08

 

「え…?」

早朝からの迷惑極まりない電話の着信に、お蝶は顔を顰める。
しかも端末の画面には、意外な着信相手の名前が表示されていた。


────太宰治。


「Hello」
「やあ、お蝶。久しぶりだね」

もしかしたら、電話の向こうの相手は別の人間ではないかと期待したが、儚い希望だった。
この飄々とした声の主はお蝶の記憶の中には唯一人だけで、名乗られるまでもなく太宰だと判る。

「今更どうしたのかしら?裏切り者さん」

四年ぶりに聴く声は狭い場所にでも居るのか、不自然なくらい反響して聴こえる。

「実は君に頼みがあってね。……死にそうなのだよ」
「…死ねばいいじゃない」

正直な感想が自然と口から零れた。

「助けてくれないかい?」
「どうして私が」
「死にそう」
「あら良かったじゃない。Yeah!Congratulations!」
「そうだけど」
「貴方に構ってる程、暇じゃないの。Good-bye」

真顔で別れを告げると、お蝶は躊躇う事なく、通話終了のボタンを押した。


(これは…報告、すべきなのかしら…)


††††††††


白い壁に柔らかな木の色合いが映える、清潔感溢れる空間…

心地よいクラシック音楽が流れるその場所で、森鴎外は一人掛けのソファに腰掛けて本を読んでいた。
連れのエリスは向かいのソファで絵本を読んでいて、丸いガラステーブルの上には数冊の絵本が積み上げられている。
クラシック音楽の中にドライヤーを使う音が混ざり始めると、鴎外は本を閉じて音が聴こえる方向を見つめた。


此処はヘアサロンの待合室。
だが、客は鴎外でも可愛いエリスでもなく、もう一人の連れの方だ。

病院と並び、人体に刃物を向けるヘアサロンの利用はマフィアには常に危険が伴う。
敵の回し者がスタイリストに成り代わり、切れ味がとても良いシザーや剃刀で喉元を掻き切る可能性は決して低くはない。
だからこそ、こうしてポートマフィアの息が掛かった店を貸し切りで利用するし、万が一に備えてお蝶とスタイリストの周囲の三方を黒服達が囲んでいる。


「…如何でしょう?」
「Wow!How,beautiful!Thank You」

仕上げのブローを終え、二人が出来を確認し合う。
お蝶から文句なしの返答が返ってくると、離れた場所でそれを聴いていた鴎外はソファから腰を上げ、彼女の元に向かう。

「やあ、終わったようだね」
「ハニィー!」

スタイリストがお蝶からケープを外すと、お蝶は鴎外に抱きつく。

「お待たせデース」

殆ど長さの変わらない髪だが、鮮やかな蜂蜜色の髪は幾分か艶を増していた。

「Oh,エリスゥ〜!お待たせシマシター!」

お蝶は鴎外から離れると、今度は絵本を置いてこちらにやって来たエリスを抱きしめる。
どんな菓子を買いに行くか話し合う二人の姿はまるで仲の良い姉妹の様で、鴎外は満足そうに笑みを浮かべたのだった。



洋菓子屋から持ち帰った色とりどりのケーキが並ぶテーブル。

「わぁ…!」

目を輝かせるエリスの横で、いつもの袴姿の上から白いフリルエプロンを着用したお蝶が紅茶を淹れる。
頭にはトレードマークになって久しい大きなリボンが戻っている。

「探偵社に太宰くん……ブッソウ探偵社相手じゃ芥川くんも骨が折れるわね」

鴎外の分の紅茶を淹れながら、お蝶は皮肉を込めて探偵社の名を呼ぶ。


太宰がお蝶にふざけた電話を寄越したあの日──…


人虎を捕獲する為に動いた遊撃隊は彼が入社したという探偵社の同僚として、太宰と接触した。
人食い虎に元ポートマフィア幹部の太宰…武装探偵社も随分と物騒になったものだ。

「…だろうね。どうする?君が手を貸すかい?」
「彼が助けを求める前に?きっと、男のプライドが許さないわね」

…それに、無効化の異能を持つ太宰にはお蝶の異能は効かない。

「──けど、私ならまず太宰くんを潰すわ」
「ま、それが論理的最適解。芥川君も理解しているさ」

無効化の異能と彼の頭脳はとても厄介だが、四年間何も変わっていなければ生身の太宰は武闘派のマフィアに劣る。
狙うなら、まず太宰だ。


「…で、人虎捕獲に失敗した遊撃隊の処罰はどうするのかしら?」

エプロンを外し、お蝶は執務室の扉へ向かう。

「約束の日時まではまだ時間がある。人虎の引き渡しさえ成功すれば、何も問題ないよ」
「なら、そう伝えておくわ」

一度も鴎外の方を振り返る事なく会話を終え、お蝶は執務室から出て行った。



────…


「お蝶っ!」

その呼び声と共に、お蝶の姿が廊下の曲がり角の向こうへ消える。


「Oh…」

自身を引きずり込んだ者の正体を見上げ、お蝶は困った様に笑う。

「紅葉?What's wrong?」
「…話がある。暫し付き合え」

そして、怒り心頭といった様子の幹部、紅葉に引きずられる様に連れて行かれるのだった。


「あの小僧っ、よくもわっちの鏡花を…!」

紅葉の執務室に到着すると、彼女は開口一番にある人物への怨嗟を吐き出した。
『鏡花』とは少し前に構成員になった紅葉のお気に入りの娘の事だ。

その鏡花は現在、紅葉が忌々しげに小僧と呼ぶ人物の下で暗殺者として戦果を上げている。

「お蝶よ、そなたから小僧に鏡花を手放す様に伝えてはくれぬか?私はもう我慢ならぬのじゃ!」
「…と言っても、私もう彼の上司じゃないのよ?」

半年前、鏡花は自ら"小僧"こと芥川の下に就いた。
二人の間にどんなやり取りが交わされたのか不明だが、当時も今と変わらず鏡花を自分の直属にしたがっていた紅葉が彼女が横取りされた事を知り、激怒したのは言うまでも無い。

「分かっておる。じゃが、私は…あの子にもう夜叉白雪を使わせたくないのじゃ」


夜叉白雪──…

紅葉の金色夜叉と似たタイプの、鏡花が持つ異能。


ある事情で己の異能を酷く嫌っている鏡花を気遣い、紅葉は鏡花に異能を使わせなかったが、芥川は違う。

鏡花と同じく孤児からマフィアになった芥川は、生きる為の術として太宰から異能の使い方を叩き込まれた。
だから彼には、異能者が異能を使いこなして生きる事に何の疑問も葛藤も存在しない。

「貴女の言い分も分かるわ。異能を厭う気持ちには覚えがあるもの。…でも、悪いけど協力出来ないわ」

鏡花の気持ちも、芥川の選んだ道も…
どちらも経験しているからこそ、お蝶には選べない。


「…ふぅ。やれやれ」

何となくお蝶がこう言う事を予想していた紅葉は、諦めた様に口元に笑みを浮かべる。

「相変わらず、そなたは童に甘いのう」
「あら、そうかしら」
「全く…鴎外殿の様に食えぬおなごじゃ。…ふふ、嫌そうな顔をするでない」


(中也よ。とうに知っておるじゃろうが、この娘は主の手に余るぞ…それでも良いのかえ?)

そして、目の前の女に長年想いを寄せ続けているかつての部下の恋路を密かに案じるのだった。

 
back

ALICE+