ぼんやり目を開ける。あぁ朝が来たのかと部屋の明るさで理解した。休日の寝起きというものはなんて気持ちいいんだろう。微睡みながらこのまま起きるか、二度寝するかを悩むのも休日ならではの贅沢な時間。今日の気分は二度寝だと再び目を閉じた。ふかふかの布団のなんて気持ちいいことか。一回深呼吸してみれば、鼻腔をついたのはいつも自分の部屋からは感じられない香り。あれ、私、芳香剤変えた……?
それに加えて腕の中にはもふもふと心地よい感触がした。ぬいぐるみは部屋にあるけれど、この感触はぬいぐるみというよりも動物の毛の、ような。おそるおそるそれをみるべく視線を下ろしてみるとそれは猫でもなく、犬でもない、黒い毛に覆われた……。
「狐?」
腕の中のその存在は呼吸しているようで一定のリズムでゆったり身体が動いている。くぅくぅ眠る姿はとても可愛くて、頭を撫でてみれば安心したように私にさらに寄り添ってきた。もしかして昨日帰り道とかでこの子を拾ったんだろうか。
昨日、といえば私は合コンに参加していた。慣れない雰囲気に戸惑っていたら合コンに参加したメンバーに中学が一緒だった夏油くんがいて、安心して、それで……それで?
嫌な予感を察知しながら、狐をそっと手放し意を決して布団から起き上がってみる。こういう予感というものは人間当たってしまうもので、やっぱりというか。周りを見渡してみるとここは明らかに私の部屋ではなかった。
不明瞭な頭の中を探って自分が思い出せる最後の記憶をなんとか思い出す。お店を出る時、それなりに私は酔っていた。知り合いだし、帰る方向が同じだからと夏油くんと二人で帰った……ような。だとしたらどういう経緯でここに来たのかはわからないけれど、多分ここは夏油くんの家じゃないだろうか。でも確定、では無いから一見部屋の中に彼の姿は無いことに不安が募る。
「夏油くん、いるのかな……」
「ん、なんだい……?」
「えっ?」
独り言のつもりで発した言葉に返答が来るとは思わなくて驚く。でもさらに不思議なのは、その声は布団からしてきたということだ。布団を見れば私以外誰もいなさそうだったのに布団が突然大きく膨らんでそこから、狐の耳と尻尾がついた上半身裸の夏油くんが出てきた。
「夏油、くん?」
「あぁ。おはよう」
狐の耳と尻尾を見てさっき私の腕の中にいた狐を思い出す。まさかとは思うけどあの狐は……夏油くん!? ふわ、とあくびをしながら目を擦る彼はまだ自分の姿に気づいていないのか呑気にゆっくり瞬きをしている。
「その耳と尻尾……何?」
「ん? あっ」
しまったという顔で夏油くんは狐の方の耳を触った。ぴこぴこ動くそれにそっと手を伸ばして私も触れてみる。ほんのり温かくて、艶やかな毛の感触が心地いい。そこから視線を下ろしていけば彼の裸体が目に入って心臓が大きく跳ねたけど、それ以上に大きな尻尾に目がいく。今度はそちらへ手を移動して撫でてみれば極上の手触りがそこにはあった。もふもふ、ふわふわ。顔を埋めてしまいたいという衝動を堪えつつ、撫で続ける。
「あの、夏油くんって狐……なの?」
「そう。今までバレたことはなかったんだけどな」
そういえば中学の時からどこか大人びているというか、普通の人とは少し違うような不思議な雰囲気の人だとは思っていたけど……。尻尾を撫でながらふと夏油くんを見上げれば、撫でられているのが気持ちいいのか心地よいとばかりに目を細めた。それはさっき、私の腕の中で寝ていた狐とそっくりでやっぱり彼だったんだと理解する。
「可愛い……」
ぽつりと呟くと夏油くんに手首を掴まれ、ベッドに押し倒される。そして彼の鼻先が胸のあたりに触れた。そして私はなんだか胸に解放感があることを知覚して今一度自分の姿を見てみると、昨日自分が着ていた服じゃなくておそらく夏油くんのパジャマの上だけを着ている状態だった。下の方は夏油くんが身につけているやつなんだろう。
それはまだいい。それよりも、私、下着つけてない……!? もしかして昨日私たちは。顔が熱くなっていくのを感じて、夏油くんの頭を自分の胸元から引き剥がして顔を手で押しのける。
「今更そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないか」
