夜に逝くなら本望

ひっく、ひっく。しらないひとがまわりにいる。どこ?ここはどこなんだろう。わたし、ただかえりたいだけなのに。かあさまのところにかえりたいだけ。なのにどうしてほおっておいてくれないの。

幼い私がほろほろと涙を流して泣きじゃくる。目頭がひどく熱くなって、胸がきゅう、って締め付けられるみたい。いつものゆめ。母様がいなくなってしまったことが受け入れられない我儘な小さい女の子。

かあさま。かあさま。わたしはここにいるのに。どうしておいていったの。どうしてわたしもそっちにつれていってくれなかったんだ。

見当違いの八つ当たりだって、今なら痛いくらいわかる。でも、幼い私には到底受け入れられなかったのだ。世界の中心であった私の母親が死んでしまったなんて、そんな残酷過ぎる現実に見ないふりをしたかった。

だから、己のうちにある感情を凍らせてしまった。泣いてばかりの弱い私はいらない。強くあれないなら、この世界で生きている意味がない。母親の願いを叶えなければ。生きてと言われたのだから、私は生きなければいけない。

その言葉が私の人間らしさを奪うだなんて、皮肉な話でもあった。僅かな喜びを失い、哀しみばかりに溺れて、楽しみなんて欠片も感じなくなる心の在り方は、周りの人間を遠巻きにした。

けれど、それでいいのだ。もう、己の未熟さ故に過ちを繰り返さないように。

ーーー私を大切に思う人間なんて、誰一人としていなくなってしまえ。

ふと世界が真っ暗な闇に包まれる。辺り一面が仄昏い。自分の身体さえ、見えなくなるくらいの深淵。今日も沈むのだろうか。助けなんてこない深い深いうみに、漂っているのかな。

でも、それでもいいのかもしれない。

母様がいない現実なんて、苦しくて息ができない。

もう、諦めてしまおう。

そして、目蓋を下ろせばまた一日が来るのだ。

大切な人がいない世界で生きる、息苦しいばかりの私の現実が。

ーーーくる、はずだと思っていた。

暗闇に一筋の光が差す。けして辺りを照らし尽くすような眩しいものではない。けれど、真っ暗闇にただ一つ、きらりと輝くお月さま。闇夜の中で、けして私を独りにしてくれない人。

「ーーーゆちゃん」

お願いだから、照らさないで。この世界で永遠に蹲っていたいの。なにも望まないから、ここで独りにして。お願いだから、もうなにも失いたくない。目の前で血塗れになった母親のように、あなたがもう二度と私に笑いかけてはくれないなんて、そんな現実には到底耐えられない。

「ーーーふゆ!」

必死に肩を揺さぶられて、目蓋をゆっくりと開けると、横合いから眩しい日差しが差し込んだ。目が眩むほどのお日さまの輝きが、とても目に痛い。ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、目を細めると、善が眉尻を下げた心配そうな顔をして、私を覗き込んでいた。

「冬ちゃん、だいじょうぶ?すごい魘されてたみたいだけど」

「っ、……いつもの、ことだから」

そう、こんなことは日常茶飯事だったからもう慣れてしまった。この夢を見たあとは胸がしくしくと疼くように痛んで、驚くほどに呼吸が荒くなる。でも一時のことなのだから、過ぎ去る時を待てばいい。だって、この夢は決して忘れさせないでいてくれる。私がどれほど愚かで無知な人間であったのか。戒めにはちょうどいい。

寝起きのままぼーっとしていると意識を夢のことばかりに飛ばしていたことが知れたのか、彼が顔にこつりと額を擦り付けてくる。細くて艶やかな金糸が頬にあたって、少しくすぐったい。

