紺色に漣模様、そして鮮やかな黄色い花が主張する浴衣姿の冬ちゃんは、おれの隣でからんころんと下駄の小気味良い音を鳴らしながらゆったりと歩いていた。出店がそこかしこに並び、焼きそばの美味しそうな匂いや色とりどりな水風船が目に焼き付いて、その光景を見ているだけでもわくわくと胸が踊るようなんだよな。かくいうおれも好きな子との逢引に心臓がどきどきしてしまって、動きが挙動不審になってる覚えがあるんだけど。
「ーーー善、ふらふらしてるけどだいじょうぶ?」
「えっ、はっ、!?だだだだいじょうぶ!心配しないでえ!!!……いやあ、ね???久々のお祭りだからついつい嬉しくなっちゃってさ!」
それに、ちらちらとうつる冬ちゃんの可愛らしい浴衣姿が非常に目に毒で。その、紺色の布地に散らばる黄色いお花がさ、申し訳ないんだけどおれのこと意識してくれたのかなって勘違いしちゃいそうなくらいというか、というかもう無理!気になるから聞いちゃう!!気になり過ぎてデートにまったく集中できないしね!
「……冬ちゃん、その浴衣ってどうしたの?」
「っ、……え、と……」
どきり。心音を大きく鳴らして両手で胸を抑える仕草をした彼女にうら若き乙女のような可憐さを感じてしまい、おれもその羞恥に共感したあまり衝撃で心臓が口からまろびでそうだった。視線を足元でうろうろとさせ、戸惑いながらもささやかな声で応える彼女の涙で潤んだ夜色の瞳が色っぽく見えて仕方がない。
「……お出かけだから、可愛い格好したいなと思って。……そしたら、お店でこの浴衣を見かけて、黄色いお花が、その……善みたいだなと思ったら、……衝動的に買っちゃってたの」
アッ、無理ごめん無理。おれこのときめきに到底耐えられない。心臓の高鳴りが最高潮なんじゃないかというくらいどきんどきんと鳴動するから、彼女の腕を引いて荒々しく胸の中に閉じ込めてしまった。爽やかな蜜柑の香りが少しだけ香ると、その匂いにすら彼女の存在を感じてしまって興奮が止まらない。
いまにも破裂しそうなくらい、心臓が痛くて痛くて。
「ーーーふゆちゃん、おれのこと考えてその浴衣選んでくれたんだ」
瞬く間に捕らえられた身体にひゅっ、と息を漏らした彼女はおれの腕の中から逃れようと必死に胸板を押すけれど、おれは冬ちゃんをこの腕の中から離す気は毛頭なかった。それどころかもっと彼女と触れ合いたくて、首筋に柔い唇を押し付けてしまう。
ああ、この穢れのない真っ白な肌におれの跡をつけてしまいたい。
「んっ、……ぜ、ぜん……!」
「ふふ、なあに?」
「人、周りの人が見てるから……!」
その言葉にふと周囲に視線をちらすと、ざわざわとおれたちを囃し立てるような笑い声が耳に届いた。というか、こんなところでこの子を抱きしめたおれも悪いんだけどね?頼むから冬ちゃんだけは見ないでくれる?
こんないますぐ食べてくださいって言ってるみたいに蠱惑的な彼女をこれ以上晒したくなくて、こめかみをぴくりと震わせるとうっすら青筋を立てて周囲を睨みつけた。囃し立てていた人達はその視線に蜘蛛の子を散らしたように素早く消えていく。
「……ん〜?誰も見てないよ。みんなお祭りに夢中だしねえ」
そう言いつつ冬ちゃんに視線をやると、羞恥心でほっぺたが真っ赤に染めあがったかんばせをおれの胸板で隠すように押し付けていた。互いの胸元から鳴り響く心音がどくんどくんと主張して、二人で見つめ合うと一瞬だ唇を触れ合わせる。
ここが布団の上なら舌を絡ませてえっちな水音を立てた濃厚な口付けを交わしたいところだけどね?そこまで理性を失ってるわけではなかったし、なにより冬ちゃんがお祭りをとっても楽しみにしてたことをおれも知ってたからさ。名残惜しい気持ちを抑えて身体を離すと、冬ちゃんは心細そうにおれの袖口を少しだけ掴んだ。
「……冬ちゃん、そっちじゃなくてこっちだよ」
いじらしい所作をする彼女に両手で頭を抱えるのをすんでのところで耐えて、少しだけ硬い手のひらを掴むと左腕に細い右腕を通して腕を組む。そうするとふにゃりと冬ちゃんの顔立ちが緩んで、ことことと積み木を鳴らすような喜んだ音を鳴らす。
うっ、可愛い。冬ちゃん自身ももちろん可愛いし、冬ちゃんから鳴り響く音も可愛らしくてたまらない。
「……善?」
きょとりとした瞳でこちらを見る彼女になんでもないよと返して、気付かれないように深い溜息をついた。前を向いてのんびり歩く彼女をこっそり横目で眺めると、気もそぞろにちょっとだけ考え事をする。
好きだからこそ、こんなにもおれの胸が詰まったように苦しくなるのかな。持て余してるこの感情を全てぶつけてしまえば、きっと彼女は抱えきれないだろうということも重々承知の上で。だからこそ、日常の中で小出しにしていくしかないんだ。
冬ちゃんのことばかりで胸がいっぱいになるくらい好きだよ。
今日もとっても可愛いねえ。
浴衣姿似合ってるね、すごく綺麗だ。
きみのことを、気が触れそうなくらいに愛してる。
苦しいよ。きみが好きだからこそ、こんなにも苦しい。なんでなんだよ、ずるいじゃん。おればっかり、冬ちゃんのことが好きみたいでさ。八つ当たりしちゃいたくなるときもあるよ。でも、そういうおれをきみは絶対に見逃さない。なにかあったのって不思議そうな目で見て、おれを身体中で、心のあったかい毛布で包み込んでくれる。そんなことされたら、おれはなにも言えなくなっちゃうんだ。
恋ってこんなにもままならない感情なんだな。
でもおれはきみと出逢えたことを、後悔したことは一度たりともないんだよ。
だってきみと出逢わなきゃ、こんなにも自分が必要とされる存在なんだって一生知ることはなかっただろうから。
そこで思考を止めて束の間瞬きをすると、打ち上げ花火がばん、ばんと夜空に咲きほこる。真っ黒な布地に蛍光色の絵の具を散らしたような光景に、はっと息を止めた。
「ーーーきれい」
「……うん。綺麗だねえ」
聴き逃してしまいそうなくらい小さな声を拾い上げて、すかさず返すと冬ちゃんは夜空の瞳を細めて見惚れてしまうほど儚い笑みを浮かべた。
なんで彼女はおれの隣にいるのに、こんなにもじりじりと胸を焦がすような焦燥感が消えてくれないんだろう。行き場のない苦悩をなんとか晴らしたくて、ぎゅうと冬ちゃんの手を握りしめると、それに目を止めた彼女は儚げな笑みを瞬時に消す。
けれど彼女がその手を握り返してくれるときはとうとう訪れなかった。
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フォスチア