このところ任務続きでろくに冬ちゃんに会えていない。癒しが足りずに心は空気の抜けた風船みたいに萎んでしまっているし、足は棒になってしまうかと思うくらいに疲労している。いい加減睡眠不足でまともに頭が回転しているかも怪しいなと思ったおれは久々に藤の家を訪ねた。
「すいませ〜ん、鬼殺隊のものですが」
「はい、ようこそおいでくださいました。すぐにお部屋をご用意させていただきます」
老齢の夫人が正座をしてぺこりと頭を丁寧に下げるのに恐縮したおれは、こちらこそお世話になりますと軽く会釈をする。それに微笑みを返していきなりスッと姿が消えてしまうのはいい加減慣れたけど、藤の家の人間って本当に人間?やっぱ妖怪なんじゃないかと思うよ。ふつうに呼吸も会得してるんじゃない?気配なんて微塵も感じないし。むしろおれなんかよりよっぽど強いんじゃないかって不思議に思うよおれはさ。だったら守ってくれよ、おれを!おれは滅茶苦茶弱いんだよ!いつ死ぬかわからないんだからさ、おれは!せめて死ぬ前に花嫁衣装を着た冬ちゃんの晴れ姿を、この目に焼き付けさせてくれよォ!
悶々と考え事をしながら人のいない玄関で手持ち無沙汰になって徐に視線を下にやると、そこには1組の草履が存在していた。
「申し訳ございません。先に隊士の方がお目見えしておりまして、部屋の空きがございません。恐れ入りますが相部屋にしていただいてもよろしいでしょうか」
いつの間にか玄関に戻ってきていた老婦人は、申し訳なさそうに何度もぺこぺことお辞儀をする。
男同士なら別に遠慮することもないし、もう疲れきっててそれでもいいから正直早いとこ休みたいわおれ。
それに軽く頷いて了承の意を返すと、草履を脱ぎ丁寧に整えて、屋敷の中へと入っていった。だんだん部屋に近づいていると、研ぎ澄まさなくても聞こえるほどに聴力が優れている耳に、なんだか覚えのある音が聴こえてきた。
なんだっけ、この音。すっごい心地いい潮騒のような音がする。喉元まででかってんだけどな、頭がロクに働かないせいか思いつかねえんだけど。
それに首を傾げながらも前を歩く女性の後をゆっくりと追いかける。やがて一つの部屋の前で立ち止まった老婦人は、部屋の中にいる人物に一声かけた。
「隊士の方がいらっしゃいました。失礼してもよろしいでしょうか」
「……はい、どうぞ」
は???ちょっと待ってくださる?その透き通った可愛らしい女の子の声ってもしかしてさ。
もしかしなくても冬ちゃんの声じゃない???
こちらから襖が開かれると、紺色の浴衣を着た冬ちゃんが無表情でおれを振り返っていた。目に映った人物に驚いたのか、夜色の瞳が心なしか丸くなっている。
えっ?なにこの状況噓みたいなんだけど。今日一日中好きな子と一つ屋根の下で暮らしちゃうの?嘘すぎじゃない?いやおれの脚はずきずき痛んでるから、紛れもなく現実なんだけどさ。え?現実なの?おれやっぱ今日死ぬのかな。
呆然としたまま部屋の中に歩み寄ると、お食事の時間までゆっくりとお休みくださいという老婦人の労いの声が、右から左にすり抜けていった。
「……善?」
呼びかけられた名前にはっと意識を戻すと、不思議そうな顔をした冬ちゃんがひらひらとおれの目の前で手を振っている。
「ふ、ふ、ふゆちゃん!?な、ななな、なんでここに!?」
「……休息のためだけど」
「そ、そうだよねえ!あはは!あ、立たせちゃってごめん!座ろっか!」
刀を刀掛けに置いて押入れから座布団を一枚取り出して、隣に敷く。それにゆっくりと膝を乗せると、ふわふわとした柔らかな感触が脚の痛みを和らげてくれるようだった。
「……脚、」
「ん、脚がどうかした?」
「……痛むのかなって思って」
「あ〜、これ?ここのところ任務続きだったからちょっと痛めちゃってね」
「……、」
それを聞いた冬ちゃんは、無言で手荷物の中からなにやらごそごそと取り出した。手に持った丸い筒状の容器からは、薬の苦々しい匂いがする。
「……薬持ってるけど、使う?」
「え、いいの?」
「構わない。……ついでに指圧もする?」
「エッ!?」
「……私に触れられるのがいやならやめておくけど」
「イイエェ?!是非お願いします!」
お餅のように真っ白な指先に緑色の塗り薬を取って、手のひらに馴染ませるように薄くする。
ちょっと待ってくれる?おれはこれから冬ちゃんに脚を触られちゃうの??その白くてほっそい艶かしい手がおれの脚を揉む???嘘でしょ?嘘すぎじゃない??それなんてご褒美なの???
