「シャンクス…!会いたかったわ!」
彼の胸に飛び込んだ。来る日も来る日も願っていた再会に頬に涙が伝う。身を預けるとしっかり受け止めてくれる彼の厚い胸板も、髪を撫でる大きな手も、全てが愛おしい。
「待たせたな」と優しい声が耳を撫でる。顔を上げれば、目尻を下げ微笑していた。
「もう待ちたくない…待ちたくないの‼︎」
まるで駄々をこねる子供の様に私は泣きじゃくった。縋るようにぎゅっと握った彼のシャツに皺がよる。私を宥めるように髪を撫でる大きな手。何もかもが懐かしくて胸を締め付ける。
しばらくして彼は私の頬を撫でた。
「俺と一緒に来い」
その一言に満たされる心。涙で朧げになる視界。遠のいていく意識の中で私は名前を呼び続けた。
「シャンクス…‼︎」
見慣れた天井が目に映った時、夢に侵されていたのだと気づいた。落胆する気持ちに吐息をつくと、朝の目覚めが恨めしく感じる。
頬の引き攣った感覚は涙が乾いた跡だった。それほどまでに私はあの人の存在を求めている。
寝汗もかいていた様で、シャワーを浴びた。力が抜けて、ままならない思考を巡らせた。
夢に見た景色は半分は願望で半分は実際にあった出来事。
シャンクスがこの島を出る時、彼の背中一杯に広がる海はまるで全て彼が制してしまっている様な感じがした。
彼との別れが名残惜しくて、どうしてもまだ一緒にいたくて、特別な香りを放つと
『こらバカ、能力を使うな』
簡単にバレてしまう。軽く頭を小突かれた。
私はとても子供じみたあからさまな態度で拗ねた。そんな私をシャンクスは眩しい笑顔で、
『次来る時はお前さんも一緒に連れて行ってやる』
と約束してくれた。気休めだったのかもしれないけれど、その時はすごく嬉しくて、その言葉を真っ直ぐの意味で受け止めた。
毎朝のように窓辺から港を目にしては彼の船を探している。
彼が最後にこの島に来てからもう一年経っている。前の年までは短い滞在もあればひと月分の滞在もあったのに。
「信じてるのよ、あなたの言葉」
呟いた言葉はバスルームに虚しく響いた。
日中、木陰で本を読もうと思った。うちにいると今朝の夢の事ばかり考えてしまうため気分転換に外に出ることにした。
けれど、頁を捲る音にハッと意識が戻って、全く本の内容に集中できない。
一夜限りの男が口にする言葉だったなら、笑い話で流すことが出来ただろうに。何度も肌を重ねて、顔を合わせて笑い合った記憶が数あるうえに、シャンクスの真っ直ぐ瞳を見て口にしてくれた言葉は笑い話として受け止められなかった。
思いやられる自分が情けなくて、思わずため息が出る。ふと、視線を感じた。顔を上げると、いつも私にアメニティーを届けてくれる老女が心配そうな顔で会釈した。
私は咄嗟に頬を緩めて
「こんにちは」
と挨拶する。すると老女は
「お隣良い?」
と首を傾げた。
「どうぞ」
と本を閉じると彼女は私の隣に腰を落とした。
「悩まし気な顔をしていらしたから、気になってしまったの」
彼女にそう云われ少し焦った。けれど、悩ましい胸の内を彼女になら晒しても良い気がした。
私は少し躊躇いがちに云う。
「もし、良かったら聞いてほしいです」
老女は目尻の皺を深くして頷いた。
「もう十年近い仲のお客さんがいるんです。この島に来た時は、いつも一緒にいてくれて…日中は食事をしたり夜は酒場でお酒を飲んだり、素敵な時間を体験させてくれる方でした。
最後に彼が来た時、別れ際に彼は次来る時は船に乗せてくれると約束してくれたんです。私はその約束を信じていて、彼のことを想って待っています」
こんな話をしたのは初めてで、少し唇が震えた。込み上げてくるものがある。
「けれど、あの日から一年が経ちました。もう…待つのは…」
言葉より先に涙が頬を伝った。咄嗟に顔を両手で覆った。私は自分が想像していたよりも心が限界なのだと気づいた。
震える背中を彼女は優しく撫でてくれる。小さな手なのに包み込んでくれる様な感覚に彼女の優しが伝った。
「信じて待つことは悪いことじゃない」
彼女の呟きに顔を上げると、彼女の瞳がきらきらと眩かった。
「だから、私もこの歳まで生きてしまったよ」
私は大きく目を見開いた。そう口にした彼女は老女でなくて、まるで若い頃の彼女に見えた。
「もう婆さんだからね。あの人が生きてるかどうかも分からないけれど、約束があるから私はこうして生きていられる」
今でも私は信じているよ、と遠く、はるか先の海に目を向ける彼女は美しかった。
「あなたに話して良かった…ありがとう」
彼女の美しい眼差しが私に信じる勇気を与えた。
鏡の前で自分の顔を見た時、酷い顔、と言葉を漏らしそうになった。瞼が腫れぼったく、明らかに泣いた痕跡が残っている。
けれど、今夜は簡単に断れない誘いだった。オーナー曰く、政府関係の上客数名とこちらも数を合わせて、接待の場が設けられているらしい。
酒場での接待はあまり好まない。しかし、私を名指して伴うよう希望した人がいるそうで——
暖色のアイシャドウは止めて、なるべく瞳に光が入るメイクを心掛けよう。
そう鏡の前の私と同意して、ブラシを手に取った。
とても奇妙な光景だった。酒場の奥、レースカーテンで隔てられた半個室の空間で真白いスーツに身を包んだ男たちが座っていた。こちらに緊張感を与える雰囲気は素顔を覆った奇妙な仮面のせいかもしれない。
おそらく世界情勢に関する対談なのだろうけれど、私たちが耳にしても到底理解の追いつかない話題で場は緊迫していた。向かいに座る女も退屈そうに爪を眺めている。
けれど私はいつ隣に座る男がこちらに話を振るのか、身構えていた。名指しで同席を希望するなど、何か情報を得る為だと簡単に想像できる。
探る様に隣の男に目配せた。口元だけ露わになっており、変わった髭の形をしている。そして肩に乗せた鳩は———なに?
