心地良い

 心地良い海風が頬を掠めたかと思うとクセのある髪がくすぐったく頬を撫でた。微睡から目覚めたクザンはアイマスクを晒し、大きなあくびをした。

 昼下がりのとても穏やかな時間。自宅の庭でクザンは昼寝を、なまえは花壇の手入れをして各々過ごしていた。パラソルの下でイスから背を離し、伸びをしながらクザンは背を向ける彼女に目配せた。さんさんと照りつく太陽のダメージを避ける為か、ツバの広い帽子を目深に被り、腕や脚が一切露わにならない格好で熱心に手入れをしている。しかし、彼女が深く腰を落とす度に服の裾が上がり、色白い腰が露わになっていた。

「いいじゃないの」

 クザンは頬杖をついて、その光景を愉しんでいた。しかし単に隙のある仕草を愉んでいるわけではない。

「あら、お眠りさんお目覚め?」

 クザンの視線をいたく感じたのだろう。なまえは振り返り、熱い視線を投げかける彼に破顔した。

 今でこそこうして笑うなまえだが、初めて二人が顔を合わせた時、なまえがクザンに抱いた印象はとても良いとは言えなかった。寧ろ、この男に一切本心は晒さない、と言わんばかりの素っ気なさを呈していた。クザンにしてみれば、彼女がこんなにも愛らしく、心から笑えるなど想像もつかなかった。









「えらく美人で驚いた」

 その一言になまえは、上手いことやり過ごそう、と即決した。大将青キジことクザンへ資料を届けるよう上司に頼まれ、尋ねたものの、クザンはアイマスク越しに「その辺に置いといてくれ〜」と掲げられた、だらけきった正義の通り、すでに山積みの資料で溢れた机を適当に指差した。
 しっかりと届けた事を示す為に確認して貰わなければ困る。なまえが「確認お願いします」と声を張り上げると、気怠げにアイマスクを晒してすぐだ———

「いやァ驚いた。どタイプ」

 ウインクしながら口説き文句を口にする。なまえはニコッと微笑した。

「ありがとうございます。確認」
「随分とドライだねェ、流石の俺も凍えるぜ?」
「あはは、すごく面白いご冗談を」

 口元に手を添え作ったような笑いを上げるなまえにクザンは益々彼女を揶揄いたい気持ちに駆られた。
 クザンにとって女性相手に褒めるのは挨拶の様なものなのだが、大抵不快極まりない表情を浮かべたり、セクハラです、と忠告を受けるのが常だ。しかし、彼女は上手いこと立ち回る。宙を羽ばたく蝶のようで、掴みどころがない。

「ねェ、俺あんたのこと気に入った」

 名前は、と迫るクザンになまえは受け流すように答える。手元は持参した資料が埋もれないよう、資料の配置替えをしている。

「そうか、なまえか。おつるさんの部隊どうよ?俺んとこ来ないか?」
「いえ間に合ってます」
「専属秘書ってのもいいな」

 ピチピチミニスカで、とあらぬ妄想を広げるクザンに相変わらずなまえは手元に目をやりながら「網タイツなんて履いちゃって」と青キジの気分に合わせた軽口もたたく。クザンは、益々興味深い、と口端が持ち上がる。

「おもしろいねェ。今夜どう?」
「おつるさんに報告しておきますね」
「あらら、それはご勘弁」

 予測不能な回答をしてくる彼女をもっと知りたい。クザンの心は掻き立てられた。


 後日、つると面会する場面でクザンは自ずとつるに迫った。なまえの事を聞きたくて仕方がないという様に足取りは軽く、つるがその心を容易に読んでしまうくらいだった。

「お前さん、随分とうちの若いのを揶揄ったんじゃないか」
「げ」
「聞かなくてもわかるさ」

 ふっと鼻で笑うつる。クザンは、おつるさんには敵わない、という様に頭を掻いた。

「あの子はね、とんでもなく化けるよ」

 つるの言葉にクザンは意義なしと頷く。自らもなまえの潜在能力の高さを評価していた。大将を前にして、あれほど肝の座った海兵は稀だ。上手く育てれば、中将クラスもそう遠くない。クザンはたった一度の面会で彼女の素質を見抜いたのだ。

「おつるさん、良い子見つけたね」

 クザンの言葉に、つるは肯定も否定もしなかった。一つ憂いてる事があるのだ。
 
「少し感情に欠ける。自分を表に出そうとしないんだよ。繕う事で上手く保とうとしている。まァ、男たちが大半の職場では威勢張ってる方が返って楽だがね」

 クザンはつる自身が経験に基づいて感じ得た事なのだと思った。ただ、なまえの感情的な部分を引き出す事が自分には出来る、とも直感した。自身もあまりおもてに感情を出す方ではない。だが、そんな自分が彼女とのやり取りを楽しく、心地良いと感じた。彼女も同じ事を思っているのではないか。それはまだ自己中心的な解釈に過ぎないがクザンは、また彼女と言葉を交わしたいと心から思っている。