「……洋袴の裾、あげてもらっていい?」
「う、うん」
別にやらしいことをするわけでもないのに心音が速まってしてしまって、それを振り払うように洋袴の裾を折る。
「まず左脚から、」
膝から脛の血管を上から下になぞるように何度も摩って、ふくらはぎも時折揉みほぐす。それを繰り返していると段々と体温が上がってきたのか、首筋がじんわりと熱をもつ。
正直なところ、色っぽいことを考えてしまったことが申し訳ないくらいに、丁寧で緩やかな按摩だった。
「すごいねぇ、冬ちゃん。医学の知識があるの?」
「……母様が、お医者さんの真似事みたいなことをしてたから、それを見て覚えただけ」
「……冬ちゃんのお母さんって、亡くなってるんだよね」
「そう。……次、下の方」
柔らかな手のひらがくるぶしを両手で包みこむように撫で摩る。徐々に足首をぐっぐっと押すように揉み解し、爪先を優しく掴んで足首を片手で固定してくるくると回すと少しずつ凝り固まっていた足先に血が通う感覚がして、ほうっと息をつく。足の裏を親指でのんびりと摩り、踵をやわく押されるとそれだけで足首から下の部位が随分と楽になった。
「っ、あつ……」
「摩ることで血管の動きを促進してるから、体温も上がると思う。これが終わったらお風呂に入った方がいい」
「なるほど……ん、!?っていうかおれの汗を流してない汚らしい脚を触らせちゃってごめんなさいね!!!頭からすっぽぬけちゃってたァ!!!」
「洗えばいいから、別にいい」
「そ、そう?」
「問題ない。私は先にお風呂入ったから、構わずに行って」
按摩によって解れていたはずの緊張感が、風呂に入っていないという事実を思い出したことでまたもやぐんと蘇ってしまった。ついには頬がじわじわと紅潮してしまう。
そうだよ、おれ風呂入ってないじゃん!汗臭くない?ぜぇったい汗臭いよねぇ!アーーーーッ、もう!好きな子の前でこんな姿晒すとか恥以外の何者でもないじゃん!!炭治郎のいうとおり、おれってめちゃくちゃ恥を晒しちゃってるのね!?もう泣きそう!泣いたら冬ちゃんが困るから泣かないけどさァ!
もやもやと考え事をしているうちに左脚の施術が終わったようで、今度は右脚の施術が始まった。この羞恥心をどうにかしたくて、意識を逸らすために視線をちらちらと他所へ向けていると、湯上がりで火照った冬ちゃんの肢体に目がいってしまった。
そういやいままで冬ちゃんと会えたのが嬉しすぎて忘れてたけどお風呂上がりの浴衣姿えっろ…よく見たら頬は赤く色づいてるし、暑いせいか首筋にはたらりとした汗が滴ってる。てか、やばくない?冬ちゃん刀をそばに置いてないし、滅茶苦茶無防備じゃん。いくら隊士同士とはいえ、もうちょっと危機感持った方がいいんじゃない?