益々奇妙さが増した。
ふと向かいに座る女が隣の男に身を寄せ、誘いかけてる様子が伺えた。
「あなたたちシャイなの。仮面の下お顔見せて」
と男の顔に手を伸ばす。途端に男は彼女の細い手首を掴んだ。顔を歪める彼女に男は言葉を発するわけでもなく、殺気漂う雰囲気を醸し出す。
その態度に気の強い彼女は引こうとしない。寧ろ、腕を振りかざして
「一体何しにこの島に来たのかしら」
と悪態ついた。
殺伐とした空気に彼女の命を案じた。
私はそっと吐息を溢した。次第に彼女の眉間に皺を寄せた顔が緩んでいく。仮面男の顔は見えないけれど、殺気立つ雰囲気が削がれた様な気がする。
同席している数人の女の子達も強張った顔が緩み、各々いつもの調子で隣の男に愛嬌を振り撒いた。
隣に座る男の視線が痛く刺さる。私はパウダールームへ逃げる様にその場から離れた。
「さっきのお前の能力だろう」
パウダールームから出ると仮面の男が待ち伏せていた。通せんぼする様に壁に寄りかかり長い脚を伸ばす彼に私は首を傾げるだけだった。
「席に戻りましょう」
途端に背中にどんっと鈍い痛みが走った。同時に両手首にも痛みが走る。身じろぎしようと微動だにしない。
「ドンキホーテ・ドフラミンゴ、ニコ・ロビン、トラファルガー・ロー、そして…赤髪のシャンクス」
名を連ねる彼の低い声色にハッと目を見開いた。
「これまでお前が関わってきた、正義に反するモノ達の名だ」
「…この島は協定が結ばれているはずよ」
彼の威圧感に負けないように睨みながら云うと、仮面男は、ふん、と嘲る様に笑った。
「政府が管轄している以上、お前らの情報は我々に筒抜けだ」
彼の目的が今名前をあげた人たちの情報を得ることならば、私は決して口を開かない。俯くと私の手首を縛りあげる彼の力が強くなった。
「離して…」
とても弱々しくて小さな声に仮面の男は「聞こえないな」と私の顔を覗いた。その瞬間、彼の顔に息を吹きかけた。目元を覆った仮面がひらりと彼の瞳を覗かせる。心底驚いたように目を見開いてる。
その拍子に放された手で彼のネクタイを掴み取った。重なる唇、わずかな隙間に流し込む呼吸。
咳き込む仮面の男はもう私への追求はしない——出来ない。
「誰でもトラウマを思い起こされる香りがあるでしょう。本能的に危険を感知する苦手な香り」
私はそれを彼に流し込んだ。試しに彼に手を伸ばしてみると、彼は猫の様に素早く後ろに下がった。毛を逆立てている様にも見えた。
そして、仮面の男をおいてその場を立ち去った。
「お前‼︎何やってんだ‼︎」
「何って帰ったの。私のこと嫌そうだったから」
オーナーの血相変えた顔を冷ますように冷静に言い返した。
「あのなァ…‼︎」
と悩ましげに吐息をつく。
あの後、そのまま店を出た。仕事を放棄したようなものなのだからオーナーの怒りがこちらに向くのは当然の結末。
しかし、彼は今回の件と全く関係のない、私個人の問題を指摘した。
「赤髪のことは忘れろ」
少し躊躇いがちに口にした言葉は私の胸に酷く突き刺さった。オーナー自身もあまり口にしたくなかった様子で視線を交わそうとしない。
彼は私とシャンクスの関係を長い年月見ていた人物だ。
『おまえ‼︎赤髪に気に入られてすげェよ‼︎』
と嬉々とした彼の目が哀れみの目に変わったのはいつからだったか。
「お前は飽きられたんだ…!この商売してる女なら分かるだろ‼︎何吹聴されたか知らねェが間に受けるな‼︎」
その言葉を受け、込み上げてきたものは怒りではなく、悲しみだった。