私が所有する屋敷の縁側で、彼はゆったりとしかし緊張した様子で隣に座っていた。骨ばって節くれだった豆を潰したであろう硬い、どこか男の子らしい手。それがいま私の目の前にある。私は自分の腕を震わせながらもその手をおずおずと取ろうとしていた。
どうしてこんなことになってしまったのか、思考を巡らせて経緯を回想するとしよう。
「ねえ、冬ちゃん」
「……なに?」
「お、おれたちってさ。……この間、告白しあって。おつ、お付き合いしているってことでいいんだよね???」
ものすごく臆病な様子で、膝に乗せた手を固く握り締めている彼の突飛な言の葉。それに、この間起こった出来事を思い起こした。
「……ふゆちゃん、おれは、」
「きみのことが」
「……好きなんだよ」
あのとき、彼が私に勇気を振り絞って告白をしてくれたのに。過去の悲劇を繰り返すのが怖くて拒絶してしまったのだ。正直なところ今この瞬間あのときに戻ったとしても、私は同じ言葉と行動を繰り返す自信があった。いつまでたっても、私は誰かといることが恐ろしくてたまらない。けれど、善は。彼が絶対に私より先に死なないと、真剣な表情で指切りをしながら約束してくれたから。その繋がった手を離してしまいたくないと、欲張りなことを思ってしまった。そうして私と彼は不器用ながらもお付き合いをすることになったのだ。ちょうど私が所有している屋敷に二人でいるのも、そのお付き合いの一環だった。一応丙の階級であるのでそれなりに懐も潤っているから、一人になりたいときはこの屋敷に滞在することも多い。
「そう、だと思うけど」
「よ、よ、よかったああああああ!いやね、?あれほんとおれの脳内で作り上げたしあわせな夢だったんじゃないかって思っちゃうことがあってさ。あ、もちろんおれが冬ちゃんを好きなのは事実だし、告白したのも夢じゃなくて現実なんだけど!!!」
「……、私もわかる。……今でも、男性とお付き合いなんて夢なんじゃないかって思うから」
我ながら不器用であるし、人付き合いがいい方ではない私は交友関係が少なかった。水の呼吸育手の師、怪我をした際にお世話になる蝶屋敷の面々、専属隠の如月さん、私の事情を把握している蟲柱、特殊任務に携わる前に教えを請うた音柱くらいだろう。だから、まさか付き合う人ができるなんて夢にも思わなかったのだ。
「あ、と……冬ちゃんって、お付き合いした男の人……おれの前にいたことある?」
「……いない。……というか私を好きになる男性なんて、善くらいしかいないと思うけど」
そんな風に言うと、彼は頭から沸騰するほどの蒸気を発して、飛び上がるように歓喜に満ち溢れた表情をした。頰がとても赤らんで、顔面が崩壊するのではないかと言うくらいに緩み切った顔を見ると、恐らくは私がお付き合いをしたことがないことが嬉しいのだろうか。そう言う感情はよくわからなくて戸惑ってしまう。
「エッ!?いや、いやちょっと待って???なら冬ちゃんはおれが初めての男ってこと???それならめっっっっちゃくちゃうれしいよおれ!!!」
「……そういうもの?」
「そりゃあそうよ???男は女の子の初めての相手なんて言ったら自惚れちゃうもんだし!!おれだけが最初で最後なんだなって思うと、心臓がまろび出ちゃうくらいに嬉しいんだ!!!」
そういえばそれを聞いて、私も疑問に思ったことがあった。彼ほど魅力的な男の子なら、私の前に付き合った女の子なんていて当然だろうと。……なんだろう。そう思考を巡らせると胸が、詰まったみたいに苦しくなった。
