夕焼けで空が茜色に染まる午後。手持ちの睡眠導入剤が無くなりかけていることをすっかり忘れていた私は蝶屋敷を訪ねていた。やはりどうしてもこれを飲まないと眠りにつくことができないし、飲んだところで気休めに過ぎない日もあることは分かっていたけど半ば依存してしまっているのだろう。持っているだけでお守りのような安心感を感じてしまって、これが無くなるとたまらなく不安になってしまう。今日も浅かった睡眠時間にたびたび欠伸をもらしながら、蟲柱の診察を淡々と受けていた。
「今日は睡眠導入剤の追加処方ですね。前の処方から一ヶ月は経ちましたけど、……やはり変わらず眠れませんか」
「……はい」
蟲柱はにこにことした普段の振る舞いに少し陰りを見せながら、ふと考えるように目を伏せてかりかりと診断書を書き進める。
「そう、ですね。……今回も同じ量を出しておきますから、分量を守って服用してください」
「……分かりました」
薬の苦々しい匂いがする包みを受け取りそのまま退出しようとして、そういえばと思い出したように声をかけられた。
「寒菊さん、善逸くんとお付き合いを始めたそうですね」
その言葉に足を止める。やはり前の一件から噂になってしまったのだろうか。柱の耳に届かないはずもないと分かっていたが、こうも明け透けに聞かれてしまうと気のせいかしくしくと胃痛がしてきたような気がする。女性はやはり恋話が好きなのか。黄色い悲鳴をあげて楽しげにおしゃべりをする女性の姿を思い浮かべながら深いため息をついた。
「……そうですが、なにか」
「そんなに警戒しなくても、善逸くんを取り上げようだなんて言いませんから。睨まないでくださいよ」
目つきが悪くなっているのは単に目の下に出来たクマのせいだろう。余計なお世話だという台詞を飲み込み胃痛がするお腹を片手で押さえながら、素っ気ない返答を返す。
「……睨んでません。……ふあ、……すみません。……それがなにか?」
「いえいえ、構いませんよ。……自分の睡眠状態について相談をしたのかな、と疑問に思いまして。彼ならきっと親身になってくれると思いますよ?」
欠伸を手で押さえてついとってしまった失礼な態度を謝罪したが、蟲柱も睡眠不足ゆえの整理的な現象だということを理解していたゆえに気にしないでくださいと返された。
後者については一度も相談をしようと思わなかったわけじゃない。でも、どうしても駄目だった。睡眠導入剤を服用している理由を話せば、その過去にも自然と触れなければならない。あの時のことは今でも思い出すだけで、なぜか全身の震えが止まらなくなってしまうのだ。それを口に出すだなんてことをしたらもっと平静ではいられなくなるだろう。ただでさえこの間弱いところを晒して迷惑をかけた覚えがあるのに、これ以上彼に寄りかかってしまうのは私が嫌だった。
「……これ以上彼に頼りきるのはいやなんです。眠れないのは私個人の問題ですから、……任務に支障は出ていませんし相談する必要もないかと」
それに、前会ったときに彼が妙に不安そうな顔をしていたことも脳裏に引っかかっていた。如月さんが私の屋敷に訪ねてきた日、最初は二人で言い争いをしていたけど徐々に口数が減り、しまいには苦虫を噛み潰したような表情をして黙り込んでしまった。その様子が気になって声をかけたけれど、何も言いたくないとばかりに荒々しい口付けをされてしまって、とうとう何も聞くことができなかった。此方も不安になってしまうほど悲しそうな感情はいったいなんだったんだろう。どうしたのかと問い詰めることもできたけど、本人が話したくないならそれ以上無理に聞きたくもなかったので、彼とはその場で別れたきりだ。
「ううん……そういうところも彼を心配させる一因だと思うんですが、……身近に相談できる人間がいるというだけで気が楽になることもあります。……血生臭い過去を思い出したくないという意見もわからないわけではないのでこれ以上は言いませんが、選択肢の一つとして考えてみてください」