すっかり気分が良かったはずなのに、男として意識されてないと考えたら急に腹の奥底がふつふつと沸騰するような身勝手な怒りを覚えた。その感情から必死に気を逸らそうとして、とある場所を見たおれは頭の中が真っ白になってしまうほどの衝撃を受ける。冬ちゃんの項に残る赤い所有印を示す跡を見たおれは、心臓が嫌な感じに高鳴ったのが分かるほどに動揺していた。
は、?なん……、…ま、……え?ちょっとどういうこと?どういうことなのよ、その跡って。冬ちゃん、付き合ってる人はいないって、前に言ってたよね。付き合ってる人がいないのにそんな跡ができるわけないでしょ。おれに隠して誰かと逢引してたの。いや、ちょっと待て落ち着けって!冬ちゃんがそんな不誠実な真似するわけないだろ!
いやでも、だったらどうしてそんな跡ができるんだよ。
ひょっとしてさ、おれ以外の男に、その清らかな身体を開いたの。その夜色の瞳で誰かを恋うて、艶やかな紅い唇で甘ったるい嬌声をあげて。
その凪いだ海のような心に入り込んだ、憎たらしい男はいったい誰なんだよ。
俺の脚への施術に意識を向けている冬の身体を左腕で力任せに抱き込んで、浴衣の上から背筋を指先で下から上へとなぞるように動かす。
「、え、?」
なにが起こったのか分からない様子で大きく目を見開いて身体をふるりと震わせる彼女の、無防備な耳元で囁くように甘やかに問いかけた。
「ねぇ、これって誰につけてもらったの?」
「は、っ?」
「これだよ。この項にある跡」
とんとんと右手の指先でそこを軽く弾くと、理解できないのかおれの胸板を両の手で強く押す。
「なに、いっ!…はなし、てっ、!」
「ねえ、付き合ってる男はほんとに誰もいないんだよね。もしかしておれに嘘ついたの?なんで?」
「うそなんか、…ついて、ない!」
「じゃあ、どうしたの。この、項にある真っ赤に膨れ上がった赤い跡はさ」
意地悪く耳の中へふうっと吐息を吹き込むと、びくりと肩を揺らして目尻に小粒の涙を浮かべた。
こんなのはさ、随分と身勝手な嫉妬だよ。分かってるんだ。冬がおれ以外の野郎と付き合ったところで、おれに文句を言う権利なんかないことくらいは。でも、それならせめて一言でもいいから、話して欲しかった。きみを諦めることなんか、簡単にできそうにはないけどさ。それでも、少なからず冬はおれに心を許してくれてると思ってたから。祝福こそできなくても、野郎の胸倉をひっ掴んで絶対に幸せにしてやれって言う、友達としての振る舞いをする覚悟はできたのに。
裏切られたような気がしたんだよ。今までの好意も全部、無駄なことだったんだって言われたみたいで。
それでもまだ胸が張り裂けそうなくらいに好きなんて、おかしいだろ?
返してくれ。
おれの純粋な恋心を、ぜんぶ返してくれよ。
脚への施術に集中していたところ、急に現れたひりつくような善からの怒気に、目を瞬かせる。咄嗟に呼吸を使って距離をとろうとして、けれどそれは間に合わなかった。彼の方が私の何倍も速かったからだ。
海の呼吸はあくまでも水の呼吸の派生であって、けして万能ではない。それぞれに特化した呼吸を使われて仕舞えば、力で勝る男性には必ず負けてしまう。頭で理解はしていたけれど、まさか彼がここまで強くなっているとは思わなかった。初めて会ったときは私から聴こえる音に涙を流して、ろくに話をすることさえできなかったのに。
抱き込まれた身体から伝わる彼の体温が、私の身体にも移っていくみたいで。どうしてかそれが恥ずかしくてたまらなくて、頬が赤らんでしまう。
なんで、いったいなにがおこってるの。
どうして、彼は私を強く抱き締めていて。
どうして、そんなにも傷ついたような眼差しで私を見ているの。
それになぜ、私の鼓動は強く高鳴っているの。
わからない。わからないよ、善。
私になにをしたの。