「おつるさん、またあの子寄越してもらっていい?」
「あんたも懲りないねェ」

 つるは呆れた様に笑う。ただ悪くないとも思っている。彼女を揶揄う輩は他に多くいるからだ。ましてや下心丸出しで彼女を引き抜こうとする部隊長もいるくらいだ。なんと情けない、と一喝入れる事につる自身あきあきしていた。背後に大将の影があれば、多少救われるだろう。
 そして何よりも以前、なまえにクザンの印象を伺った際に口にした言葉が脳裏を掠める。

『軽口をたたく方だなと思います。けれど、気が軽くなるというか…不思議と不快ではないです』

 彼女の口ぶりは真意であった。









「ああー、退屈を極めし者ってか」

 一向に減ることのない書類の山を横目にクザンは吐息をついた。大将になってからというもの、その権力がこれまで積み上げてきた功績の証明とも誇りとも思える反面、書類仕事が増え、これほど退屈なものはないとクザンは嘆息する。背筋を伸ばし、肩を回すとごりごりとデスクワークに身体が嘆く。クザンは少しの気分転換を試みて、執務室をあとにした。

 晴天の下、銃弾や剣の交わる音が響く演習場では昇級試験に備えた兵士たちで活気に溢れていた。自身も経験した過去を彷彿とさせる光景にクザンの脚が自然とそちらに伸びる。

「若いねェ」

 兵士たちのなんとも熱い眼差しにクザンは、海軍組織の未来に憂いなし、と感じ得た。そんな中、クザンの目はひとりの海兵に釘付けになった。一際目を引くその存在に自然と引き寄せられる様に。

「紅一点てとこか」

 クザンの視線の先には今まさに訓練相手を地に寝かせ、勝ち星をあげたなまえがいた。肩で息はしているものの、どこか余裕ある表情で、犯した相手に手を差し伸べている。自身より遥かに体格の良い男相手に体術で勝る彼女にクザンは感心した。

「ふっ、所詮は女だ」

 ふとクザンの耳に男の嘲笑する声が響く。少し離れたところで男性海兵二人が何やら、にたにたと笑っていた。

「まぁ上官たちに体売ってんだろうな」
「あの見た目ならそんなもんだろ、女はラクでいいよなぁ」

 見苦しい男のジェラシーかとクザンは吐息ついた。そして、考えるより先に脚が彼らの元へ「ちょっといいかい」と大きな影が彼らに覆い被さった。

「あ、青キジ大将!!!」

 ヒッと息を呑んだ悲鳴が漏れる。二人の海兵はガクガクと下顎を震えさせる。そんな小心者の二人に、さらに情けないとクザンは眉尻を下げた。

「陰口言ってる暇があんなら出来ることやったらどうなの」
「し、しし失礼しました…!」

 クザンの圧に耐えられなくなった様子で二人の海兵は身を震わせながらその場から素早く立ち去った。はぁ、とついたため息は、海軍の未来を憂う色に変わっていた。
 ふと視線をなまえの方に向ける。するとなまえもクザンに目を向けていた。目視で挨拶を交わすものの、それだけでは物足りないと感じたクザンは彼女の元へ脚を伸ばした。

「あんたも大変だね」

 先の出来事もあり、彼女を慮る様にそうクザンが口にすると、なんのことですか、と言いたげになまえは首を傾げる。

「調子どうよ、俺の専属秘…」
「なりません。ピチピチミニ履きませんから」
「あらら残念」

 以前の軽口と変わりない調子になまえは苦笑した。

「ところでどうして演出場にいらっしゃるんですか?」
「んまぁ、未来の希望を抱きに」
「さぼりですね?」

 頭を掻くクザン。それがまるで答えだ。なまえはあからさまな反応に、ふふ、と笑った。
 先ほどまで気を張っていた為か、クザンと顔を合わせてから気が抜けて、心地よかった。どんなに他の海兵と言葉を交わしても決して心まで気が抜けたことはない。しかしクザンには自然と鎧が解ける。

「私案外、大将との会話嫌いじゃないですよ」

 そう言って白い歯を覗かせた彼女の笑いは偽りないものだった。クザンは思わず見惚れた。こんなにも人懐こい表情が出来るのか、と彼女の特別な姿を見た様な気がした。

「んじゃぁ今度メシでもどうよ」

 クザンは唐突に口にした誘いが自身でも少し意外だと感じた。自然と彼女の事をもっと知りたいと思ったのだ。その誘いに彼女は、はじめこそ驚いたように目を丸くしたが、すぐに綻び「ぜひ!」と返事した。


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