我としてあれ

穢れのない純白の翼が空から舞い降りる。そっとそちらに右腕を差し出すと、そこに一羽の鴉が止まった。

「フユ。オツカレ、オツカレ」

「……ん、ありがとう。白梅も伝令お疲れ様」

指先で頭を撫でてやると、くすぐったそうに首を震わせて、それでも白梅はおずおずとそれを受け入れる。一年間ずっと文句も言わずに私に付き合ってくれている相方。この子を可愛がって甘やかしてやりたい気持ちが溢れて、どうにもそれを止められないでいると。ちゅんちゅん。唐突に響いた可愛らしい雀の鳴き声に眼を瞬かせた。

「あれ、あなたは……」

茶色くて丸々とした愛らしいふくら雀がどこからか飛んできて、ばさばさと翼をはためかせてそっと左肩に乗ると、頬に擦り寄るように懐いてくる。ふわふわした羽毛が心地よくて、ついつい私からも頬擦りをしてしまった。

「ふふ、チュン太郎だ。……こんにちは」

「ちゅん。ちゅんちゅん」

私がお付き合いしている彼の相棒。鎹雀のチュン太郎に食べきれなかったおにぎりをやっているとなぜか懐かれてしまったようで、暇を見つけては尋ねてきてくれるとても可愛い尋ね雀だ。確か善は一昨日から任務が入っていたはずだから、もうそろそろ終了してもいい頃か。

「……チュン太郎もお疲れ様。……善より、先に帰ってきてよかったの?」

「ちゅん、ちゅん!」

「フユ。……ワタシモ、ナデテ、クダサイ」

「あ、ごめんね。……白梅、いいこいいこ」

両手に花とはまさにこのことだろうか。左右の色鮮やかな色彩を持つ鳥達に愛おしさばかりが膨らんで、目をゆるく細めているとザザッと砂を草鞋で強く蹴るような音がして、またしても肩がびくりと揺れた。

「ちゅ〜ん〜た〜ろ〜お〜!お前!お前さあ!おれを置いて行くのやめてくれるぅ!」

ぜえ、はあ。と荒く息を切らせて胸に手を当てるその人こそ、私がお付き合いをしている我妻善逸さんという格好いい彼氏だったりするのだが。たんぽぽのようにきらきらと明るい金糸が心なしか萎びている。ようやく息を整えた彼がこちらに目をやると、うるうると飴玉のような琥珀色に涙をためて、一息のうちに私の腰に縋り付いてきた。

「ふゆちゃあああああん!おれ疲れたもう!!無理!!しんどい!!そんでなんでまた知らない間に鬼が死んでんの!!わけわかんないんだけどお!!!」

縁側に座っているから、いま縋り付かれると彼の隊服や羽織が汚れてしまう。空いている左手でぽんぽんと彼の肩をたたいて、中に入るように促すと、ずびずびと鼻を鳴らしながらも草鞋を脱いでおもむろに私の膝に頭を乗せた。

「うえええ!もうむりい!いやだあ!こわいのはほんっとむりなんだよおれ!怪談とかそういうのだめなの!いきなり驚かされるだけで心臓まろびでちゃうくらい臆病なのお!」

「……うん、そっか。……善は今回もすごく頑張ったね。いいこいいこ」

涙も鼻水も涎もだらだらと流し続けて止まらない様子の彼の頭をやさしくやさしく撫で続ける。するとお腹に頭ごと押し付けるようにぐりぐりと力を込めて、腰に再度逞しい腕が回った。彼がこうなるたびに呆れたりしないのかと周りの人間に言われてしまうのだが。私としては泣き言を言いつつも決して逃げ出さない善を、とびきり慰めて赤子のようにべたべたと甘やかしてやりたくなってしまうので、そこは人それぞれ考え方の違いなのかなとひとりごちた。

ばさばさと羽根が羽ばたく音が二つ程聞こえて、そういえば左右にいた鳥たちのことをすっかり忘れてしまっていたことを思い出す。そおっとそちらに視線をやると、おとうふのような白い烏と小さな雀がこそこそと内緒話をしているようだった。

「ちゅん。ちゅんちゅんちゅん」

「……フユハ、ゼンイツニアマイ、デスカラネ。シカタアリマセン。ユズッテアゲマショウ」

チュン太郎が何を話しているかはさっぱりわからないけれど、白梅の言葉からある程度推測はできる。ごめんね、二羽とも……今度いっぱい美味しいものを食べさせるから、いまはこの誰よりも可愛らしい人を労わせてほしい。

