いいか、善逸。一つのことを極めろ。極めて極めて極め抜け。雷の呼吸のことももちろんそうだが、女性関係もそうだ。彼方此方に目移りしてふらふらするな!
記憶の中にいる爺ちゃんがかんかんに怒って頭から白い煙を出している。
ごめん、爺ちゃん、ほんとごめんて。おれも前までは色んな女の子に声をかけてたけどさ、今は違うんだよ。心に決めたたった一人の子がいるの。
「……善、」
透き通るような可愛らしい女の子の声が聴こえる。
そう、まだ爺ちゃんには自己紹介とかしてないんだけどさ、おれにもお付き合いしてる女の子ができたの!もちろん合意の上だし両想いだからね?そこんとこ勘違いしないでよ??
えっと、名前はね、寒菊冬ちゃんっていってさ、漣が寄せては返すような心地よくてでもどこかもの悲しい音をさせてる子なんだ。この音に一目惚れ、いや、一聴き惚れ?しちゃったわけですよ、おれは。
それに寒菊っていうお花の苗字だけでも心臓がずきずき痛くなるくらい可愛らしいのに、冬っていう儚げでいつかとけて消えてしまいそうな季節の名前の響きが一押しっていうかさ?もうおれこの子にめろめろなの。悩殺されてるし、恋心を奪われちゃってるし、なんならこの命を捧げたってなにも惜しくないと思うくらいにはべた惚れしちゃってるんだよ。
おれは、この子を幸せにしてあげたい。ううん、冬ちゃんと一緒に幸せになりたいんだ。
「……寝てる、?」
起きてるよ。起きてるんだけどさ、あんまりにもこの縁側は日向ぼっこに最適すぎて、目を開けられないんだ。身体中がおひさまみたいにぽかぽかして、手足はだらんと伸びきっちゃう。
たまに猫が日向ぼっこしてる姿を見かけるけどさ、なんで地べたで眠れるのか不思議だったんだよな。すぴすぴって小さな寝息を立てて、それはもう羨ましいくらい夢見心地で。おれは、どうしてもこの耳があるし、ストンと眠りに落ちても些細な音を拾いすぎてしんどくなっちゃうことも多かったから。
「……ううん、毛布……」
でも、冬ちゃんのお屋敷周りはさ。虫の音がしないくらいに静かで人も滅多に訪れないせいか、安眠の邪魔をされることは一度もないんだ。不思議だよねえ。おれこんなにも安心できる場所が日本にあるだなんて知らなかったんだ。
幼い頃からさ、孤児だったおれは誰からも必要とされなかったし、誰にも愛してなんかもらえなかった。善逸という名前だけがおれの寄る辺で、でも誰にもらったものかも定かじゃないことを思うと、胸がぎゅうって締め付けられるみたいに痛かったよ。
「……よし。あとは、まくら……」
でも二度目の鬼殺任務でさ、冬ちゃんと出逢ったんだ。粉雪みたいに優しくて儚くて、触れれば溶けてしまいそうなほど悲しくて苦しい音をさせてた彼女との邂逅は残念ながらおれの滝のような号泣から始まったんだけど。
おろおろと困ったような顔をしてそっと懐から手拭いを差し出してくれた冬ちゃんは、我が子を慈しむようにおれの涙をやさしく拭ってくれた。
すごく優しかったんだ、くらくらって目眩がするくらいに。
お天道様さまみたいに眩しかったよ、どきどきうるさく響く心臓がいますぐにでも破裂しそうだった。
「……ううん、……これでいいかな」
ふにりとおれの頭の下に柔らかな枕が敷かれる。
いや待って欲しいんだけどね?この感触ってもしかしなくても冬ちゃんの膝枕なんじゃない??なにそれどんなご褒美なの???
今日はなんでか鬼殺任務も免除だったし、屋敷に来る途中で会った炭治郎からはいつもしてる泣きたくなるような優しい音と共に、ぱーんって拳銃を引いた時の破裂音が聴こえてきてたんだ。
なにその音。もしかしてなんかしたって問い詰めようとしたのに、足早に立ち去って行っちゃってからなんも聞けずじまいよ。久々に会えた仲間相手に素っ気なくない?泣くよ?おれ、しまいには。心の中ではもう泣いてたけどさ。
「……善、お誕生日おめでとう」
ーーーえ?
は?え??ちょっと待ってくださる待ってくださいごじょうだからお願いだからさ?!えっ?今日おれの誕生日だったの?!
確かに記憶を辿れば九月三日。まごうことなきおれの生誕の日じゃん!えっ???なにそれ今気付くとか鈍感すぎかよ。そうか、もしかしておれが今日おやすみなのは炭治郎や伊之助が任務を肩代わりしてくれたおかげだったりする?
