心地よいそよ風が部屋の中を舞う。お風呂上がりの火照った身体には、冷たいくらいがちょうどよくて、窓辺からひょっこりと顔をのぞかせた。車がエンジンを鳴らして走る音、夜道を歩く人の酔っ払った音、家族が家で楽しくおしゃべりをしている音。なんだかそれを聞いているだけで気分が良くなってしまって、少しだけ目を閉ざしたおれの口元がゆるりと緩んだ。
「善?」
おれを呼ぶ、愛おしい彼女の音がする。両手一杯の好意と小さじ一杯分の心配。ほんの少しだけ、悪戯心が芽生えてしまってそのまま眠ったフリをした。
「……ねて、る?」
水気を飛ばした髪の毛をふゆの優しい手のひらにさらさらと梳かれる。幾度も撫ぜるように、子をあやすようにおれの髪に触れる冬からは、大切な人をただひたすらに慈しむ音がした。
その音を聞いて思ったんだ。幸せって、きっとこういう形をしているんだろうなって。
普通の人にとっては日常の些細でありふれた光景だろう。けれどおれたちにとっては当たり前じゃなかった。刀を持って鬼と闘ってたなんて、いまでも夢みたいな噺だって思うし、多くの人にとっては夢で終わらせなければいけないことだったからさ。
誰かに感謝されたいわけじゃない。お金が欲しいわけでもない。けど、おれにしては命をかけて頑張ったんだから、一つの願い事くらいは叶ってもいいんじゃないかなと思うわけで。それがもし冬と穏やかに暮らす生活であったというのなら、これ以上のものなんてきっとないんだろうな。
「え、と……布団…」
ふわり。おそるおそる肩に乗せられた手を捕まえる。ぱっと目を開いて、驚いた顔をした冬の身体を優しく抱き込んだ。
「……びっくりした」
「ふふ、心臓もどきどきいってるねえ。悪戯成功しちゃった」
「……悪戯?……まぁ、いいけど」
まだ少しだけ心臓の鼓動が早まっているけど、すぐに普段の平然とした表情に戻した冬は大人しく腕の中に収まったまま、おれを不思議そうに見上げた。
「……風邪、引くよ?」
「んー、」
わかってはいるんだけど、なんだか離れ難くて。ぎゅうと抱き込んだ柔い身体の小さな音に、そっと耳を澄ませた。
当時はきみを捕まえるのにも相当苦労したっけ。いまはこうやっておれの腕の中にいてくれるけど、目を離したらどこに行くかわかりやしない。
おれのいとしい、いとしい、人魚姫。
「……おれの、」
だいじで、たいせつな、きみ。
どこにも消えてしまわないで、ここにいておくれ。約束という名の鎖で縛り付けたおれときみの関係がずっと、終わることのありませんように。
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フォスチア