「夏油くん! 私たちやることやっちゃったのかもしれないけど! 付き合ってもないのにこういうのは……!」
「してないよ」
「して、ない?」
「昨日の帰り道突然雨が降ってきたから、君の家より近かった私の家に来ただけ」
だったら余計に気まずいやつじゃないの!? それにしてもなんで下着つけてないの? 酔っ払ってたから? 吐いたから? 夏油くんにどれだけ迷惑をかけてしまったのかはわからない。わからない、けど。でもだからって私はやすやすと男の人に身体を許せる人間ではない。
「昨日何もなかったならもっとダメ!」
「一宿のお礼は?」
「それは別途お渡しします!」
「なんとなくそうじゃないかとは思っていたけど、君貞操観念固いね」
「残念でしたね!!」
「一回ぐらいいいじゃないか。相性診断みたいなものだよ」
中学の時そこまで彼と親密な関係ではなかったとはいえ、夏油くんってこんな感じの人だったっけ? と驚いてしまう。それとも私が知らなかっただけで、元々こういう人だったのか……。いや、とりあえず中学の時と今がどう違うかは関係ない。現在の彼はこういう感じの人なんだと飲み込まなきゃ。
「と、とりあえず着替えよう? いつまでもお互いこの格好じゃ寒いし……」
「セックスは?」
「しません!! シャワー借りるよ!!」
ベッドから降りて裸足もお構いなしにぺたぺたと彼の家を歩き回る。お風呂場はどこか検討をつけながらいくつめかのドアを開ければ正面に洗面台が見えて、右手にはお風呂場らしき場所を発見してここが脱衣所でお風呂場だとわかった。近くにはドラム式の洗濯機もあって、うちで使ってるやつよりも数段良いやつだから乾燥機能もついている。それならとその中も見てみれば洗濯され乾燥済みの私と夏油くんの服と下着も見つけることができた。これは夏油くんに感謝しなきゃと今着ているものを脱ごうとすれば視界に入った洗面台に違和感を覚える。
黒い歯ブラシと、ピンクの歯ブラシ。一人暮らし(多分)の男の人の家にあるそういうもの。これを理解できないほど私もバカじゃない。血の気が引くような感覚がしながら動作を止め、脱衣所から飛び出た。
「夏油くん! 私帰る!」
「あれ、シャワーは浴びないのかい?」
「自分の家に帰ってからする!」
脱衣所から持ってきた服と下着を抱えたまま自分のバッグを探す。ベッド近くに置いてあるのを確認して床に一旦服達を置き、急いで着替えようとパジャマを脱ごうとする。
「急に大胆だね。抱かれたくなった?」
「違うってばあっち向いて!」
今日は日曜日。世間一般で言えば休日なことが多い。この時間じゃないにしても家に来る可能性だってないわけじゃない。間に合えばいいんだけど……!
「なんでそんなに慌て……」
そんな慌てている真っ最中、家の中にチャイムの音が響く。チャイムがなったからといっても宅急便だとか色んな可能性はあるけど、このまま自分の服に着替えるべきかどこかに隠れるべきなのか。私の思考はキャパオーバーを迎えていて、様々な選択肢から選び取ることができずにフリーズしてしまった。そうしている間に、軽やかな足音が迫る。
「傑いるんでしょ? お昼……」
バサリ、とスーパーの袋が部屋に入ってきた女の子の手から落ちた。彼女に見えているのは、パジャマの下しか履いていない夏油くんとその対になる上を着ている私。しゅ、修羅場だ……。事のやむなきを弁明したかった。でも多分彼女は私じゃなくて、夏油くんの言葉が欲しいだろう。今下手に口を挟んでも余計に拗れるだけかもしれない。口を閉ざして、見守ることにした。
「一体何の用かな?」
「傑浮気してたの……?」
「君が先にしていたし、別れようって話はとっくにしてるからどうだろうね」
「あの時はどうかしてたって言ったじゃん……!」
「君は許されて私が許されないのはおかしな話じゃないか」
その話し方だと私と浮気してるみたいな感じじゃない!? しかも何もしてないのに! 思い出しきれてないけど雨の避難のために夏油くんの家に来ただけっぽいよ! なんて突っ込みたいところを我慢して、二人を眺める。
「傑は何でアタシが浮気しても平気そうな顔をしてるの? アタシのこと好きじゃないの?」
