07

 

──五大幹部の一席が空いたまま、四年の時が過ぎた。


更に五大幹部に昇進した中原が長期任務になる事が予想される西方の鎮圧に出向いている為、現在ヨコハマに居るポートマフィアの幹部は三人。
負担の皺寄せは当然、お蝶の元にもやって来る。
いい加減に太宰を諦めて誰かを幹部に昇格させてはどうかとお蝶は何回か鴎外に進言したが、彼は未だに太宰を待つ気でいる。
…自分が追い出した様なモノなのに。


「Hey!I'm back!」

Qとの面会を終え、お蝶は護衛の構成員が開けた扉の向こうに足を踏み入れる。

「やあ、戻って来るのを待っていたよ」
「Really?Wow,ハニィー!」

護衛役の手前、ハイテンションで鴎外に抱きつくお蝶。

「寂しかったデース!Stay by my side forever.ネ?」

茶番を見せられ、エリスは溜息をついてお絵描きを再開させた。
一方の鴎外は相変わらず愉しんで愛人ごっこに乗っていたが、暫くしてから護衛達を人払いした。

「………」

退室する護衛の背を見送り、扉が閉じるのを確認すると、お蝶から人懐っこい笑顔が消える。

「…いきなり呼び戻して、何の用なのかしら?」
「いやあ、すまないね」

言葉とは裏腹に全く悪びれずに、鴎外は口元に笑みを浮かべる。

「五大幹部会を開く程ではないが、重要な案件が来てね。君の意見が聞きたい」


北米の異能組織、『組合』からの依頼──…

先日ヨコハマに入り込んだと思われる、虎に化ける異能を持つ少年の生け捕りと組合への引き渡し。
報酬金額は七十億。


「さて、誰に任せるべきか…」

七十億という金額は、入手出来れば、組織のこれからを大きく左右する程の大金だ。
それに、組合は必ずこの話を別の組織にも持ち掛けているだろう。
六年前の龍頭抗争を最小限の被害で乗り切り、今やこの街の闇社会を支配するまでに盤石な地位を手に入れたポートマフィアだが、敵対組織が成長する可能性を放っておく程、日和見では無い。
…何としても手に入れたい。

「"人食い虎"なんて言われてるのね。これが事実でも独り歩きした噂でも…半端な戦力は割きたくない。そう言いたいのかしら?」

鴎外から離れ、膝の上にノートPCを乗せてソファに座るお蝶はキーボードを両手の指で叩きながら話す。
お蝶の問いに、鴎外は笑みを深くする。

「うーん…こんな時、中也君が居てくれたらねえ」

虎に化ける異能者の生け捕り…
異能と本人の格闘術の実力から考えると中原向きの案件であるが、生憎と中原は現在も西方に遠征中だ。
ようやく片がついたと連絡があったが、組合が提示する期日までに中原が帰って来られるとは限らない。


異能には異能を──…
腕が立ち、なおかつ標的を殺さない異能者。


「……私は、芥川くんを推すわ」

鴎外がわざとらしく、意外そうに目を見開く。

「おや。確かに芥川君は優秀だが、どうしてだい?」
「遊撃隊の予定が空いているし、彼の異能は殺しに使うだけじゃないもの」

PCの画面から目を離さないお蝶の言葉に、成程と頷いて見せる。
だが、この男が最初からこの任務は芥川に任せる気でいる事をお蝶は薄々勘付いていた。

「では、遊撃隊に人虎捕獲任務の通達を頼むよ」
「…了解」

お蝶が遊撃隊に渡す予定の指令書を打ち終わるとほぼ同時に、鴎外から首領としての正式な決定が下される。

「じゃあ、行ってくるわね」
「あ、待って」

PCを片付け、ソファから立ち上がるお蝶を鴎外は呼び止めた。

「…?」
「災害指定猛獣として手配されている、街の倉庫や畑を食い荒らす人虎……恐らく、彼らも今頃動いているのだろうね」


昼と夜の世界。
その間を取り仕切る薄暮の武装集団──…

彼らの名は…



††††††††


「…と、いう訳で、ジャジャーン!これがハニーからの指令デース!頑張ってクダサーイ!」

任務の説明を終え、陽気な秘書は詳細が書かれた指令書を懐から取り出し、芥川に渡した。

「承知。やつがれにはこの程度、容易い任務だ」


首領からの任務を伝える伝達役と受け取る上司。
何の変哲もないやり取り…なのに、それを見守る樋口はどうにも落ち着かなかった。

(先輩……)

芥川が遊撃隊の隊長に昇格するまで、隊長の座は空位であり、目付役として首領付きの秘書の彼女が芥川と樋口の上司だった。
樋口が遊撃隊に入った時には既にこの体制が築かれており、秘書は芥川が遊撃隊で唯一頭が上がらない存在であった。

元上司と後輩で態度が違うのは、当然の話だ。
しかし、己の恋心を自覚した時からある一つの疑念が生まれていた。

(…先輩は、秘書殿の事を…)

相手は首領の愛人。
首領と秘書の関係はポートマフィアにおける公然の事実だ。
彼女の部下であった芥川が知らないはずが無い。

けど、もしも芥川が秘書に恋情を抱いていたら…?


芥川達の様子を気が気でないといった表情で眺めていた樋口だったが、そんな樋口を硝子玉に似た瞳が見つめ返す。

「!」

弾かれた様に樋口が慌てて目を逸らすと、ブルーグレーの瞳はすぐに関心を失くした様にまた芥川に笑いかける。
そして、不意に頬に掛かる長い髪を指先で耳に掛けた。

いかにも男性が好みそうな仕草に、樋口は敗北感に打ちのめされる。
自分は、あんな風にはなれない…と。

だから事が起こるまで、彼女の動きを見逃していた。


「では、Good luck」

芥川の耳元で囁き、そっと頬に唇を寄せる。

チュッ


「………」

眼前に広がる信じられない光景に樋口は石の様に固まった。

お願いシマース!と手を振りながら、秘書は扉の前に控えていた見送りの広津と共に部屋から出て行く。
室内には、微動だにしない芥川と放心状態の樋口だけが取り残された。



「…随分と、大胆な事をなさる」

廊下を歩きながら、広津が口を開く。

「Why.…だって、やる気を出してもらいたいでしょう?」
「芥川君に……では無さそうだ」

彼にやる気など、今更な話だ。
色を使う事に長けている目の前の彼女が何もしなくても、芥川なら任務を成功させるだろう。

──では、誰に?

…と考えるまでもなく、あの部屋には彼女と芥川と広津自身の他に、一人しかいなかった。


「好きな人の為なら頑張りたくなる…自然な事ね。他の女に奪われてしまいそうなら尚更だわ」

口元に指を当てて女は嗤う。
少女めいた外見と裏腹に、男好きする仕草を知り尽くしている彼女は、主に似た狡猾さを持ち合わせている。

「あまり焚き付けるのは如何なものかと」
「フフッ、そうね」

(やれやれ…)

彼女に嫉妬心を煽られた上司が無茶を仕出かしやしないか…
近い未来を憂いながら、広津は小さく溜息を吐いた。

 
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