「きっと、もっと素敵なひとがいるよ。真田くんに、合う人。だから、別れて、欲しい、です」

そっと吐き出すように紡がれた言葉。瞼の裏が熱くなる。何が悪かったのか。




「真田は何だかんだ、諦めの悪い男やの〜」
「何のことだ」

真田は仁王の言葉に、眉間の皺を深くする。テニス部のものではない、学校指定のジャージに袖を通した腕をいつも通り組んだまま。
仁王はニヤつきながら真田にひょこひょこと猫背で歩み寄り、名前ちゃんのことじゃよ、と嘯く。

「面倒な男よのお〜。今も見ちょったぜよ、名前ちゃんのこと。そんな気になるんか」
「見てなどいない。言いがかりはやめろ」
「はは、そーかそーか。そういうことにしといちゃる」
「それより、今は休憩なのか」
「そうぜよ。お前さんもそうなんじゃろ」

仁王は真田の隣に胡座をかいて座る。何を見ているのかと視線を追えば、その先にバスケットボールについていくのが必死な苗字がいる。わたわたとボール翻弄される様を面白そうに見ている隣の男に、不快な感情が湧いた。他クラスとの合同授業でなければ、仁王に冷やかされることもなかっただろうと思うのだが、それもそもそものすべて自分の精進が足りないせいだ。

「なあに、取って食ったりせんよ。お前よりは上手くやれると思うがな」
「何を」
「おー怖いこわい。その顔があいつを怯えさせてるんと違うんか?にっこり笑って話しかけたら、あいつはちゃんと笑ってくれるぜよ。お前さんには笑顔が足りんのじゃ」

ほんじゃあの、と言って立ち上がり、仁王は体育館のコートの端を歩いていく。その先にはさきほど試合を終わらせた苗字がいた。仁王が何やら話しかけると、苗字はにこにこと楽しそうに笑う。それを見て、胸の内が焼かれたような気になった。

もうわかっている。何が悪かったのか。
先日もそうだった。話しかけられて、気付けば怒鳴りつけていた。

付き合っているときから、どうしたらいいのかわからず、思わず部内の仲間にするように苗字を怒鳴ってしまったこと。
折角会話をしようと、気を遣ってくれたのだろうとわかっていてもうまく会話を続けてやれなかったこと。もっと気を遣ってやればよかった。いつだったか、気がつけば後ろにあったはずの姿が消えており、焦って探してみれば手持ち無沙汰に佇んでいる。瞬間安堵と怒りと心配で、そのときも何をしていたと怒鳴りつけた。苗字はまた涙を浮かべてごめんなさい、とちいさく謝ったのだ。
あそこで怒鳴っていなければ、何か違ったのだろうか。優しく心配したと声を掛けられるような男であれば。

どこに惹かれたのかはもう覚えていない。蓮二にお前はよく苗字を見ているな、と指摘され、苗字をよく目で追っていることに気がついた。教室にいても、彼女の言葉を耳がよく拾った。女子にうつつを抜かすとは!たるんどるぞと自分を律してみても、もっと近くに寄ってあの笑顔を見られたらと考えると体が熱くなった。このままでは示しがつかないと、彼女を近くに寄せてみた。しかし殆ど笑顔が見られず、失敗ばかりでもどかしい。苗字の顔はどんどん暗くなった。まずいことばかりしているのは分かるが、正解がわからない。
どうしたらいいのか。一番苛立っていたのは自分自身にだ。眉間の皺は日毎に深くなる。
これほど苦しいまでの悩みが恋とは知らなかった。こんな感情が本当に恋なんて自分と程遠かったものなのかと何度も自問してみるものの、それ以外の何物でもない。

正解を模索しているままに、気づけば俺と苗字の距離は離れていた。


もっといい人とは、具体的にどんな人なのか。教えて欲しいと彼女に問いたかった。ただまたあの怯えた目を向けられるのももどかしい。
仁王と笑いあう、あの笑顔はもう手に入らないものだと、何度もそう言い聞かせていた。それでも欲しいと願ったときは、どうしたらいいのか。テニスならばわかる。剣道であれば。毎日鍛錬を繰り返し、怠らず、辛いと思っても諦めないことだ。ただそれが気持ちであった場合は?

距離を置いても苦しく、そばにいても苦しい。苗字と目が合う。ぱっと逸らされ、絶望感が体を包んだ。それでも、諦めることも出来ない。



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