「君は違う男がいいと思って浮気をしたんだろう?」
「違う……違うよ……っ、アンタが傑を誘ったの!?」
突然憎悪の目が向けられて硬直してしまう。蛇に睨まれた蛙状態で何もできない私を庇うように、夏油くんが私の前に立ってくれた。
「この子は何も悪くない」
女の子が夏油くんへ近づいたかと思いきやパンッ、と平手打ちの乾いた音が部屋に響く。
「サヨナラ。アタシの荷物は捨てておいて」
女の子は鍵を夏油くんの足元へ投げつけ、そのまま部屋を出ていく。遠くから玄関の音も聞こえて、家から出て行ってしまったのは明白だった。夏油くんはその姿を見送っただけで、追いかけようともしない。微動だにしないから、もどかしくなってしまう。
「夏油くん追いかけないの! 彼女なんでしょ!?」
「今ちゃんと別れたじゃないか」
「でもあんなのって……」
「雌が他の男に浮気するっていうことは、番になるのは私じゃなかった。それだけだよ」
「……そっか」
最低だと、ふざけないでと言おうとしたのに。その発言できっと狐として彼に根付いていた本能だと気づいてしまう。彼女の方が先に浮気をしていたようだし、なんだか怒るに怒れなくなってしまった。感情に任せて彼に手を出してしまいそうだった右手をゆっくり下ろす。沈んだ空気を変ようとしているかのように、夏油くんが口を開く。
「そういえば君とだと初めてだったことが色々あったんだ」
「初めて?」
「女性を家に連れてきて、抱かなかったのは初めて」
「……殴っていい?」
「あと気が緩んで狐の姿になったのも初めて。普段他人といる時はそんな事ないようにしてるんだけど……君といると気が楽なのかもしれない」
なぜか夏油くんがジリジリ近づいてくる。これは厄介なことに巻き込まれてしまうと後退りをする前に抱きしめられて、身動きが取れなくなってしまう。
「やっ、夏油くん離してって、ば……!」
「私のお嫁さん候補にならない?」
「な、にっ、それっ……!」
了承しなければ離してあげない。そんな感じの抱きしめ方に焦りが生じる。でも彼の腕の中じゃ、もがいても体格差で全然びくともしない。
「昨日合コンに参加してたってことは今彼氏はいないんだろう?」
狐という動物の本能も残している夏油くん。ここで了承してしまったなら苦労するのは目に見えてる。だって……。
「同時進行で他の女の子にも手を出すんでしょ?」
「私だけのたった一人を探してるから」
「夏油くんのお嫁さん候補になっても良いこと何もないじゃない!」
「もふもふし放題」
「……へっ?」
「君、ペット不可のアパートに住んでるって言っていたね。私の家に来れば耳なり、尻尾なり好きにしていいよ」
「うっ……!」
その辺りの事情を知っているということはきっと私は昨日の合コンの最中にペットを飼いたいけど、という話をしていたに違いない。毎日の仕事に追われて癒しが欲しい、というのはこの現代を生きる社会人には当然の欲求だと思う。そして私は子供の頃からペットを飼うという経験がしたことがなくて、正直さっき夏油くんの耳や尻尾に触った時言いようのない幸福感で満たされていた。
夏油くんはそんな私の躊躇いを瞬時に見抜き、瞬く間に狐の姿になる。とことこ歩いてきて脚にすりすり。尻尾をふりふりして私を見上げる。しかもちょっと寂しそうにキュー、なんて鳴き声まで……。その可愛さに負けてしゃがむと私の胸元に飛び込んできてキューと可愛い鳴き声を出しながら甘えてきた。く、くそう夏油くんだってわかってるのに……可愛いな狐……。夏油くんに会いにくればこうやってもふもふできちゃうのか……。
ぐらぐら揺れる心。夏油くんがちゃんと彼女と認める人を見つけるまでの間なら……。好きにならなきゃ他の女の子に手を出してても気にならないかもしれない、し。
「わかった。ちょ、ちょっとの間なら……いいよ」
ついに根負けして了承してしまうと夏油くんは人間に戻って、私を床に組み敷く。
「それじゃ、これからよろしくね」
悪そうな顔で口に弧を描き、おでことおでこをくっつけられる。私、とんでもない狐に化かされてしまったんじゃ……。
終わりなんてすぐにくるかもしれない。けれどそれまでどれだけ振り回されるんだろうと、心の中でため息をついた。