「うえええええふゆちゃあああああ!聞いてる?聞いてるの??おれの話ちゃんと聞いてくれてる???他のところに気をそらしてる音がするんだけどさ…」

「聞いてる。それで、今回の任務はどうだった?」

「んぇ?……鬼は倒せてたから問題ないんだって。……でもさ、おれが倒したわけじゃないのに……」

眠りについている間は余計な力が抜けて雷のようなピシャリとした居合いを素早く扱うことが出来るけれど、彼自身にその記憶は残らない。それは彼の自信のなさに拍車をかけてしまう。実際眠っているあなたが倒したんだよ、なんて私自身が言われてもそんなのは嘘だろうと一蹴してしまうだろうし、無理に受け入れさせるものでもないだろう。

「……ん、……私は善が無事に帰ってきてくれたのが何より嬉しい。……任務に行くたびに無事を祈り続けてるけど、……なんだって、絶対は無いから」

そう。人間である以上怪我もするし、疲労も蓄積する。無尽蔵な体力があるわけではないので任務先までは脚で向かわなければいけないのに、ついて早々鬼の相手をしなければいけないこともざらにある。呼吸法をいくら駆使したところで、その場でできるのは精々が止血までだ。

「……私も、怖い。……自分が怪我をするのはいい。でも、善が怪我をするのは……たとえかすり傷でもいやだなって、……思ってしまう」

同期である彼ら三人組と音柱、そしてそのお嫁さんである三人が遊郭で上弦と対決をしたこともしっかりと耳に入ってきていた。そのときだって、目覚めるのは彼が一番早かったけれど、脚の負傷は眼を塞ぎたくなるほどに悲惨なものだった。それでも心配をかけまいとベッドの上に横たわりながらへらへらと笑顔を見せてくれた善の姿を見て、こんなにも己の無力を憎んだことはなかったろう。

過去の出来事を思い出していると、また涙がこぼれ落ちそうになって急いで指先で拭う。いけないな。最近はどうにも涙脆くて、感情の抑えが効かなくなってしまう。膝の上ですっかりと大人しくなってしまった彼の頭をもう一度撫でようとして、突如身体を起こした善に肩を強く掴まれてしまった。

おれが冬ちゃんに毎回縋り付いて離さないのは、もちろん慰めてもらいたいからっていうのもあるけどさ、周りの人間への牽制もあるんだ。この子はおれのなんだぞっていう、僅かながらの男心の主張というか、だからもし手を出したらただじゃおかないと彼女へ思慕の音を鳴らすやつらに睨みをきかせてるんだよ。

それと、もう一つかかせない大事な理由がある。冬ちゃんは自分で負った怪我を隠したがるから、身体に耳を当てて血の巡りが悪くなってやしないかこっそり確かめてるんだ。その習慣が始まったのは、たまに共寝をするとき見覚えのない傷が増えていたことからだった。

これはどうしたのって見覚えのない傷跡をなぞりながら聞くと、おれから目を逸らしながら後ろめたそうな音を鳴らすので、何度か焦らしてもう一度聞き直すと、ほろほろと泣きながらこの間戦闘で負ったものだと涙ながらに教えてくれたんだ。たぶん、おれが気付いていないだけでほかにもたくさんあるんだろう。おれだって、冬ちゃんが傷付くたびに心が爪で引っ掻かれたみたいに痛んでたまらないのに。

ほら、今日だって傷を負ったのを隠したでしょ。おれはちゃんときみのことを見てるし、身体の音だってかかさず聴いてるんだよ?

不思議そうな顔でこちらを見やる彼女の羽織りを片手ではいで、隊服のボタンをぷつりぷつりと外していくと、さすがに驚いたのかそこから退こうと身じろぎをする。けどさ、女の子の力って男に比べたらたかが知れてるし、片手でだって抑えようと思えば抑えられるんだ。

「冬ちゃん、動かないでじっとしてて」

「え、あ、ちょっ……?!」

そういう色を感じさせた行いでないことが分かっているからか、徐々に彼女は顔色を青白くしていって。すべてのボタンが開かれると、お腹のあたりに大きな爪痕のような傷が見えた。ああ、これが今回負った傷か。見た限りで止血はしてあるし消毒もされてるけど、傷口の塞がり具合から見てまだ真新しいものだろうということは明白だった。

