04

 

「うんうん。やはり似合うねぇ」

ポートマフィア首領、森鴎外は自身の愛人の手を取ったまま、満足げに頷いた。

「君にぴったりの色だと思って取り寄せた甲斐があったよ」
「…早く終わらせてくれない?」

膝を突き合わせ、向かい合わせに座る二人。
白い手袋を外し、お蝶の手を取る方とは逆の手で鴎外は小さな刷毛をお蝶の爪に滑らせる。
一方のお蝶はその作業を見つめながら、時折エリスの遊ぶ姿に目を配っていた。

「おや、釣れないね」
「貴方に任せていたら、いつまで経っても終わらないじゃないの」

いきなり鴎外がマニキュアを塗らせてほしいと言い出すので任せてみれば…
セクハラ同然にお蝶の手を触ってばかりで全く進まない。
中断を切り出しにくくする為、わざとお蝶の左手から塗り始めたのがまた腹立たしかった。

「しかし、まだ時間はあるのだろう?」
「…出る前に、行きたい所があるのよ。今日は、あの子に会う日だから」
「やれやれ、妬けるね」


本当はそんな事、思ってもいないクセに──…


「そうだ。例の臓器売買の件なのだけれどね」

マニキュアを塗り終えると、普段の色味を抑えた化粧とは違う、鮮やかな薔薇色の唇を愛おしげに指で触れ、鴎外は『もう一つ』の仕事について語り始めた。

「後始末は全て芥川君に任せる事にしたよ。それと、標的が商品の調達の為に起こしていると思われる例の連続失踪事件だけれど…」

ここ最近、臓器の密売などという危ない橋を渡り始めた「個人業者」が居るらしい。
その人物は考えなしの流通量で急激に利益を上げ、このままでは本職であるマフィアの面目も丸潰れだ。
しかし、たかが個人が、ありとあらゆる箇所の臓器を新鮮な状態で入手する手段など限られている。
そこにタイミング良く、ヨコハマを訪れている人々が次々と姿を消す事件が起き始めた。
繋がりを疑うなと言う方が無理な話だ。


「どうやら『武装探偵社』が嗅ぎ廻っているらしいね」

探る様な眼差しがお蝶を捉える。
僅かな動揺すら見逃さないと、好奇を湛えた瞳が告げている。

「……探偵社だもの。当然でしょ?」

…本当に、嫌な男だ。



────…


異能を持つ者は特異な力故に周囲から忌み嫌われる事が多い。
だが、異能の中でも特に恐れられる能力が一つ。


「うっ…うう…」

嗚呼、今日もまた泣きじゃくる声が聴こえる…


頑丈な柵でぐるりと囲われた暗く狭い一室の中で、人形を抱いた子供が泣いている。
柵の外でお蝶はその様子を暫し窺っていた。

精神を操作する類の異能──…
最も忌み嫌われる能力を持っていたのは、善悪の区別もつかずに異能を遊びに使う幼い子供だった。

「………」

お蝶は時計を確認する。
迎えの車が到着する時間が近付いていた。 


「Hey,Q」

お蝶の声に、俯いていた子供は弾かれた様に顔を上げる。

「あ…あ……」

大きな瞳を見開いたまま、ふらつきながら子供は立ち上がり、縋る様に柵の向こうへと手を伸ばす。

「っ、ママ…!」
「No!お姉さんデース!」

柵の隙間から伸ばされた小さな指を自身の指と触れ合わせ、お蝶は穏やかに微笑みかける。

「Q、いい子にしてマシタカー?」
「うんっ。おねーちゃん、会いたかった…」
「YES!Qはホント偉いヨー」

(本当はそんな事──…)

お蝶を拠り所にしている目の前の子供には、決して明かす事の出来ない本心。
何て嫌な既視感なのだろう。


「いい子…じゃあボク、外に出られる?」

期待に満ちた眼差しがお蝶を見上げる。

「Er……Sure.Qがいい子にしてるってハニーも知ってるヨ。だからもう少しだけ待っててネー?」
「うん!」



Qに別れを告げ、来た道を戻ると出入口の扉の前で盛装に身を包んだ男が壁に背を預けて立っていた。

「ッたく…探したぜ?お蝶」
「Sorry,チューヤ」

中原の視線は閉ざされた扉へと向けられる。

数年前、ある精神操作系の異能者が暴走し、多くの人間を死に追いやった。
その異能を持つ者こそがQ、夢野久作だった。
無効化の異能を持つ元相棒が事態の収束に関わっていた事を知る中原は、案じる様にお蝶へと視線を移す。

