年  何千年と 生き続ける 
 愛の放浪者

 ひとりの妖狐が 命を断ち
 ひとりの妖狐が 命を継ぐ

 知るものは この物語を
 こう云う  妖狐物語

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