それに何も返さずに診察室を黙って後にした。出入り口に脚を進めながらも眉間にできてしまったしわを片手で揉みほぐす。私も分かっている。自らが融通が利かない性格をしていることも重々分かっているのだ。それでも過去のことはできるだけ思い出したくない。いまだに目を閉じれば容易く思い出せてしまう過去の凄惨な光景に思い馳せるだけで、幼く未熟だった自身に対する吐き気と嫌悪が止まらなくなってしまう。そういうことを悶々と考えているとじりじりと焼けこげるような胸焼けもしてきてしまって、その思考を断ち切るようにぎゅう、と力強く目を閉じた。
「あれ、冬じゃないか」
覚えがある声色に瞼を開いてチラリとそちらを見やると、このところ姿を見ていなかった炭治郎と出くわしてしまった。それに思い切りため息をつきそうになって、反射でなんとか堪える。どうしてこう、会いたくない時にばかり人と会ってしまうのか。己を不運を恨みながら彼に対して口を開いた。
「はああ……」
おれは先日の一件を思い出しながら蝶屋敷の縁側で重苦しいため息を吐き出していた。みんみんと蝉の鳴く音を聴きながらも夜風に当たっていると、暴走しやすい頭を冷やせてちょうどいい。しかし失敗したなぁ。まさか女の子に嫉妬しちゃうほど心が狭かったなんてさ。知らなかったよほんとに。おれってこんなにヤキモチやく人間だったの?野郎に所構わず嫉妬しちゃう部分があることは分かってたけど、女性もその対象に入るなんて夢にも思わなかった。いや、如月さんは気付いてるのか知らないけど冬ちゃんに思慕を抱いてたみたいだし、そのせいだと思うんだけどね?
でも冬ちゃんが女の子と接するたびに妬いていたらさすがに身がもたない。任務だって二人きりでこなすことが多いみたいだったし、正直それ立場変わってくれない?と思うくらいにはすっごい羨ましいんだけどさ。そういうわけにもいかないから、おれが耐えるしかないよなぁ。好きな子とお付き合いをして、わが世の春がきたと言わんばかりの幸せ絶頂期だったのに、いざ近くにいることを許されてしまうとあれもこれも目に付いちゃうし。ままならないことばかりだなぁ。
もう一度深いため息をついていい加減部屋に戻ろうと立ち上がったとき、耳に随分と覚えのある潮騒のような音が聴こえてきた。えっ、冬ちゃんもしかして蝶屋敷に来てんの?おれ何も聞いてないんだけど。音が聴こえる方についふらふらと足を進めながら誰かとの話し声に耳を澄ませる。
「これでいいと思うけど、……私も女性の髪型について詳しいわけじゃないから、これ以上は力になれない」
「いや、助かったよ。ねずこ、可愛らしくしてもらえてよかったな。冬にお礼を言おうか」
「むー、むー!」
炭治郎とねずこちゃん?二人に用事でもあったのか。でもここにくるならおれに声かけてくれてもよかったのに、……アーーーーッ!!!だめだめやめろその思考回路は!冬ちゃんがいちいちおれにお伺いを立てなきゃいけないわけじゃないんだからな?!いくら付き合ってるからといってもあまりに束縛が過ぎると冬ちゃんに嫌われちゃうかもしれないだろ!ウッ、そんなことになったらおれ絶対に耐えられないし、冬ちゃんにずっと縋り付いてでも女々しく復縁を迫るんだろうな。自身の妄想で激しく心を乱しながらも三人の声がする部屋の外からそっと中を覗き見ると、冬ちゃんはねずこちゃんの長い黒髪を丁寧に編み込んであげていた。
「……え、すご」
無意識に感嘆の声を上げてしまってハッと口を塞ぐと、部屋の中の視線が一気におれに集中して図らずしも冷や汗をかく。いつまでもその場から動かないおれに業を煮やしたのか、炭治郎が気安く声をかけてきた。
「善逸、どうしてそんなところにいるんだ?気になったのなら部屋の中に入ってくればいいだろう」