このこころに、なにを、芽生えさせようとしているの。
「じゃあ、どうしたの。この、項にある真っ赤に膨れ上がった赤い跡はさ」
その言葉を聞いた瞬間、それがなにを指しているのかやっと理解できた。
「それは、蚊に噛まれた跡!」
怒鳴るような大声を発したからか彼の腕はすっかり緩んで、その間に部屋の隅まで一気に跳躍する。刀掛けに置いた刀を急いで手にとって鍔を親指で押し上げ、右手で鞘を握りしめそのまま引き抜くと紺碧に染まった色代わりの刃を善に向ける。体術なら男にも敵わないけれど、刀を抜いた状態なら話は別だ。これでも一年分の経験差はある。決して私の呼吸が劣ることはないだろう。
今もどきりと鳴る鼓動をなんとか嚙み殺し、鋭く目を細めると彼はぽかんとした顔を晒していた。
「えっ?」
「……なに」
「……それって、野郎に接吻された跡じゃなかったの?」
「なんで男の人が私の首に口付けるの。そんな人いないって言った」
「え、……え、?……えええーーーーー!!??じゃあ、ぜんぶおれの勘違い……??」
いったい彼は、なにを思い違えていたのか。理由はわからないし、理解したくもない。私の感情をここまでかき乱すような人間に、二度と関わりあいたくはなかった。
そう、私は独りのままでいいのだ。縋り付くような弱みも、誰かに身を呈して庇われるのもごめんだった。
もう二度と、あんな悲劇を繰り返してはならないのだから。
嘘だろ?ぜんぶがぜんぶ、おれの勘違いだったのかよ。いや、勘違いでよかったんだけどさ。冬ちゃんが誰かのものになったなんて事実は嘘でも存在しないでいいんだけどね?
目の前でおれに刃を向ける冬ちゃんの顔を見ると、眉間にしわを寄せてひどく怒ったような顔をしていた。
そりゃ怒るよな。勘違いとはいえ野郎に襲われかけたんだもん。その反応は正しいよ。むしろさっきまでの警戒心のなさがおかしいくらいだよ。
でも、なんだ?
その音を向ける先がおかしい。
冬ちゃんからする氷をがりがりと噛み砕くような怒った音は、おれにじゃなく、なぜか彼女自身に向けられている音だった。
どうしてだろうか、予感がした。
彼女をこのままにしておいてはいけない。
このままにしたら、きっと俺は後悔することになる。
なにか、一番大事なものを知らないうちに無くしてしまうような堪らなく嫌な予感がしたんだ。
「ふ、冬ちゃん、誤解しちゃってごめん!おれてっきり冬ちゃんがおれの知らないうちに誰かと逢引してるものだと勘違いしちゃってさ!………嫉妬、したんだよ。付き合ってるわけでもないのに、勝手にやきもちやいちゃって、……ほんとうにごめん!それと、……ずっと聞いてほしかったことがあるんだ。……お、おれさ、…冬ちゃんのことが、」
「や、やめて…」
謝罪の言葉を綴るおれを黙って見守っていた冬ちゃんは、あまりにも血の気の引いた青白い顔でそこから先の告白を拒絶した。それに一旦言葉を止めて、決して聴き逃さないよう耳を澄ませる。
冬ちゃんからおれのことを、怖がってる音がする。でも、怖がっているのはおれの好意じゃない。おれの存在にだ。つまりどう言うことなんだよ。おれの好意は怖がってないけど、おれによってもたらされるなにかを怖がってる?まだわかんないな。でも、これを続けていけば少しづつだけど、冬ちゃんに近づくことができることが分かっただけでも御の字だ。
それに、している音はまだある。
まるで、幼子が必死で自分の居場所を守ろうとする警報のような音が、ずっと冬ちゃんから鳴り響いていた。
「……ふゆちゃん、おれは、」
「やめて、おねがい」
「きみのことが」
「おねがいだから、いわないで」
「……好きなんだよ」
「やめて、聞きたくない!」
