05 「さて、君の今後の処遇だが──…」 執務室に呼び出された芥川は、机の上で手を組む部屋の主の言葉を待つ。 しかし… 「…うーん、困ったねぇ」 一瞬前の威厳は何処へやら。 戯けて苦笑いを浮かべる男。 「も〜ハニー、No!ダヨ?」 そんな男──森鴎外を嗜めるのは、不遜にも執務机の隅に腰掛ける、首領付きの秘書。 名前すら不明の謎の女性を、芥川がよく知る人物はお蝶と呼んでいた。 「だって〜」 「フフッ、そんなハニーも、LOVEヨ!」 ふざけた夫婦漫才を目の前で繰り広げられても、芥川が動じる事は無い。 このポートマフィア首領が己の扱いを決めかねる理由を芥川はよく理解していた。 先日、芥川の直属の上司、太宰は任務中に忽然と姿を消した。 程なくして太宰本人は失踪による除籍が決定したが、残されたのは最高幹部の一人であった太宰に付いていた多くの部下達の処遇。 ポートマフィアには幹部派閥が存在し、多くの構成員が幹部の誰かの派閥に属している。 太宰の除籍によって、彼の部下達は太宰の庇護を失った事になる。 ミミックの残党狩りを終えると、ポートマフィアは次は最高幹部の不在によって生まれた問題に直視せざるを得なかった。 太宰の部下や直下組織は再編成が必要だ。 先日、とある方法で得た異能開業許可証によってポートマフィアが以前より格段に動きやすくなったとしても、内部のごたつきは早く収めるに限る。 だが、太宰の部下の中でも特に扱いが厄介な存在が……芥川。 芥川は二年前、太宰が幹部に昇進したその日に何処かから拾ってきて自身の直属の部下にした子供だ。 キャリアの浅さ、十六という若さ…遊撃隊の隊長に昇格させるには未熟で早すぎる。 かと言って誰かの部下にするにも、太宰の影が強すぎて、残りの五大幹部含めて誰の下にも就けられない。 しかし、太宰が拾っただけあって実力は高い。 間違いなく将来有望株だろう。 その為、芥川に対する森鴎外の采配に注目する者は多い。 「うん、決めた。そうしよう」 愛人の秘書を抱き寄せ、人目も憚らずイチャついていた鴎外は突然、一人納得した様に呟く。 そして、芥川の方に笑顔で向き直ると… 「芥川君。君が独り立ちするまでの間、彼女が君の庇護者だよ」 流石に一番の側近である彼女も予想外だったのか、驚きの表情で目の前の相手を見つめている。 「とはいえ、彼女は私の大事な秘書だからね。太宰君の様に遊撃隊の全てを任せる訳にはいかない」 遊撃隊は本来ならば、首領直轄の組織。 たまたま遊撃隊を指揮する太宰が五大幹部に昇進した為、現在の体制が生まれたのだ。 「だから遊撃隊の臨時顧問という形にしよう。…どうかね?引き受けてくれるかい?」 「………」 鴎外の問いは、芥川では無く彼女へと向けられていた。 「Phew…this sucks.Screw you」 異国の言葉に堪能ではない芥川には、鴎外が溜息混じりに一体何を呟いたのか解らない。 しかし、彼女はいつもの様に明るい笑顔を取り戻すと、鴎外の頬に軽い口づけを落とす。 「ハニーのお願いだもん。Ok!I'll do my best!頑張っちゃうヨー!」 「うんうん。では二人共、宜しく頼むよ。さて…」 満足そうに頷き、鴎外は席を立つと隣の部屋に繋がる扉を開ける。 「エリスちゃ〜ん、お待たせ〜」 そして、鴎外の姿は猫撫で声と共に扉の向こうへと消えていった。 「フフッ、ハニーは相変わらずデース…」 二人だけ残された執務室に、彼女の困った様に笑う声だけが響く。 太宰に拾われた時に初めて顔を合わせたこの女性と、芥川が最後に会ったのは… 『次しくじったら、二回殴って五発撃つ。いいな?』 独断で捕えた捕虜を殺した事を太宰に咎められた時だ。 しかし、太宰はもういない。 厳しくも自分を導こうとしてくれていたあの人に認められたかった。 その為に、自分に出来る事は何でもやった。 だが、太宰は芥川を置いて、何処かに行ってしまった。 この少女の様な風貌のか弱い女性が、太宰の代わりになる筈など無いのに… 「………」 芥川の心境を知ってか知らずか、彼女は腰掛けていた執務机から降り、芥川の元に歩み寄る。 ふわりとバニラの甘い香りが漂う程の距離まで近付くと立ち止まり、右手を差し出した。 「Let's do our best.ヨロシクネー、リューノスケ!」 「 交わされない握手。 すると、彼女は強引に芥川の右手を握り、耳元に口を寄せる。 「貴方が次の隊長になるのよ。その時が来るまで、いつか彼に出会った時に堂々と在れる人になりなさい」 その瞬間、幻聴ではないかと疑うような言葉。 「…!?夫人…?」 「Um…?応援してマース!」 ──彼女の瞳が、一瞬だけ『あの人』と重なった。 †††††††† あれから二年──… 「失礼します。芥川です」 芥川は任務の完遂を報告する為、お蝶の部屋の前を訪れていた。 「夫人…?」 この部屋で待つと言い出したのは彼女だ。 なのに、ノックしても返事は無い。 「失礼する」 無礼だと思いながらも、芥川は彼女の部屋に足を踏み入れた。 「………」 この部屋に入るのは初めてではない。 だが、此処を訪れる度に何故か感じる生活感の無さに違和感を覚えてしまう。 妙な話だが、衣装箪笥や化粧品の置かれた鏡台など、女性の生活に必要な物は一通り揃っているはずなのに、「彼女は此処には住んでいない」様に感じてしまうのだ。 すると、真新しいソファから何かがゆっくり起き上がる。 …彼女だ。 「あー…」 芥川の姿を見つけ、彼女は渋い表情で一瞬だけ頭を抱える。 そして、すぐに笑顔を作り… 「Hey!リューノスケ!お疲れサマーバケーション!」 「…お疲れ様です」 この人の普段の顔が偽りである事は、あの日から既に知っている。 しかしこの二年、芥川がそれに言及した事は一度も無い。 「早速だが報告を始めさせてもらう」 「Go ahead.ついでにtea timeにしまショ?」 茶を用意するお蝶の背を見つめながら、芥川は臓器の密売に手を出した運転手への報復から始まった異国の武器商人の始末が完了した旨を伝える。 依頼人のきな臭さの件も報告を忘れない。 「諜報員が組合ネー…OK.ハニーに伝えマース」 ふと目線を机の上に落とすと、何日か前の新聞が綺麗に折り畳んだ状態で置かれている事に気付く。 普段、部屋に新聞など持ち込まない彼女にしては、珍しい。 『横浜連続失踪事件の被害者、発見さるも死亡』 『民間の探偵会社が独断で踏み込んだ為、死亡か』 新聞の一面を飾るのは、ある探偵会社の不祥事。 その探偵社とは、武装探偵社──… 芥川が運転手の始末に向かった時に対峙した眼鏡の青年が所属している所だった。 標的の運転手はこの連続失踪事件の真犯人であった。 眼鏡の青年と交戦し、標的を逃した件についても彼女に報告していたが、彼女が芥川の仕事を気に掛けてこの新聞に目を通したとは思えない。 ──この二年、彼女は芥川を見守るだけであった。 悪く言えば、放任。 あくまで彼女は他の業務の傍らで遊撃隊のお飾りのトップとなり、芥川を預かっているに過ぎない。 芥川も、彼女を上司として敬意を払いはしても、太宰の時の様に師と慕っている訳ではない。 「Huh?シュガーポットは…」 紅茶を蒸らす待ち時間に彼女は角砂糖の容器を探している様だ。 自分が住む部屋なのに…と訝しんだ時、芥川は自身が感じていた違和感の正体が何となく理解出来たのだった。 ようやく目的の物も見つけたのか、四角のトレーにティーセット一式を載せて女はこちらを振り返る。 「Hey!お待たせしまシタヨー!」 †††††††† はぁ…とお蝶は小さく溜息をつく。 せっかく紅葉から土産で貰って手付かずだった茶葉を使おうと思ったのに、目の前の男は寝起きには珈琲がいいと我儘を言い出した。 普段、身支度か一人寝る時のみにしか使わないこの自室は、インスタント珈琲すら殆ど使わないというのに。 「ねえ、お蝶」 「何?味に不満でもあると言うのかしら?」 「いや、そんな事は無いよ」 せめてもの嫌がらせとして砂糖もミルクも用意されなかったブラックコーヒーを涼しげな顔で飲みながら、太宰はあっさり否定する。 「流石は首領の秘書殿、インスタントとは思えないくらい美味だ。それはさておき、私が訊ねたいのはだね」 空になったカップにお代わりを注ぎ、お蝶に向けて真剣な瞳を向けた。 「もし、私が組織を抜けたら…」 自身が言い終える前に眉を顰めてあからさまに嫌悪を示すお蝶の様子に気付くと、笑顔で「嫌だなぁ、もしもの話さ」と太宰は嘯く。 「そう。自殺が成功したり、敵組織に殺されるでも何でもいい」 冗談めかして話しても、内容は極めて物騒。 やはりこの男は、あの人の嫌な所にそっくりだとお蝶は感じた。 「もし、私がいなくなったら…芥川君を任せてもいいだろうか」 「…馬鹿言わないで」 芥川──… 太宰が何処かから犬猫を拾うかの様に連れ帰り、元の場所に戻して来いと言っても聞き入れずに、お蝶に生活する為の環境を用意させたあの時の子供の片割れだ。 随分と手酷く扱っている様子だが、拾われた恩義を感じているのか当の芥川は気味が悪いくらいに太宰に心酔しきっている。 (その子供を、私に──…) 「──貴方の代わりなんか御免よ」 勝手な事を言う所も、本当にそっくりで反吐が出る。 |