「いやいや、いくらなんでもいきなり人の部屋に押しかけるのは不躾すぎるだろーが」
もう隠れて見ている必要も無くなってしまったから、襖を開けて部屋の中に立ち入ると鏡台の前に嬉しそうな笑顔を零したねずこちゃんが座っていて、その後ろでどこか懐かしそうに目を細めた冬ちゃんがその髪型を崩さないよう優しく撫でてあげていた。
冬ちゃんからは遠い昔の懐古に耽っているような音がする。冬ちゃんも、昔はねずこちゃんみたいに髪が長かったのかな。きっと似合うんだろうなぁ、髪の長い冬ちゃんの編み込み姿も。綺麗で可愛らしくて、とびっきり愛らしいんだろう。見て見たいな。いつかは見せてくれないかな。おれだけの前で髪を伸ばして着飾った冬ちゃんの晴れ姿を。
「むー、むん、むん」
しかしねずこちゃんがご機嫌な様子で冬ちゃんにすり寄っている姿を見て、またも自身の心が焼け付くような痛みを感じてぐっと眉間に皺を寄せる。な、なんでだよ。ねずこちゃんは冬ちゃんに親愛の気持ちを示しているだけだろ?なのになんでおれはそれにまでヤキモチ妬いちゃってるの。どうしてそれすらも羨ましいなんて、おれと変わってくれなんて考えが湧いてくるんだよ。おかしいだろそんなの。でも、こころをかきむしりたくなるほどの嫉妬心は、どれだけ自分に言い聞かせても止まることが無かった。
はたと炭治郎が何かに気付いたようにすん、と鼻を鳴らして不思議そうな顔をしておれを振り返る。やべっ!炭治郎の嗅覚からは逃れられなかったか。思わず顔を歪めながら仰け反って後退してしまう。これが自分でもおかしな事であるという自覚が大いにあったから、たとえ仲間だとしても炭治郎に知られたくなかったんだよ。なのにお前こういう時ばっかりは鼻が効くよなあ。いや、これ全部おれの嫉妬心のせいだから炭治郎にはなんの責任もないわけで。要するにただの八つ当たりですよごめんなさいね!最早誰に言い訳してるのかも分からずに、ただただ身を縮こませるしかなかった。
「……善逸からねずこに悋気をしている匂いがするんだが」
「むう?」
「……悋気……?」
ほら見なさいよ。やっぱり逃さずに感じ取ってたじゃない。それにねずこちゃんはことりと可愛らしく首を傾げている。アアアごめんよお!おれが過剰なヤキモチ焼きなばっかりに、女の子にまで迷惑をかけるだなんてもう自分にほとほと嫌気がさしちゃう。そして怪訝そうに難しい顔をした冬ちゃんも視界に入って、これはもう胸の内を暴露するしかないなとも思った。いい加減後ろめたいことを話して楽になってしまいたいっていう、半ばやけくそじみた行いであることも重々承知の上だったけどさ。
「あ、あ〜、……その、さ、冬ちゃんが女の子と接するのにもおれヤキモチ妬いちゃうみたいで。……この間もそうだったんだ。隠の子に手拭いで涙を拭いてあげてるのを見て、めちゃくちゃ妬いちゃって。……冬ちゃんが優しいのっておれだけにじゃなかったんだとか自分勝手なことまで考えて。……いや、もうほんとごめんねえ……!こんなのおれがだめな男であるって事実を助長してることもわかってるんだけど!でも!……くよくよ考えちゃうんだ。……ううう……!冬ちゃんごめんよ。これはおれが我慢すればいいだけの話だからさ、お願いだから捨てないでえ!!!」
泣き言を言いながら冬ちゃんの腰に腕を回して縋り付くと、炭治郎はどうしてまた好きな子の前でも恥を晒すんだというなんともいえない目でおれを見てたけどさ!どうして何もいってないのに分かるのかって?そりゃもう目が口ほどにものを言っちゃってるのよ!冬ちゃんはそれになにも返さず手に持っていた櫛をねずこちゃんに渡すと、唇に人差し指を当てて考え込んだ様子を見せた。なにを考えてるのか怖くて仕方がなかったけど、そっと耳を傾ければ真剣におれの言葉を受け取ってどうにかしようと思考を巡らせている音がした。