先程中断させられた告白の続きを一歩一歩踏みしめるように進めると、手に持った紺碧色の刀をかたかたと震わせて、しまいには畳の上に落としてしまった。そのままにしておくとそれが冬ちゃんを傷つけてしまいそうで怖くて、少しだけ距離を詰める。青い塚を握って慎重に刀身を鞘に納めたあと刀掛けに置きに行くと、冬ちゃんは両手で耳を塞いで蹲っていた。もう告白は終わってしまったのに、恐怖はこれからくるのだと言わんばかりに震える彼女の姿は見ていてとっても痛々しくて、おれも泣いてしまいたくなる。でも、いつもの泣き虫なおれじゃあダメだと思うんだ。いまの冬ちゃんに必要なのは、泣き虫で弱味噌なおれじゃない。なにがあっても揺らぐことのない、諦めない最後までを貫き通す我妻善逸だと思った。
震える彼女の前に膝をついて、そっと覆うように抱き寄せる。さっきみたいな乱暴にじゃなく、優しく包み込むような抱擁だった。
「ふゆちゃん」
「…………」
「ふゆちゃんはさ、なにをそんなに怖がってるの?……冬ちゃんはね、おれと初めて会ったときからずっとさ、息をするのが辛そうな音がしてたんだ」
「…………」
「このまま独りで抱え込んでたら、冬ちゃんはきっと途方も無いくらいに傷ついて、いつか壊れてしまいそうで。……おれ、それがなによりも怖いんだよ」
私が怖がってる? そんなの知ってる。
息をするのが辛そう? だから、それがどうしたっていうの?
傷ついて、壊れてしまいそう? なにも、問題なんてない。
私の事情は私自身の手で解決するものだ。もし相談したら、誰かを巻き込んで、傷つけて、果てには死なせてしまうかもしれない。
そんなことになるくらいなら。
「……誰かを巻き込むくらいなら、私が独りで壊れた方がいい」
深く暗い深淵のような闇の底で蹲ってる私は、誰かの助けなんて必要としていなかった。
脳裏に私を庇って血まみれになった母様が、ずっと焼きついて離れやしない。あんなことになってしまうくらいなら、私の周りには誰もいなくていい。独りで傷ついてぼろぼろになったとしても、やらなければならないことをやり遂げることができたなら、私はそれで満足だ。
「そっか。……でもね、おれはいやなんだ。冬ちゃんを独りっきりにするくらいなら、これからはなにがなんでもひっついて離れないし、どんなにいやがられたってつきまとうよ、おれ」
その輝きは、まるで暗く深い夜を照らす月のようなまばゆい光だった。たとえどこにいたってわたしを照らして見つけてしまう、誰よりも酷くて、誰よりも優しいお月様のよう。
「なんで、そこまでするの。理解できない」
「そんなのはさ、おれが冬ちゃんに心底惚れちゃってるからだよ」
惚れる。誰かを恋い慕うこと。私のなにが彼をこんなにも惚れさせたっていうのか。
「理解できないって目、してるね。うーん、冬ちゃんっていいところいっぱいあるんだよ。おれがうっとりしちゃうくらいに優しくて泣きたくて、でも温かい音させてるの。でも、どこか寂しそうで、放っておけないような音も聴こえる。そんな音聴いちゃうとさ、おれ勝手に泣きたくなっちゃうんだよ。おれってよく泣くよね。周りの人達にはすぐ鬱陶しがられるのに、冬ちゃんはどんなときだっていやな顔ひとつしなかった。それもあるかな」
「……泣いてる人をいじめる趣味はない」
「そうだねぇ。でも、毎回おれに手拭いだって差し出してくれたでしょ。鼻水も涎も涙も諸々出してすっごい汚い泣き方してるおれの顔を、ていねいに拭いてくれたことだってある」
「……普通のこと」
「いやぁ?あの泣き方してるおれに毎回あんな優しい接し方する人、おれ初めて会ったよ。そこも好きだなぁ」
ひとつひとつ、指折り数えるように私の好きなところを話す彼は蒲公英みたいに柔らかくて、楽しそうで、そんな顔を見てしまうと、どうしてか私はいつも笑顔になってしまう。
ここに、ずっと見ないふりをしていたことを告白しよう。
私は、彼を。
我妻善逸という歳下の男の子を、いつの間にか好きになってしまっていたのだ。