彼は、私以外の人にもその満面の笑みを浮かべたのだろうか。
「ん?……冬ちゃん、苦しそうな音がするんだけど、なにか考え込んじゃってる?」
「……、えと、……」
付き合ったばかりなのに、こんな苦しみを吐き出してもいいのだろうか。これを言って仕舞えばいとも簡単にこの優しい人に嫌われてしまうんじゃないかと思うと、声帯を震わせるのがものすごく恐ろしくてたまらない。結局私はなにも言えずに、無言で目を泳がせることしかできないでいた。
「……冬ちゃん。おれさ、こんな風にきちんと向き合って女の子とお付き合いをするのって、実を言うと初めてなんだ」
「え、?」
「……いままでにも女の子に言い寄ったことはあるんだよ。おれ、女の子大好きだからさ。……あっ!今は冬ちゃん一筋だから他の子を見てもかわいいなとは思うだけで、それを口に出そうとは思わないんだけどね???」
まるで思考を読み取られたかのように、彼は私をほっと一安心させてくれる。きちんとしたお付き合いをするのは私が初めて。そうか、そうなのか。それを聞くと胸の中に溜まっていたはずの名前をつけられないもやもやが、少しずつ消えていくような感覚がした。もしかして、この感覚が初めてだと嬉しいと言うものなのだろうか。彼といると知らない感情にばかり出会ってしまうなと心の中で一人ごちた。
「……善が私以外にも付き合った人がいるのかなって、そう思うと胸がよくわからないもやもやで苦しくなった。……これって、どうして?」
隠すはずだったいままで経験したことのない想いを、どうしてかぽろりと告げてしまった。大丈夫なのか、これを言ってもと思ったのに、どうして伝えてしまったのだろう。
「……それってさ、おれも経験があるんだけど。……やきもちってやつかもしれない。……えっ、てことは冬ちゃんはいもしない女の子の存在に妬いちゃったの???なにそれ、すっごく可愛らしいねえ!……あ、でもやきもちって言葉に違わず半端なく苦しいから、おれが喜んじゃうのは不謹慎かな。……ごめんね」
「……やき、もち?」
心の中でお餅を焼くんだろうか。それはいったいどう言う意味なんだろう。頭上に複数の疑問符を浮かべてしまう。それを感じ取ったのか彼は身振り手振りで、必死に伝えようとわかりやすく説明をした。
「えーっと、要は嫉妬っていうかさ。んー、なんて説明したらいいんだろ。……おれが女の子と一緒になったかもしれないと思うと、悲しくなったり、不安になっちゃって心が痛んじゃう。そしたら胸のここのところがずうんって重く苦しい気持ちになるんだよ。……おれはこの前、冬ちゃんとお付き合いしてる人がいるかもしれないって思うと不安になって……それはもうべらぼうに妬いちゃったの。結局はおれの早とちりだったんだけどね。……それと似たような感覚だと思うよ」
「……相手のことが好きな感情って、楽しいものだけじゃないんだ」
「……悲しいことだけどね。相手のことが好きだからこそ、暗い感情に振り回されちゃうこともあるんだよ。でも、おれ七人くらいの女性に言い寄った挙句。その全ての女性に手も握らせてもらえないまま捨てられちゃってさぁ。だから!ほんっとうに冬ちゃんが初めてみたいなものなんだよ?!ねえ、信じて!?おつきあい初心者だから正直今もガクガク震えそうなのを必死に抑えてんの!!!」