「ふーゆーちゃん?なに考えてんの」

「……ねむい……」

「……そっか。いつも、悪夢を見るんだよね。だったら熟睡できることの方が珍しいのか」

彼はことりと首を傾げながら、目線をゆらゆらと辺りに揺らす。本当に言いたいことはおそらく飲み込んだのだろう。複雑そうな顔つきをしていたから、音で私が自分自身を追い詰めていたのも察知したはずだ。この考えが、真に私を思ってくれている人をどれだけ傷つけているのか、わからないわけではないけれど。それでもやめられやしないのだ。自傷というにはひどく無音で、自身の過去の傷口を自ら引っ掻き続けているにすぎないとしても。

こうしていなければ自己を保つことが出来ない、弱い人間だから。

ふと意識を現実に戻して周囲を見渡してみると、ここは私の所有している屋敷のようだった。睡眠に難があるため、夜眠れることの方が少ないし、そもそも鬼の性質上、鬼殺任務は夕方以降に行わざるを得ない。だからといって朝や昼に寝付くことができるかといえばそうでもないのだが。どうして私は眠っていたのだろう。それも日向があたる縁側で。経緯が思い出せず首を傾げる。すると眠っていた間に肩を貸していてくれた彼が、不思議そうに見上げる私に気付いたのか、その質問に答えてくれた。

「冬ちゃんはおれと縁側に座っておしゃべりしてたら、いつのまにかうとうとして眠ってたよ?」

「……え、ごめん。私善と喋ってる最中に寝たの?……え、……ううん……?」

まさかそんなことが起こり得るのか。気を許した人間のそばでさえも、無意識のうちに気を張ってしまうから、休息を取るために目を閉じることはあっても、実際に眠れたためしはなかったのに。その事実が信じられなくてとても困惑する。

「そんなに驚くこと?」

「……少なくとも、私が記憶している範囲内、人前で眠れたことはないはず」

「えぇっ!?なにそれすごくない?なんで冬ちゃん今日はそんなに眠れたんだろ」

本気で驚いている様子の彼をつい、ジトッとした目で見やる。私も普段から自己卑下はしすぎていると思うけれど、彼も正直なところ負けず劣らずではないだろうか。

「えっ、冬ちゃんなんでおれを見ながらそんな呆れたような音させてんの」

「……言動が無自覚。善の女たらし。……ばか」

ほっぺたを大きく膨らませて、呆れたような目でこちらを見る冬ちゃんに首をひねる。言動が無自覚と言われても、おれは特におかしなことを言っているつもりはないし、正直な気持ちを率直に伝えているにすぎないんだけどなぁ。あと、女たらしっていうのには異議を表したい。おれが女の子にモテた試しなんて、この世界に生まれてこのかた一度たりともないからね?……自分で言ってて悲しくなるけど、事実だし。

……でも、冬ちゃんのばか、って言葉は滅茶苦茶可愛いなぁ。呆れたように響いてるけど、仕方ないなぁって、愛おしい人を想うような声色でばかっていうんだよ?その音だけでおれの胸はきゅんきゅんしちゃうし、ほっぺたがじわじわ熱くなっちゃうんだけどさ。赤くなったほおをかりかりと指先でかいて、愛おしげな音を鳴らす冬ちゃんから目をそらすけれど、この耳の良さからは逃れられない。せめて、仕返しくらいは許されても良くない?……意趣返しみたいなもんだけど。

「……言動無自覚は冬ちゃんもじゃないかなって、おれは常々思うんだけどさぁ。あとたらし発言も。いっつもおれのこと褒めすぎでしょ」

「私は無自覚じゃない。意識して褒めてるから、……たらしはよくわからないけど」

「なおのことタチ悪くない???なんでそんなに褒めてくれるのおれのこと。正直女の子ウケする性格はしてないと思うよ?」

過去のお付き合いの結果を見てもそれは垣間見ることができる。七人中七人の女性にこっ酷く振られたさまを思えば、明白なんだよな。すると冬ちゃんはおもむろに手を差し出した。