「……これ、どうしたの」

隊服で上半身を必死に隠しながら足掻く彼女に問いかけると、眉間に皺を寄せて何も言わずに沈黙した。へえ、そういう態度取るんだ。そっか。

「ならいまからしのぶさんのところに聞きに行ってくるから、」

その言葉にぎょっとして慌てた様子でおれの羽織の端を掴むその子を遣る瀬無い目で見る。ねえ、おれがいまどんな気持ちなのか。冬ちゃんにはわかんないのかな。

「……任務だから詳細は言えない。……けど、……油断してておったもの、だから大したことはない」

脈が一度高鳴った。

「嘘。……油断じゃないんだろ」

もう一度脈が強く高鳴る。

音はこんなにも明白におれに真実を答えてくれるのに、きみの唇はどうして口を開くたびに嘘を吐き出すんだろうな。

「……その、受け流しきれなくて」

脈は先ほどとは違い高鳴らない。これは嘘じゃないみたいだな。でもさ、自分の弱さを隠したいからおれに嘘をつこうとしたわけじゃないっていうのは、音を聴かなくたってわかるんだ。

「……誰かを庇ったんでしょ。刀を持っててお腹に傷ができるんなら、大人?」

「……う、ん……」

それ以上は何も語ろうとしない彼女を見て重い溜息を吐く。お腹にできたもの以外にも数え切れないくらいの古傷がこの身体中に存在していることは知ってるよ。その傷を見るたびにきみが頑張ってきた証拠なんだって、だからおれが怒るなんてしちゃいけないんだって思ってた。

でもさ、なら、このどこにもいけないおれの中に溜まり続ける毒々しい憎悪はどこにやればいい?

きみに傷を負わせた鬼を、心の奥底から憎んでしまうこの心はどこに置いていけばいいんだ。

「……冬ちゃん。おれ、いやだよ。冬ちゃんが傷付くの、いやなんだ。冬ちゃんもおれが傷付くと苦しくなるみたいに、おれもきみに新しい傷が出来ると頭がおかしくなるくらい心配するんだよ」

ねえ、おれさ。最近思っちゃうんだ。きみが鬼殺隊を辞めておれの子供を孕んでくれればいいのにって。そうしたら、冬ちゃんは危ないところに出向かなくて済むし、おれは何が何でもそこに帰ろうって思える。身体のどこの部位を失っても、残った手足を引きずってきみのところに帰りたいって、そう思える自分がいるんだ。

死にたくないからじゃなくて、なにより生きていたいから。

きみの隣で生きていたいと思うから、まだここで死ねないって思うんだよ。

「この間もさ、遊郭での傷を治療してたおれを涙を堪えながら見つめてたのを知ってる。ほんとはその場で泣き叫びたいくらいに哀しかったのに、おれのためを思ってその悲鳴を押し殺してくれたんだよね。……おれのことはそうやって大事にしてくれるのに、自分のことは大事にしてくれないの?」

「ーーーそ、れは……」

なにも言えずに俯く彼女を見守るように見つめる。本当は、本当はもう一つだけ言いたいことがあったんだ。でも、それを言ってしまえば冬ちゃんを二度と失ってしまいそうで言えなかった。

きみのそれは、もしかすると自傷にも似たものなんじゃ無いか、っていう素朴な疑問だった。けど、それを口に出そうとしたときにふと蘇ったのは夏瀬のある言葉だった。

「……これは忠告ですが、あまり冬さんの事情に首を突っ込みすぎないようにしてください。僕もかなり気を遣って地雷を踏まないように明かせるだけのものは明かしていますが、それでも紙一重なんですよ。……彼女の一番奥深い場所に踏み込めば、あなたでさえも冬さんは拒絶します。これに例外はありませんよ。僕であっても彼女は受け入れない。……あなたがいざという時に選択を間違えないことを、願っています」

おれであっても冬ちゃんは拒絶する、という言葉にそれ以上踏み込むことはできなかった。きみのことはそれはもう心配だよ。心配しすぎて頭がどうにかなっちゃいそうなくらいに、毎日冬ちゃんのことばっかり考えてる。でも、その関係性が成り立つのはあくまでもおれときみが付き合っているからだ。

おれは、もうきみを失えない。もしきみと別れるなんておれが心から恐怖する未来が訪れて仕舞えば、鋼のように鍛え上げた身体もその意味を成し得なくなる。

だから、だから。これはおれの逃げなんだろう。きみのためじゃなく、おれという意気地のない男の敵前逃亡だ。

俯いて前髪が表情を覆い隠しているから、冬ちゃんがどんな顔をしているのかわからない。それでも迷いながらなんとか出そうとした言の葉は唐突に額へ突き刺さったくちばしで静止させられた。

「ーーーえっ、」

「フユヲ、イジメルナ!」

つんつん、つんつんとおれの髪を毟るようにくちばしが突き刺さり続ける。ちょ、ちょっと?いま真面目な話をしてたんだけど、おれの髪の毛を毟ろうとするのやめてくれない?