私に嫌な想いをさせまいとなりふり構わず弁解をする彼を見ていれば、それが事実であることは納得できたから。その言い分を信じるしかないのだろう。彼に言い寄られていた女性は見る目がなかったのだろうか。こんなにも誠実で真剣に女性と向き合ってくれる男の子なのに。それとも彼の純粋さにつけ込んで好意的なふりをしていた、と考えるのが自然なのか。そう思うと好きな人に捨てられた際の苦味に共感しすぎてしまい、胸がずきりと痛んでしまうくらい大変もの悲しかった。
「信じる。……善のこと、信じるから。だからもうそんなに申し訳なく思わなくていい」
「ほ、ほんと?……嘘の音はしないから、冬ちゃんはおれのことを信じてくれたんだって納得するけど、またなにか不安になったことがあったらおれに隠さずに伝えてね?」
「……うう……」
不安になったら隠さずに彼に伝える。そのことが約束できないくらいには私自身も未知な部分があったので、どうにも肯定することができない。
「……やきもちって、苦しくて、悲しくて、でもそれはどこかで相手の好意を疑ってしまうことだと思うから。……信じきれなくて申し訳ないなって思う。だから、こういうのを素直に吐き出すと善を傷つけるんじゃないかって。……思ってしまう」
「……えっとね。おれもすぐにヤキモチ妬いちゃう性質なんだよ。それはおれ自身、自分に自信がないからなんだ。だから冬ちゃんを信じてないからじゃなくて、おれが勝手に早合点してひやひやしちゃうわけで。……冬ちゃんもそうなんじゃないのかっておれそう思うんだ。さっきもさ、私を好きになる男性なんておれしかいないなんて言っちゃってたけど。全然そんなことないっておれは思うよ?」
「……私には分からない。真正面から好意を伝えられたことなんてあれが初めてだったから。……どれだけ考えても疑わずに好意を持ってくれた人なんて、私の中では母様くらいしか信じられない。……母様でさえ、たまに信じられなくなることもあるのに」
「……おれたちってさ、そう言うところは似た者同士なのかもしれないね。いつまでたっても自分に自信が持てなくて、相手の好意を素直に受け止めらんないの。……でもね、おれが冬ちゃんを好きだって言うのはどんな事実があっても揺るぎない感情だから。……信じて欲しいとまでは言わないけど、そうだなあ。……おつきあい初心者同士でもあるから、お互いの速度で進んでいったんでいいんじゃないかな。その最初の一歩が相手に思ったことを隠さずに伝えるって言うのはどう?」
「……絶対に伝えるとは言えない。どうしても怖がってしまうから、……でも、伝えるように努力する。……で、いい?」
そう意見を述べるとそれでいいんだと言う風に、彼はにこりと白い歯を見せて笑ってくれた。
冬ちゃんが所有する屋敷に招かれてから、おれはとんでもなく神経質なくらいに緊張しきっていた。冬ちゃんから時折している甘酸っぱいみかんのような香りがそこかしこからして、それもまたおれを落ち着かない気分にさせてくる。掃除が行き届いていて周囲には埃一つ見当たらないし、縁側はぴかぴかと光り輝いているようにさえ見えた。冬ちゃんって几帳面でお掃除も得意なんだなぁ。そういう家庭的で女の子らしい部分を知っちゃうと、また一つ彼女の魅力に気づいて胸が踊るようだった。時間が経つごとにさ、おれどんどん冬ちゃんのこと好きで好きでたまらなくなっちゃって。それがいつか空気を吹き込まれすぎた瓢箪みたいに弾け飛んじゃうんじゃないかと思うと、末恐ろしくもあったけどね。おれ、冬ちゃんがいない未来なんてもう考えられないくらいには、彼女にべた惚れなんだよなぁ。
