01
『入学式の写真、ちゃんと送ってね』
「分かってるって。ねぇ、パーキング着いたから、あとでね」
母との電話を切り、何度か切り返した後やっと駐車した彼女は、ふぅと小さく息を吐いた。初心者マークすらまだ真新しい彼女にとって、駐車は苦手のひとつである。いくらハンズフリーの通話とはいえ、人と話しながらの駐車はまだできない。安心したのも束の間、ハッと目的を思い出しサンバイザーのミラーでメイクを確認すると、バッグを持って車を降りた。
大学1年、春。碓氷灯は父の仕事の都合で海外へ発った両親に代わり、弟の高校の入学式に向かっていた。自身の入学式を昨日終え、今日は午後からオリエンテーションがある。スムーズにいけばスーツを着替える時間はあるが、どうだろう。灯は頭の中でシミュレーションをしながら、スマホのナビに従って目的地たる高校を目指した。
「あれ…いない」
特別迷わずに辿り着いたはいいものの、校門で待ち合わせているはずの弟がいない。弟は一緒に車で行こうとの誘いを断って「登校の練習がてら一人で電車で行く」と先に家を出ており、本来であればもう到着している時間だ。寄り道でもしているのかと少し待ってはみたものの、いつになっても待ち人は現れなかった。
「もしかして、もう中にいるとか…?」
周囲の人が減り始め流石に不審に思った灯は、式典会場である体育館に向かった。入り口の脇には受付があって、モデルか俳優かと見紛うほど華やかな男性が新入生とその保護者に笑顔を振りまいていた。
「あの、すみません」
少しの気後れを胸に押し込み、灯は男性に声をかけた。すぐにこちらに気づいた彼は、灯を見るなり一瞬動きを止めた。
「あの、碓氷要はもう来ていますか?学校で待ち合わせていたんですが、会えていなくて」
「あー…碓氷くんの保護者の方、ですか」
華やかな雰囲気とは裏腹に歯切れの悪い受け応えに、灯は自分が少し疑われているように感じた。しかし考えてみれば制服も着ていない、明らかに高校生の母親の年齢には見えない自分を不審に思わない訳がない。ハッとして、灯はバッグから免許証を取り出した。
「すみません、碓氷要の姉です。弟がまだ来ていないようなので、確認していただきたくて」
「こりゃ、失礼しました。しばしお待ちください」
免許証をまじまじと確認すると、男性は手元の名簿に目を走らせた。ページを捲ると同時に首にかけたIDカードが揺れ、"教諭 宇髄天元"と書かれたネームカードが見えた。
「まだこちらには来ていないようですね」
「そうですか…わかりました。ありがとうございました、宇髄先生」
宇髄に頭を下げ、灯はその場から少し離れて電話をかけた。数コールのうちにあっさり聞こえた弟の声は、「焦る」という選択肢はないのかと疑うほどに平然としていた。
「ちょっと、要!今どこ!?」
『いや、なんか電車乗り過ごしてさ、今駅に着いたとこ』
「はぁ!?」
時計を確認すると、式典開始まであと15分。ギリギリだが、まだ間に合う。
「もう!とにかく急いでね!」
灯は電話を切るなりまた受付へ向かい、事情を説明して頭を下げた。大丈夫ですよと微笑む宇髄に再び「すみません」と謝り、灯は弟を待つために校門へ急いだ。
「だから一緒にって言ったのに!」
駅の方向を見ながら待つ灯は、当然のことながら落ち着かない。時間は過ぎていくのに弟の姿は一向に見えず、これでは母に頼まれた写真どころではない。
「そこの方、当校に何か用だろうか!」
突然後ろから聞こえた大声に驚いて振り向くと、そこにはスーツ姿の男性が立っていた。意志の強そうなキリッとした顔付きのその男性は、一瞬目を見開き驚いた表情を見せた。しかし直ぐに表情から驚きは消え、灯に数歩近づいた。
「え、えっと、弟が新入生で、電車で乗り過ごしたらしくて、遅れてまして」
「よもや、保護者の方であったか!それは失礼した」
男性はそこまで高身長というわけではないものの、体格が良いおかげで灯からはとても大きく見えた。首から下がっているIDカードは、裏返っていて見えなかった。
「入学式にお姉さんがいらっしゃるとは…失礼ですが、ご両親は?」
「両親は仕事の都合で海外にいるものですから」
「…そうか、離れているとはいえ、家族全員健在なのは良いことだ」
「…?そう、ですね」
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