「……なあに、その手」

「……今から善の好きなところ言うから、数えようと思って」

「えっ、ちょ、まってぇ!?」

まず、人の音を聴いて泣いてしまうくらい優しいところが好き。初対面だったのに、あんなにも泣かれたから、何かしたのかひやひやした。

でも判断基準が音じゃなくて、自分が信じたいものを信じる、っていうのも一本木通ってると思う。そこも好き。自分が持つ能力ばかりを盲目的に信じるわけじゃなく、あくまで目安として扱うって言うのは意識してもなかなかできることじゃない。人は見たいものしか見ない生き物だから。

あと、雷の呼吸の居合。霹靂一閃を使う時の透き通った呼吸音。シイイって、風を切るような音が鳴るの。あれを聴くと安心できる。善が一緒に戦ってくれるんだなって、背中を心置き無く任せられる。

もちろん霹靂一閃の真っ直ぐさも好き。曲がらずに一直線に駆け抜ける様はまさに雷が落ちる直前みたいで、自然と一体化してるんじゃないかと思うくらい神秘的なの。

よく暇があったらお団子屋さんに連れて行ってくれるのも、実は好き。自分じゃ注文しても食べきれないけど、善と半分こすると食べきれる。そして善と一緒に甘いもの食べてると、お腹だけじゃなくて心も幸福で満たされる感じがする。

私に優しく触れてくれる手のひらが好き。豆ができてて表面が硬くなって、骨ばってて逞しい手に身体を撫でられると、……正直どきどきする。私とは違って男の子なんだなって、意識しちゃう。

普段は高いけど騒がしい声。情けないって周りの人に言われてるのも知ってるけど、善の高音が響くとどうしてか笑っちゃうの。ばかにしてるとかではなくて、ここまで怖がってくれる人がいると、逆に自分がしっかりしなきゃって思える。……それに、落ち着いてるときはね、誰よりも静かでそれでいて力強い声になるのも知ってるから、どっちの声も好きだよ。

善の好きなところがいっぱいありすぎて、指折り数えてもまだまだ足りないと言わんばかりに次を数えていると、かああ、と彼の顔が
じわり、じわりと真っ赤に染め上がっていく。もしかしなくても照れているのだろうか。可愛らしいなぁと思って温かい目で見守り続ける。

「……善がね、どんなに些細なことでも可愛いって褒めてくれるから、私も善のことがこれくらい好きなんだよって言いたかった」

いつもどんなときでも、私を慈しむことを忘れない愛しい人へ。あなたも私を好きなのかもしれないけれど、私だって善のことが好きなんだよって。あなたを想う気持ちなら誰にも負けてなんかないはずなんだ。

とくり、とくりと鳴る心音に心地よさを感じながら笑みをこぼすと、いきなり身体をふわっと抱きかかえるように膝の上に乗せられてしまった。目の前にいる彼が首筋に羽根を落とすような柔らかい口付けを落とすと、ふわふわとした唇が擽ったくて肩をすくめてしまう。

「……もう。冬ちゃんがおれを好きなのは十分にわかったから、今度はおれの番だよ。……でも、おれは冬ちゃんみたいに優しくないから、覚悟して」

琥珀色の瞳に、そこはかとなく情欲がこもっているように見えて、ふるりと腰が期待に震える。こんな時間に色欲に耽るのは、いささか不健全な気もするけれど。私もその気になってしまったから、この際目を瞑ってしまうことにしよう。

両腕を彼の首に回すと、示し合わせたようにゆったりとお互いの顔が近づいていく。目蓋を徐々におろして、彼自身を欲しがるように唇を寄せると、軽く口付けあった。

足りない。それくらいじゃ、まだまだあなたが足りないの。追い討ちをかけるように再び唇を合わせると、けして離れないように背中を強く抱き抱えられる。酸素が足りなくて、苦しい。

でも、あなたを求める心に際限がないことの方が、よほど苦しくてたまらない。

愛しい人、あなたと居られる時間がいっそ止まって仕舞えばいいのに。

そうすれば、私たちはずっと一緒に居られるから、なんて叶いもしない夢を。

ーーー私は、ずっと希続けているのだ。


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