ちょっ?!もうさあ、そういうのきちんと言いなさいよ!びっくりしちゃうでしょ口から心臓がまろび出るかと思ったわ!心臓弱いのほんと、南蛮の言葉でさぷらいずっていうらしいけど唐突にやられると破壊力がやばすぎじゃない?内臓吐くかと思ったんだけど。
「ん、と……起きたら鰻を用意してる。……だから、気がすむまで寝てね」
うな、うなぎ?待って、待って??おれの好物をいつの間に把握してんの冬ちゃん忍者かよ。いや、前に話したっけ。もう覚えてないんだけど冬ちゃんの気を引こうと必死だったからなにを話してなにを話してないのか覚えてないの!ごめんなさいねえ!
おれの前髪におそるおそる触れた彼女は、やがて柔らかい繭に語りかけるように小さな呟きをこぼした。
「……好き」
好き。大好き。……あい、してる。善のことが本当に好きで、……好きになったことを後悔したこともある。私はこんな性格だから、お付き合いの知識も一切ないし、特別話し上手でもない、受け身になりがちな私を引っ張ってくれる善にずっと甘えてるの。
ほろり、ひとしずくこぼれては、おちる。
ごめんなさい。……ごめん、なさい。私みたいな人間があなたみたいに眩しい人を好きになってごめんなさい。なんの取り柄もないのに、好きな気持ちばかりが毎日膨れ上がっていくの。
善の笑った顔が好き。白い歯を見せて柔らかい笑い声を響かせてくれるその瞬間、心臓がどきどき苦しくて息を止めてしまいたくなる。苦しいよ、善を好きになれて尊い感情にばかり巡り会えたけど、いつこの幸せが壊れるんだろうって思うと、怖くて怖くてたまらない。
「……それで、ずっと悲しそうな音させてたの?」
数え切れないほどの涙で濡れた頬をそっと指先で拭うと、背筋に力を入れて勢いよく起き上がる。ほろり、ほろりとまなじりからは大粒の涙が溢れて、見てるおれも悲しくなるくらいずきりと胸が痛かった。
「……ごめん、なさい」
目蓋を下ろして強引に涙を隠そうとする手を捕まえて、隙間もできないくらい指の間も握りこむとこつんとおでこを合わせて冬ちゃんに言い聞かせた。
たぶん、おれ自身にも言い聞かせたかったんだと思う。
この泡沫のような夢物語がいつまで続くのか、おれにだってわからなかったからさ。
「……いいんだよ。冬ちゃんは何にも悪いことなんかしてないじゃない。謝らなくていいの。……でも、気がすむまで泣いたら、おれと一緒にお腹いっぱい鰻を食べて、ゆっくりお昼寝しよっか。二人で仲良く並びあってさ、なんも考えずに眠るんだ」
夢は、所詮夢だ。
それはいつか覚めてしまうもので、この触れた手の感触でさえ、おれはいつしか忘れてしまうのかもしれない。
それでも、おれはこの手を離したりはしないし、冬ちゃんの泣き顔から目を逸らしたりなんか絶対にしないよ。だって、好きなんだもん。仕方ないだろ。
冬ちゃんのどうしようもないって自分を責めちゃうその性格でさえ、おれは愛おしくてたまんなくてさ、力を入れれば折れそうなほど華奢な体躯をやさしく包み込むように抱き締めたくなっちゃうんだよ。
「ね、おれまだ冬ちゃんから直接聞いてないな。……お祝いしてくれない?」
「ぁ、……っ、……ぇ、と」
ぱくぱくとおれのささやかな願いを叶えようと声帯を震わせる必死さに、骨抜きにならない方がおかしいし、誰がなんと言おうとこの子はおれの彼女だから。
もちろんゆくゆくはお嫁さんになってもらう予定、というかもう決定してるからねこれ。冬ちゃんはおれのお嫁さんになって、いっぱい二人に似た子供も産んじゃってさ。幸せでお腹いっぱいになってもまだ全然足りないんだよ。もっと、たくさん、飽きるくらい。
「……おたんじょうび、おめで、とう」
「……うん、ありがとう!」
孤独に怯えて震える命を抱き締めて、精一杯この世を生き抜こう。おれと冬ちゃんなら、この先なにがあったとしても乗り越えていけるんだって、当たり前みたいに信じてるんだ。
どれほど先の見えない暗闇だって、きみが隣にいるなら人一倍怖がりなおれは歯を食いしばってでもそのか細くて優しい手を引いてみせるよ。
いつでも泣いたっていいんだ。死にたくなるくらい悲しいこともあるよ。人間だからさ。なんならおれはいつも泣いてるし、苦しいことがあったらすぐ逃げますし、小さなことで怯えますし。
でも、生きることだけは絶対に諦めない。どれだけの苦渋を舐めたとして、幾億の屍をこの脚が踏みにじったとしても、なにがなんでも生きようって思う。
きみに出逢えたから、そう思えるようになったよ。
それってさ、とっても素敵なことじゃん。
冬ちゃんがいない世界なんて考えられないくらい、おれの心にはきみの存在が根付いちゃってるんだ。
おれはたった一つを極め抜く。
雷の呼吸も、愛おしい人も、たった一つだけでいい。
だからさ。
ーーー世界で一番に愛してる可愛らしい女の子を守り抜く、おれだけのちっぽけな夢を、どうか叶えさせてください。
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フォスチア