「Don't worryダヨー、チューヤ。……あの子は私に異能を使わないもの」

夢野久作は現在、座敷牢に軟禁されている。
異能ドグラ・マグラによってポートマフィアの人間も殺し合い、自死し、多くの犠牲が出た。
なのに何故、生かしているのか。

──それは、いざという時の切り札として利用価値があるからに他ならない。

いつか夢野の異能が必要になる時が来るまで、自由を奪われた子供を懐柔しておくのがお蝶に与えられている役目。


「太宰の元部下の件といい、手前も大変だな…」

首領の一番の側近であり、特異な異能者である故にお蝶に回ってくる仕事は基本的に厄介事だ。

「Oh,それはチューヤもデショー?」
「ハッ、ちげぇねえ」

いつかの時の様に二人は地下の駐車場に向かいながら、冗談めいた会話を始める。


「足元、気を付けろよ」

愛車の助手席側の扉を開け、中原はお蝶の纏うドレスのスカートを気に掛けた。
普段の短めの袴と違い、今夜はつま先まで足を覆い隠すイブニングドレス。

「Thank you.大丈夫ダヨー」

お蝶がスカートを寄せて助手席の扉を閉めたのを確認すると、中原は正反対側の運転席に乗り込む。

「お蝶」

そしてエンジンを掛ける前に、顔を背けたまま口を開く。

「あの…その、だな…」
「?」
「……似合ってるぜ」

言い終えると、車を動かす為に真っ直ぐ前に向き直った。
照れ隠しなのかお蝶に一瞥もくれずに。
相変わらず可愛らしい。

シートベルトを付けたまま、お蝶は身を乗り出す。

「ありがと」

片頬に一瞬触れた柔らかい他人の熱が何なのか瞬時に理解し、中原は激しく動揺した。
同時に、頭の脳裏には、目的地に着いたら頬に付いているであろう紅を拭き取らなければ…という現実じみた考えが過ぎったのだった。


車を出すと、お蝶はふぅ…と小さく溜息をついてスカートの中から小型の拳銃を取り出した。

「オイオイ、手前…たった六発ばっかでいいのかよ?」

運転しながら横目で銃のモデルを確認した中原はすかさず苦言を呈する。
装弾数、六発…カスタムしても最大八発。
隠し持つ事に特化させ、凹凸を極限まで減らした、小型の拳銃として最も有名なこの銃は代償として装弾数が標準的な拳銃よりも少ない。

(ま、コイツが鼻歌歌いながら何人だって殺れる女だってるのは知ってるがな…)

普段からお蝶が袖の下に今、膝の上に置いている物とは別の銃を隠し持っている事を中原は知っている。
飾りではなく、首領の護衛として何度もその引き金が引かれた事も…
殺しが専門の実働部隊には遠く及ばないが、お蝶だって黒社会に身を置くマフィアなのだ。
しかも、ポートマフィアとしての在籍期間は中原よりも長い。

──だからこその、今回の相方だ。



「…着いたぜ」

中原の言葉に、お蝶は窮屈で膝の上に置いていた銃をスカートの中の脚のホルスターに戻す。
一見変哲もない、ふわりとスカートが広がるイブニングドレスも、武器の秘匿携行がしやすい様にスカートに細工が施されている。
当然、短刀も隠し持ってる筈だろうからこのスカートの中は軽い武器庫になっているだろうと中原は予想を付けていた。

「お手をどうぞ、レディ」

車から降り、助手席の扉を開けて中原は紳士的に手を差し出す。

「フフッ」
「チッ、笑うなよ…」

そう返す中原も口元に悪戯めいた笑みを浮かべていた。

到着した場所は、橙色の照明でライトアップされた迎賓館の前。
夜会に相応しい服装を纏った二人。
しかし、その服の下には二人とも夜会に凡そ似つかわしくない武器を潜ませている。
 

──標的を、全て始末する為に。


「さてと…任務、開始だ」

 
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