「ちゅんちゅん!ちゅんちゅん!」

ばさばさと羽音をたてておれの頭の上に乗ったチュン太郎は、白梅を止めようと説得しているような気がする。いや、鳥がなに喋ってるかなんてわからんし、なんとなくなんだけどさ。

「フユハ、ズットガンバッテキタ!ヒトリダッタ!ミンナトオザカッタ!オニニイタミヲカンジサセタクナイナンテ、キサツタイデ、シュチョウスルニンゲンニ、イバショナンカナイ!」

白梅の赤い実のような瞳がおれをまっすぐに見据える。突くことを止めて、がむしゃらに声帯を震わせ続けるその様子に言葉を失い何も言えずにいるおれに、冬ちゃんを近づかせまいと眼の色を変えて吠え続ける。

「ムボウダトイワレタニンムモ、ヒトリデゼンブコナシタ!ソウシナキャ、カタナスラモテナカッタカラ!ココデイキテイルシカクガナイト、イワレタモドウゼンダッタカラダ!」

「……いい、白梅、もういい」

「ヨクナイ!ヨクナイデス!ワタシハオコリマス!アナタノアイボウダカラ、オコルシカクガアル!」

鎹烏がぽろぽろと涙を流し続ける冬ちゃんをおれから守るように、ばさばさと翼をはためかせて威嚇し続ける。というかちょっと待ってくれる?おれ頭に血が上ってたからすっかり忘れてたんだけど、冬ちゃんを裸にむいちゃったじゃん。前が開きっぱなしの隊服から覗く柔らかそうな乳房が、ちらりとおれの視界に焼き付いてしまう。それを見て慌てて自分の黄色い羽織りを脱いで冬ちゃんに差し出した。

「あああああ!!?!??ちょっ!!?冬ちゃんご、ごめん!!!!服!あああ!!冬ちゃんの羽織り汚れちゃってるぅ!!!おれので悪いけどこれ着てて!!!あと、泣かせちゃってごめん!!!……心配したからってことをかさにきて、言い過ぎてごめんね……」

「……ううん、本当のことだから。……私も、ごめんなさい。……でも、私どうしてもこの生き方だけは……」

「うん。それ以上は言わなくても分かってる。だから、代わりにおれとまた新しく約束して欲しいんだ。……たぶん、これなら冬ちゃんも出来るんじゃないかなって思うからさ」

これだけは伝えておきたかったんだ。もしかしたら、おれを通してならきみは自分を少しでも大事にしてくれるかもしれないから。きょとんとした目でおれを見やるきみの目尻にたまった雫を唇で吸い上げる。それにびくりと身体を震わせた彼女を逃さないようにきつく抱き締めた。

「おれのために、冬ちゃんの身体を大事にしてほしい。おれ、今度また冬ちゃんに新しい傷ができたらそれはもう大声で泣き喚いちゃう自信があるからさ。……おれを悲しませないよう、自分の身体を少しでいいから大事に扱ってくれないかな、なんて……」

我ながら情けなさすぎる説得だけど、これ以上にいいものが思いつかなかったし、冬ちゃんがおれの泣き顔になにより弱いのは最近ようやく分かってきてた。だって、おれが涙を溜めて上目遣いで冬ちゃんを見つめるときゅんきゅんってときめいたような音を心で鳴らしてるのをいつもこの耳は聴き逃していなかったからさ。

「……ん、わかった。善を泣かせないように、悲しませないように、私は身体を大事にする。……指切り、する?」

ほら。自分のことは無下に扱うくせに、おれの事はどうしたって放っておけないでしょ。そういうところもずるいんだよなぁ、冬ちゃんは。するりと差し出された小指におれも自身の小指を結んで、ぎゅっと握る。些細な約束事が二人の間で増えるたびに、おれと冬ちゃんの絆がより一層深まっていくようで、それにまたおれの中のきみへの愛おしさがじわりじわりと増していった。

あと、たったいま気付いたんだけど冬ちゃんの姿が彼羽織りってやつになっちゃっててさ。裸よりも逆に破壊力が増しちゃってるんだよ。ふにふにとしたおっぱいがおれの胸板で潰れて、その柔らかすぎる弾力に色欲をそそられてしまい耳元ではあ、と熱のこもる吐息を吐き出した。

「っ、あ……」

「ごめ、……冬ちゃん、おれ、もう……」

股座で主張する男の欲を彼女のふとももにぐり、と押し付けると冬ちゃんは夜の瞳をそれはもう甘く甘く蕩けさせる。背筋がぴりりと快感で痺れてもう我慢ができない。

言葉なく琥珀と漆黒が交じり合って、その日夜が明けるまで、おれと冬ちゃんは熱情のままに身体を重ね合わせた。


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