「うん。それでいいと思うよ。おれもどうしても伝えられないなってことは隠しちゃうと思うし、お互いに全部を晒し合わなきゃいけないってわけでもないと思うんだ。それは相手への気遣いでもあるから、一概に悪いことばかりでもないと思うしさ」
「……わかった。……私の弱さを受け入れてくれて、ありがとう。……善は、すっごく優しいね」
目を細めて晴れやかな表情で冬ちゃんが笑みを浮かべるのを見ると、嬉しい反面どうにも心苦しかった。優しい、優しい、かあ。ぶっちゃけちゃうとさ、おれってたまんないくらいに心が狭いんだよね。冬ちゃんが見知らぬ男と話してるってだけで、すぐにやきもち妬いちゃうし。炭治郎のことを最初に名前で呼び始めたことだって、実を言うと快く思わなかった。友達で、戦友である炭治郎にでさえ、こんなみっともない感情を抱いてしまう。小さく可憐な花がほころんじゃうような、愛らしくてほのかな笑顔をおれ以外の人間に向けるのだって、いい気はしないし。あわよくば冬ちゃんのあらゆる感情を独占したいなと思うくらいには、深刻な愛情を持っちゃってるんだよ。だから、冬ちゃんに嫌われたくなくて優しい素振りを見せてるだけで、実際には重たすぎる恋愛感情を持っている覚えもあった。
「……冬ちゃんはおれを買いかぶりすぎてるんじゃないかなあ」
「……いま、なにかいった?」
呟くような小さな声だったから、幸いにも彼女の耳に届くことはなかった。それにホッと胸をなでおろしたおれのことを、冬ちゃんには一生知られたくないな。たとえ勘違いだとしても、冬ちゃんがおれに好意的な感情を抱いてくれているのならそれに漬け込んでしまおうっていう内心を自覚しているからこそ。おれって情けない男だよなぁって自分でも思うよ。いつになったら冬ちゃんが遠慮なく寄りかかってくれるような頼り甲斐のある男になれるんだろうと思うと、ため息すら出してしまいたかった。
「ううん。なにも言ってないよ。……その、おれ健全なお付き合いを進めるために、もう一つやりたいことがあるんだけど。……言ってもいいかなぁ」
「……え、と。……私にできることがあるなら、言って欲しいなと思う。善には寄りかかってばかりだと思うし、わ、私も……その……」
冬ちゃんの心音がどきどきと早鐘を打っている音が聞こえる。どきどきしすぎて困ったように眉を下げて、羞恥で頬を赤らめている恥ずかしそうな顔もしているし。これってもしかしなくても、冬ちゃんもおれといちゃいちゃしたいなって思ってくれてんのかな。
「……善が好きだからこそ、……頑張って、えと、……普通のお付き合いしてる人みたいなこと、したいと思うから。……く、口から心臓がでそう、……う、うぅ……」
そう言って彼女は両手で自分の高鳴る胸を抑える仕草をした。それにおれは思わず頭を抱えてしまいたくなるほどの愛おしさを覚える。はああああ???どうしちゃったのこの子さ。付き合う前からぎゃんぎゃん泣き喚いちゃうおれにも優しくて、でもおれよりずっと鍛え上げられた呼吸を使う強い子なのに。いまはこれが本来あるべき形であるんだって言うように、色っぽく艶々した睫毛を伏せて、いかにも恋する女の子なんだなっていうような振る舞いをされちゃうとさ。おれも意識しすぎちゃうじゃん???ええええ???可愛すぎでしょ???おれほんとこんな愛らしい子と付き合っちゃってるの夢みたいだと思うしね????
