季節はもうすっかり夏前だった。
昼休み、教室にやってきたのは切原くんだ。

「あれっアンタ!真田先輩の彼女さんっスよね?!」

真田くんに用があって来たみたいだけれど、同じクラスにいたわたしを発見して彼はそう叫んだ。もうその頃から2年も経っているのに。
当時真田くんと付き合い出した頃、真田くんは交際を隠すつもりがなかったため周りの人はわたしたちが付き合っていることを知っていた。
今となってはみな忘れていることだ。知らない人も多いだろう。クラスの人たちがざわめいてこちらを見た。茜は真顔になり麻依ちゃんは驚いている。
今付き合っている訳でもないのに、注目を集めてしまってどうしようもなく恥ずかしい。

「き、切原くん、違うよ」
「やべっ!すいません!」

咄嗟に時間の流れを思い出したのか、切原くんは慌ててそう口にしたものの、時すでに遅しとはこのことだった。

「赤也ーーっ!!!!」
「すんませんすんません!」
「え、あっえっ切原くん!」

怒鳴り散らしながら、すごい顔をした真田くんがずかずかと近寄ってくる。切原くんはあろうことかわたしを盾にし、自分を庇った。シャツの背中に彼の手がしがみ付く。真田くんはその行為に更に怒りが湧いたようで、近づいて来て真っ先にわたしの腕を力任せに掴んだ。

「赤也!こいつを離さんかぁっ!」
「嫌っスよお!すんげえ顔してますよ!鏡見てくださいよ鏡!」
「ふざけとるのか赤也ぁ!」
「真面目っス!うわあ、本当に般若」

この顔を前にしてどうしてそんな平然と会話できるの。どうしてなの切原くん。半泣きになりながら俯き、上から浴びせられる怒号を受ける。怖い。痛い。

だれか助けて。

「はい、そこまでです真田君」

凛とした聞きなれた声が、止めてくれた。その声は労りに満ちていて、救世主のように感じた。

「柳生!お前も殴られたいかっ!」
「それは構いませんが、いい加減彼女を放してあげて下さいね。彼女が痛がっています」

真田くんはようやく気付いたのか、大きな手のひらから腕を離してくれる。夏服で露出した腕に赤く食い込んだ指の跡がついていた。後ろからは切原くんのうえっという声が聞こえ、柳生くんは眉を顰める。

「苗字さん、保健室に行きましょう。彼は少々馬鹿力ですから、もしかしたらアザになってしまうかもしれません。冷やしましょうか」
「う、ん」

柳生くんの優しく気遣うそれに、涙がぽろりと溢れた。泣くつもりはなかったのに。静まり返った教室から出て行くわたしと柳生くんの後ろから、茜と麻依ちゃんが付いてきてくれた。優しく背中をさすってくれる。こんなことで泣くなんてバカみたいなのに。やっぱり真田くんは怖いのだ。弱いわたしが悪い。真田くんにも申し訳なかった。

保健室に先生は不在だった。テニス部で何度か保健室にお世話になったのか、柳生くんは勝手知ったるように氷嚢を準備して手渡してくれる。

「いやー、真田本気で怖いわ。泣くよねえ。あんなん別れるって」

あはは、と場を明るくするように茜が笑ってくれた。麻依ちゃんはまだ状況が読み込めていないのか瞬きしながらも、背中をさすってくれて。いい友人を持ったなと思い、尚更泣けてきた。


「真田君に何かしてほしいことはありませんか?」
「してほしい、こと?」

顔を上げると、柳生くんが苦笑している。

「女性を傷つけるのはもってのほかですからね。謝罪は当然ですが、そのほかにしてほしいことが何かあれば、伝えておきましょう」
「え、そんなこと、何もないよ。勝手に泣いたわたしが悪いし、謝罪とかもいらない!だから、」

だから、わたしは。真田くんに何か、付き合っていたときから何かを求めたことは無かった気がする。ただ一緒にいて、どうしたらいのか分からなくて。何もないままに終わった関係。
そして真田くんのことがもっと苦手になって。

「なにも、しないでほしい」
「何もしない?」
「う、ん。ごめん。真田くんのことが、怖い。どうしてだろう。わからないの。わからないけど、やっぱり怖いの。わたしが悪いの。でも、なにもしないでほしい。それだけ、かな。ごめんなさい」
「……わかりました。伝えましょう」



真田くんと安易に付き合ったりするべきではなかった。元から苦手だと知っていたはずなのに。こんな風になって迷惑をかけただけで、いいことなんてなかった。弱くてどうしようもない自分のことも、もっと嫌いになっただけ。



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