でも、私は好きになってしまったからこそ、この優しい月のような人を巻き込みたくない。
寄りかかってしまったら、私はきっとそれに甘え過ぎてしまう。
もしそれで、もう一度私の大切な人が目の前で死んでしまったなら。
もう、二度と立ち上がることができないほどに私は粉々に壊れてしまうのだろうから。
「ねえ、冬ちゃん。冬ちゃんがなにより怖いものをおれに教えてくれない?独りきりだったら考え込んじゃうことしかできなくなるかもしれないけど、…ふたりなら分け合うことだってできるんだよ。いつも甘味屋さんでお団子食べられなくなった冬ちゃんのやつをさ、おれが食べてるでしょ。あんな風に、独りでできないことは半分こしてもいいんだ」
ほら、よく言うでしょ。辛くて悲しいことは半分こ。逆に嬉しくて楽しいことも半分こしたらさ、なんでか倍になっちゃうの。そうしたらさ、おれたちきっとどんなに苦しいときだって一緒に生きていられるよ。
そう言われると今まで鍵を掛けて硬く閉ざしていたはずの扉が、ガチャリと開いてしまったようで。
心の夜闇が瞬く間に、目もくらむようなまばゆいお月様に照らされてしまった。
「こわい、……私がなにより怖いもの、は……」
「うん」
ひとりぼっちは、もうおしまい。
さようなら、独りぼっちのふゆ。
「……あなたが、死んでしまうのが、こわい」
震える唇で懇願するようにぽつりと告げると、私の存在をぎゅうっと確かめるように軽い力を込めて抱きしめてくれる。
月の光のように優しくて金平糖のように甘いこの人がいない世界が、なにより私は恐ろしくてたまらないのだろう。
すると彼は真剣な面持ちで、私の目の前に手を差し伸べるかのように右手の小指を差し出した。
「……そっか。…なら、おれと指切りしよう。約束するよ。おれはぜったいに冬ちゃんより先に死なない。……さすがにおれが独りぼっちになったあとは、後を追いかけることだって許して欲しいんだけど、だめ?」
軽く照れ笑いを浮かべて言ったその言葉に、嘘ではないのかと耳を疑ってしまう。
「……ほんと、?うそじゃないの?」
「おれは冬ちゃんにだけは嘘はつかないよ。いつまでたっても泣き虫だし、弱味噌だし、恥を晒しちゃうおれだけど、好きな女の子にだけは、絶対に嘘はつかないって決めてるんだ」
そう言って少年のように無邪気に微笑むあなただったから、きっと私は氷のように頑なな心を開いてしまったのだろう。
すき。
私はこの人が、好きだ。
ちゃんと伝えなきゃ。言葉は話さなきゃ伝わらないんだから。
拒絶されるのが怖くていまにも逃げてしまいたいけど、彼はいつも私に真正面から向き合ってくれた。
なら、私はそれから逃げずにきちんと誠実を返さないといけない。
「……もう一つ、返事が欲しい」
「うん、いいよ。なあに?」
「……あなたと、…生きていてもいい?…好きになっても、いいの?…私、欲張りじゃない?」
「……そんなのはさ、欲張りなんて言わないの。おもいきり可愛らしい、おねだりっていうんだよ」
そっと小指を差し出すと、それを好きな人が結んでくれるこの世界は。
こんなにも明るくて、眩しいくらいにきらめいていたんだって。
「さ、忘れないうちにおれとちゃんとした指切りしよっか。……ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます、ゆびきった!」
その唄を最後に約束のしるしとして引っかかっていた小指がきれる。
この約束が破られる未来なんて、微塵も予想できなかった。
独りで蹲る私はもう、どこにもいない。
きっと彼がお月様みたいにどこにいたって私を見つけて、私と善のふたりぼっちになってしまうから。
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