「弦一郎がこれほど不器用とは知らなかったな。データに書き加えよう」
「……………」

部室のロッカーで返す言葉も見当たらず、ぐっと黙る。
恐らくは例の彼女のことだ。柳が面白そうにこちらを見るが、笑いごとではない。
苗字の腕にくっきりと付いた青いアザ。治りかけといえど、あれは力任せな自分が付けた傷に違いなく、見るたびに心がずっしりと重くなる。
謝罪の言葉を届けようとしても、柳生に止められてしまった。

「何もしないで」それが苗字からの要望だったそうだ。つまりは関わらないでほしいという拒絶だ。それほどまでに怯えさせ、嫌われてしまった。全ては俺の行いのせいだと分かっている。それならば、その言葉に従うだけだ。

「真田副部長、じゃなかった真田先輩、ここんところ怒らないからすげえ調子狂うっす」
「それはそれで駄目じゃねえの赤也」
「しっかし、そろそろ切り替えてもらわんと困るんじゃないかの。色々と」
「そうだね、困るかな」

幸村がそっと立ち上がり、目の前に立つとスパン!と威勢よく真田の頬を叩いた。

「たるんどる!を自分で体現するとは、滑稽だね」
「.....すまない」
「はは、本当に困るんだよな。その調子でいられると部内の士気が下がるからね。苗字さんとは縁がなかった。綺麗さっぱり諦めてくれ、ここで」
「……諦める」

テニスを差し置いて、寝ても覚めても。苗字の落ち込んだ顔が俺を責め立てる。そうだ、精進が足りなかった結果だ。だから。今ここで全て忘れて。
ここのところテニスはもちろん、自宅で剣道にもまったく集中できなかった。勉強にしてもそうだった。たるんどる、と呟いてみてもどうにもならない。
どうしたら忘れられるのか、これほどまでに自分が人に執着できるとは知らなかった。そう、あの気の抜けた笑顔が。どこにいても目で追ってしまう。もう何年も脳裏から離れてくれない。湧き上がる熱も冷めない。

「容易に諦められるのであれば、こんな苦労はしておらんわっ!」

びりびりと大声が部屋中に響く。奥歯をギリっと噛みしめた。諦めたかった。苦しい思いから逃れたい。彼女のいない遠くに行ったら違うのかもしれないが、立海以外にいる俺を想像することも出来ない。勝利への執着と似て非なるもの。しかし替えのきかないもの。それが俺にとっての苗字なのだ。女々しい。とにかく苦しい。

「ならば、諦めず苗字に好いてもらう方法を模索するしかないだろう」
「そんな方法あるのかい、蓮二。相当難しくないか」
「ああ、いくつか方法はあるが、どれも難しいだろう。まずは苗字の弦一郎への苦手意識を取り除くことだ」

柳が真田の肩をぽんと叩く。

「このまま停滞していても事態は何も変わらない。何でもいいから、前に進まなければな」

努力できるものがあるのであれば、それに縋りたい。とにかく、前へ。今以上に悪いことなどないのだ。






突然手紙を書いてすまない。何もしてほしくないということが、苗字からの要望だったと柳生からは聞いている。それでも、何かしたかった。これは勝手な我儘なのだが、どうか許してほしい。

まず、先日怪我をさせてしまったことを謝罪させてほしい。力任せに苗字の腕を掴んでしまった。言い訳の一つもない。申し訳なかった。もし治ってもあとから痛むようであれば教えてほしい。

ここからは、男の身勝手な我儘なのだが、どうか読んでほしい。そして、苗字に何か思うことがあれば教えてほしい。

してほしいことばかり押し付けているな。すまない。

俺は今でも苗字のことを好いている。苗字には迷惑なことと思う。大変申し訳なく思うのだが、諦めることが難しいほど好きなのだ。書いていて非常に情けない。
告白をしたのは二年前になるだろうか。いつから好きだったのかももう分からないのだが、気付けば俺は苗字が好きになっていた。
付き合えた当初は、そう見えなかっただろうが浮かれていた。しかし口下手なせいもあってか、苗字を気遣い会話を続けることも出来なかった。何度も怯えさせてしまった。俺の言動のせいであることは分かっている。申し訳なかった。恐らく辛い思いをさせてしまっただろう。どうも、俺は苗字の近くにいると気恥ずかしくなってしまうようだ。それが情けなく隠したくなり、大声を出したり言葉に詰まる。それが悪いことというのは自覚している。俺が別れを切り出された原因は、それが理由で正しいだろうか。
手紙のほうがより正直に思うことを伝えられるかと、今回は手紙を書いた。
苗字に怯えられることなく、会話が出来るようになることが今の目標だ。だから、良ければ返事を書いてほしい。苗字の思っていることが知りたい。知って、俺は変わりたいのだ。

しかし、苗字が俺に返事を書くことは君の義務ではない。負担に思うならば、この手紙はなかったことにしてくれて構わない。

怪我をさせた上このようなことを書くのもどうかと思うのだが、そろそろ夏休みになる。体調には気を付け、お互い励もう。




手紙には筆を使ったりしないこと。思うことを正直に書くこと。乱暴な言葉を使わないこと。古風で堅苦しいと言われる普段の口調は抑えること。
いくつか受けた仲間からの注意点を胸に手紙を書くと、なんとも信じがたいほど情けない文章になった。しかし乱暴な言動で怯えさせた分、出来るだけ優しくあろうと考えた結果こうなってしまったのだ。これで彼女が返事をくれるかどうかは甚だ疑問ではあったが、すべきことはした。
あとは待つのみだ。これで駄目ならば、他の方法を考えるか、諦める手段を再度探そう。

放課後、彼女の机の引き出しの中に手紙をすべり込ませる。置き勉などはしないようで、すっきりとした机の中はなんとも彼女らしかった。



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