え???おれてっきりすぐに捨てられちゃうんじゃないかと思ってたけど、そういう展開じゃないの???だって、こんなのおれが冬ちゃんを好きすぎて自暴自棄になってるだけなのにさ。冬ちゃんは徐に炭治郎とねずこちゃんに別れの挨拶を交わした後、琥珀の瞳に大粒の涙を溜め込んで間抜けな顔を晒したままのおれの腕を、無言で引いて何処かへと連れていってしまった。
善の腕を片手でずるずると引きながら、やきもちについて自分なりの考えをまとめてみる。彼はこの間相手のことが好きだからこそ、悲しくなったり、不安になって胸がずんと重苦しくなってしまうことを言うのだと言っていた。それに男性だから、女性だからどうという区切りをつけるのはおかしいのではないだろうか。でもこれは私だけの持つ考えなのかもしれない。このまま自分だけで考え込んでも答えが出ないと早々に思考を切り上げて、彼に話し合いの提案をした。
「……少し思考をまとめたいから話に付き合って」
「えっ、は、はいっ!?」
素っ頓狂な声を上げつつも肯定をしたので遠慮なく言葉を続けることにする。というか私は彼をどこまで引っ張って行くつもりなんだろうか。勢いで行動してしまったために二人で草鞋を履いて外にまで出てきてしまっていた。そこら中から鈴虫がりんりんと鳴く音もする。このまま行くと自分の所有する屋敷にまでたどり着いてしまうだろうに。まあ、それでも構わないかと思うくらいには、彼に心を許してしまっていたし。最悪彼には屋敷に泊まっていってもらおう。夜道を帰らせるのは危ないし、この話も長引いてしまいそうだから、ちょうどいい。
「私が如月さんやねずこさんに優しく接しているのを見て善はやきもちを焼いた。この事実に間違いはない?」
「う、うん」
「善はそれがおかしいことだといった。女性にやきもちを妬くなんておかしいって。……それが私には分からない。なんでおかしいの」
「えっ?だって同性同士なんだよ?友情や親愛を深めてるのに妬いちゃうのは流石におかしいっていうか、度が過ぎてない?」
度が過ぎている。そうか、彼はそう感じてしまうのか。難儀な性格をしているなと自分の性格からは目を逸らしつつ、率直な考えを素直な気持ちで吐き出した。
「私はそうは思わない。相手が好きだからこそ、ヤキモチを妬いてしまうというのなら、そこに同性や異性の垣根はないと思う」
「……おれのこと、いやだとかきらいだとか鬱陶しいとか思ったりしないの?」
「どうしてそれでいやとかきらいとか鬱陶しいになるのかもよく理解できない。……あくまで私個人の考えだから、他の人にも通用するわけではないことは念頭に置いておくべきだけど。少なくとも私はそれで善をいやになったりきらいになったり鬱陶しく思ったりすることはない。……それに、自分でも交友関係が薄い自覚はあるから、少ないなりにその人達のことは大事にしようと思ってる。……だからこそ、善がそれで苦しくなったり悲しくなっているのなら、どうにか解決策を見出したい」
砂利を蹴っていた脚を止めて振り返ると、彼は沈痛な面持ちで特徴的な眉尻を下げて、胸が締め付けられるほどの悲しげな表情をしていた。どうにも考えが詰まったとき、彼は一か零かで極端に考え過ぎてしまう節がある。そういう思考は私もよくしてしまうから分からないわけではないが。彼は自分が最初に言い出したことを忘れてしまったのだろうか。
「……不安になったことがあるなら相談してって最初に約束したから、善もなにか思うところがあるなら躊躇しないでほしい。……親交を深めるのは不得手だから力になれるとは限らないけど、私なりの答えを話すことはできると思う」
……おつきあい初心者同士でもあるから、お互いの速度で進んでいったんでいいんじゃないかな。その最初の一歩が相手に思ったことを隠さずに伝えるって言うのはどう?