いまここに宣言します!おれはこの子を世界で一番幸せにするから!!!絶対その幸せを誰にも邪魔させないし、このいとけない子をほかの野郎に奪わせたりもしない。この子をさ、やっぱり独り占めしちゃいたいんだよおれ。どんどん花開くように魅力的になっちゃう冬ちゃんを好きになる人はきっと出てくると思うけど、おれそいつらに遠慮なく突っかかっていっちゃうわ。いいよね???おれ冬ちゃんの恋人なんだから、可愛い恋人に近づく野郎どもに牽制したっておかしくないでしょ???っと、あまりにも冬ちゃんのことを考えすぎて思考回路が脱線しすぎた。危ない危ない。いまは冬ちゃんに返事を返さないとね。
「……うん。冬ちゃんがおれを好きだからこそ、頑張ろうとしてくれてるのはすごく伝わったから。おれそれだけでもすっごいご機嫌になっちゃうよ。冬ちゃんの心音もたまらないくらいどきどきしてるの聴こえてるしね。……あの、最初だし簡単なものがいいかと思ってさ。その、……手を……繋いでもいい?」
「……手、を。……繋ぐ……」
自分の手をぼんやりと見て、どこか夢見心地な様子で眺める姿は、ともすれば赤子のように無垢で。それをおれ色に染めちゃいたいと言う醜い欲望が、今にも心を突き破りそうだった。この子を、おれだけのことしか考えられないようにしたら。……きっと、餡蜜みたいに甘美で、美味しそうな女の子になっちゃうんだろう。
ああ、それはなんて、幸せなことだろうか。
決して愛されることなんてないと思い込んでいた過去のおれに、直接言ってやりたいくらいだよ。おれ、こんなにも素敵な女の子と一緒にいる未来があるんだって。だからさ、諦めないで石にかじりついてでもおれは生き抜かなきゃいけない。この傷つきやすい心を持つ愛くるしい女の子を守るために、任務も決してへこたれずにこなそうって、そう思うんだ。恋ってさ、こんなにもおれを強くしてくれるんだね。初めてだよ、こんな感情を知ったのは。
おれは、この子を守るためなら空だって飛べてしまえるような気がする。心に誓うよ。ただひとり、きみだけのために強くあれる男になる。冬ちゃんにだって、何度も何度も伝えてあげる。おれ、たとえなにが起こったって君をずっと変わらずに好きでいられるんだよって。
手を繋ぐ。誰と?……善と、私の。そう考えると、どきどきしていた心臓がまた強くどくりと高鳴った。え、……好きな男の子と手を繋ぐのって、こんなにも苦しくなってしまうものなのか。でも、もし一握りの勇気を出してその優しい手に触れることができたなら、繋ぐことができたなら。私は世界で一番幸福な女の子になれてしまうようで、……善も、そう思うのかな。どうなんだろう。
「……ぜん、は。……その、……私と手を繋げたら、……幸せだって思う?」
「思う!!!それこそ畑を一反でも二反でも耕せちゃうくらいに喜んじゃうし、幸せになれちゃうよ、おれさ!!!!」
間髪入れずに返ってきた疑う余地すらない好意のある返答に、ああ、善も私と同じなんだって。私と同じ思いを抱いてくれているんだと思ったら、心がふわふわしたわたあめみたいに甘い気持ちで満たされてしまった。そっか、そうなんだ。善は混じり気のない好意をずっと向けてくれている。なら私もそれに頑張って答えなきゃ。
「え、と……私から繋いでもいい?」
「エッ!!!???いやそれはもう万々歳というか、手放しで喜んじゃうけども???……いいの?……無理だと思うことはしなくていいんだよ?」
彼は眉間にしわを寄せたすごく心配そうな顔をして、不安に押しつぶされてしまいそうな表情をしている。……こんなにも私を優しく気遣ってくれる人に、真正面から応えられたらなって、思う。
「ううん。……善が私を好きって伝えてくれたから、私も善を好きって言えて。それは本当に奇跡みたいなものだと思う。……だから、私も勇気を出したい。善が臆したくなる気持ちを抑えてくれたんだから、今度は私が頑張る番じゃないかなって、そう思う」
そう口に出すと、彼はどこか戸惑った様子で、けれど心がはしゃいだようなにこりとした笑顔を見せてくれた。
「そっか。なら、冬ちゃんの邪魔をしちゃいけないよね。……ええと……もしかしたら手汗とかべたべたしてるかもしれないから、それで不快な思いさせたらごめんねえ!!!」
早口で喋りきると、彼は私の目の前にその大きな左手を差し出してくれた。こわい。ほんとうは、こわい。けど、がんばりたい。深呼吸を一つして、おそるおそる右手を近付ける。
まだ、遠い。
少し、近くなった。
あと、ほんの少し。
もう、互いの手が触れあいそう。
ぎゅう。彼の手の感触を確かめるように握ると、それだけで泣いてしまいたくなるくらいに喜々とした感情に包まれた。ああ、やっと彼に応えることができたんだ。私、勇気を出してよかった。自ら行動しようって思うだけじゃなくて、実現するのは怖くて仕方がなかったけど。手が触れ合うまでにも私を微笑ましく見守ってくれる彼の眼差しが、暖かくて心地よいくらいで。なのに、手を触れ合わせたら、何者にも変えがたいくらいの喜びで浮き上がってしまいそう。ゆめ、じゃないのかな。暖かい手の感触を少しだけ握り返すと、彼も同じように思ったのか少しだけ私の手を弱めに握り返してくれた。
「……う、わ……え、?……冬ちゃんの手柔らかすぎじゃない?……この前按摩してもらった時も思ったけどさ、おれの手とは全然違うんだねえ……もちもちして、小さくて。……おれ力を入れたら握りつぶしちゃいそう。……いやいれないけどね???」
「……善の手は、私よりおっきいね。……それに筋が浮き出てるし、骨がゴツゴツしてる。……そっか、こんなにも違うんだ」
任務で男女差を感じてしまうことはよくあったけれど、ここまで身近に触れ合える存在ができるとは思わなかったから。お付き合いをすることでこれ程までに尊い感情を生み出してくれるんだと思ったら、それはそれは幸福なことなんだなって。私、こんなに満たされて、幸せでいいのかなって不安になってしまいそうだった。
「……幸せすぎて、怖い。……この現実が壊れちゃうことが、こわくなっちゃう。……ダメだね、……善は指切りして約束してもくれたのに。また後ろ向きなことを考えてしまう」
「……ううん。おれもさ、実を言うと怖いんだよ。いざ幸せに触れてしまったら、なかった頃のおれには絶対に戻れなくなることがわかりきってるし。……でも、それでも冬ちゃんの手を離したくないって思っちゃうわけで。……だから、不安になってもいいんだよ。そのたびにおれは何度だって言ってあげる。おれは、冬ちゃんと繋いだ縁を絶対に離さないし、きみのことが好きだって伝え続けるからさ」
ああ、この人は誰よりも私のことを好いてくれているんだ。すぐに不安がる私を大丈夫だと安心させるように何度も言葉を重ねてくれる。それがどんなに難しいことなのか、私には分かるから。だから。
そっと灯がともるかのように微笑んだ顔を彼にゆっくり寄せると、思い切って唇と唇を触れ合わせた。驚きで琥珀色の綺麗な目を大きく見開いた彼の顔も近くに見える。少しカサついた皮膚の感触も感じるけれど、その行為で心と心が通じ合ったような気もして。
ああ、好きだからこそ、あなたに触れ合いたくなるんだなって、私初めて知ったの。
「……えっ?」
「……好きだよ。善、大好き」
あなたがいてくれる世界が、この幸せがずっと続きますようにって。希い続けてやまないんだろう。明日をも知れない現在を生きているからこそ、臆病風に吹かれて後悔することだけはしたくなかった。そう思って少しだけ微笑みかけると、ガッと力強く肩を両の手で掴まれて引き寄せられてしまった。一刻も早く私が欲しいと言わんばかりの眼差しで射抜かれて、歓喜で体が震え上がる。背中を逞しい腕で抱きしめられて、少々痛いくらいだったけど、その痛みすらも愛おしかった。
「……ずるい。……おれも、……冬ちゃんに口吸いしたいよ」
彼は軽く互いの唇を触れ合わせると、角度を幾度も変えて私達は深く口付けあった。ああ、彼に求められることだって、こんなにも心が揺れてしまうくらいに愛おしいものなんだ。
雪が降るあの任務であなたに出逢えたことは私の何にも変え難い、色とりどりの飴玉のような奇跡に満ち溢れていたんだって。
この幸せな思い出があれば、どんな苦難もきっと乗り越えられるんだと信じられるの。
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フォスチア