そうだ。そうだった。おれが最初に言い出したんだったよな。おつきあい初心者なんだから、相手に思ったことを隠さずに伝えようって。なのにおれはいつの間にかそれを一人きりで解決しなければいけないことだと抱え込んじゃってた。でもそうじゃないだろ。お互いのことが好きだからこそ、この関係を一秒でも長く続けたいと思うのならおれ一人で抱え込まずに相談するべきだったんだ。
「……アーーーーーッ!!!!」
片手で頭をがりがりと掻きむしって大声をあげながらむしゃくしゃした気持ちを音にして吐き出すと、冬ちゃんはびくっと肩を揺らして驚いた様子で後退した。そのほそっこい肩を決して逃さないように両手で捕まえる。逃げるな。今だけは逃げちゃいけないんだ。怖いけど、それはもう心臓がまろび出ちゃいそうなくらいに恐ろしいけどさ。この先を考えるなら避けては通れない問題をこのまま先送りにしちゃいけないだろ。
「おれはさ、冬ちゃんに優しくされてる野郎にも女の子にも嫉妬してやきもち妬いちゃうの。なんなら優しくされてなくても冬ちゃんの近くに寄るだけで胸がもやもやしちゃうし、おれの冬ちゃんに近づくなってすぐさま引き剝がしたくなっちゃう。……でも、これっておれの身勝手なものだとも思うんだよ。おれに冬ちゃんの交友関係を制限する権利なんかないんだから、……でも、本当は束縛したいって思う。……だから、冬ちゃんのその考えに甘えてしまいたいって思うおれもいるんだ。……ううう……これって、どうすればいいのかなぁ」
目元を潤ませて縋り付くような甘えた目で冬ちゃんをじーっと見つめるとどこからか、きゅん。と母性をくすぐられたような可愛いらしい音がした。えっ、今のなに今のなに???初めて自分に向けられた音だったからどうにも狼狽えてしまう。きょろきょろと視線を動かしたところで冬ちゃんが目元を片手で隠して深呼吸をしているのを目撃したおれは、もしやいまのは彼女が出した音だったのかと直感で気付いてしまった。えっ???なにそれおれのせいで母性をくすぐられたってこと???えっ???こういう行動をして呆れられたことはあるけど、好意的な反応をとられたことはなかったからおれも動揺しちゃうんだけど???すー、はー、と深呼吸を何度か繰り返して深い深い溜息をつくと、やっとおれの目を見返して自分なりの答えを返してくれた。
「成る程。分かった。……正直誰にでも優しくしているつもりはないけど、これからは不用意に男性にも女性にも近づき過ぎないようにする。……親しい人に近づかないっていうのは無理な部分があるから、そこは多めに見て欲しいけど。……束縛についてはどうするべきなのかわからないから、もう少し具体的に話してほしい。……え、と、……これでいい?」
誠実には誠実を返してくれる子だと理解はしていたけど、まさかここまでおれの心情を考慮した提案をしてくれるとは思わなくてついつい面食らってしまう。今までなら、おれが一方的に振られて終わりになっていたところだったから。……いや、その考えって前付き合ってた子にも冬ちゃんにも失礼だよな。だって、どちらも別々の人間なんだからさ。思考は個々人で全然違うし、好みや欲しいものだって異なる。なら、想いを伝え合うことを躊躇っちゃいけないんだ。おれと冬ちゃんは別々の人間で、容姿も性格も違う。生まれた場所も、育ってきた環境も、全部が全部違うんだから、わかりあおうとすることを辞めちゃいけない。それに、そんな彼女だからこそ、おれはここまで惹かれて好きになったんだって言えるんだから。
「うん。……うん、ありがとう、冬ちゃん」
きみはまたほろほろと泣き出してしまったおれを見て、はらはらとした音をさせながらも手ぬぐいで優しくおれの目元を拭ってくれる。その甲斐甲斐しい優しさにも惹かれたんだよなと思うと、また一つ彼女への好きが深まってしまうんだよ。
冬ちゃんといると急に世界が広がったり狭まったりしてさ、目まぐるしくてついていけないこともあるけど。好きだからこそ、苦しくなる痛みを覚えて。でも、その苦しさすらも乗り越えられたら、もっと君のことが好きになれるんだね。おれ、もっとずっときみと一緒に歩いてみたい。きっと衝突することも、諍いを起こすことだってあるんだろうけど、それでも世界で一番大切なきみの手を離したくはないから。だから、たとえ何があってもきみだけはあきらめたくないって思うんだ。
「……あ、そうだ」
「ん、どうかしたの?」
「蝶屋敷離れすぎたから、いっそうちの屋敷に泊まって行く?」
「……えっ?????」
ことんと首を傾げて無表情でこちらに問いかける冬ちゃんのとびっきり可愛いらしい姿を見て、もう一度心の中で反故した瞬間おれの思考回路が一気に停止した。嘘でしょ???もしかしてあのさ、その展開はもしかしてもしかしちゃうの????
/tonner/novel/1/?index=1
フォスチア