最近すっかり肌寒くなってきたと思いながら、帰宅の準備をする。
教科書を鞄に詰めつつ、部活に行く準備をしている隣の席の彼に視線を向けた。
一瞬目があうものの、互いにそれを逸らす。
あんなにも手紙では会話をしているのに、わたしたちは今でも直接話すことが出来ずにいた。

本当は、言いたいことが沢山あった。
念願だと語っていた全国優勝の座を掴んだことに。3年が引退しテニス部の副部長になったことに、おめでとうと言いたかった。手紙では何度も繰り返し伝えても、それではだめなのだ。
今でも弱い私は「おめでとう」と声を掛けられずにいる。たった一言、それだけでいいのに。口を開こうとして、また閉じることを繰り返す。喉の奥で声にならなかった音がする。
2年前の告白で、声を掛けてきてくれたのは彼だった。文通を始めるのに動いてくれたのも彼だった。だから、わたしが本当は。

教室を出ていく真田くんの背中を見送る。落ち込みながら帰路についた。あと少しの勇気が欲しい。もう怯えず話せる気がするのだ。もう今のわたしは、彼がどんな人か知っている。何を考えているのか、情けないと思うことまで曝け出していてくれることも知っている。
古風な口調でテニスが得意で、将棋や骨董品が好き。剣道もやっているというから彼は多才だった。つくづく雲の上の人だったんだなと思いながら、気を遣って優しくしてくれていることに嬉しくなってしまう。本来の彼は怒ると結構手が出てしまう人らしいので、それは今でもちょっと怖いと思いながら。
柔らかくなったと周りに言われると言っていた彼は、確かに少しとっつき易くなったように見える。2年前より彼はずっと魅力的になった。恋ではないと言っていた一言も、真実なわけではないことも知った。


駅前に見知った人が立っている。待ち合わせをした兄だ。

「お兄ちゃん!」
「おお」

硬い表情で彼が手をあげる。家庭環境が若干複雑な中で育ったわたしたち。兄と再び暮らせるようになったのも最近の話で、わたしは兄にとにかくベッタリだ。病的なほどブラコンとも言う。

「お兄ちゃんありがとう付き合ってくれて〜ありがとうすき〜」
「ニヤニヤすんなよ気持ち悪い」

男性にしては背が低く声が高く、とにかく内気でぶっきらぼう。それでもわたしにとって、兄はたまらなく魅力的なのだ。

「何買うの」
「悩んでるから一緒に選んでもらいたいのに」
「うわ…」

げっそりしながらも、本当にお願いすればちゃんと付き合ってくれる兄は優しい。だからどんなに冷たくされても甘えてしまう。
ここのところずっと、真田くんへの贈り物を悩んでいた。全国優勝のお祝いに何かあげたかったのだ。そうすれば、話しかける勇気が持てる気がした。口実作りともいう。
祝いの品にテニス用品は詳しくないため避ける。タオルなど日常的に使えそうなものか、唯一といえる共通点の書道用品をあげるか。

「ねーこのタオルどう?使う?」
「あー使う使う」
「対応が冷たい…」
「だってそいつ知らねえし。なんなら筆か硯にすれば?お前昔ちゃんとやってたんだし。この前も久々に広げてやってたじゃん」

兄が本格的に苛立ち始めてしまったので、言われた通り筆を選びに行く。硯はちゃんとしたものは高価なので避け、筆にすることにした。筆にも好みがあるし値段はピンキリなのだが、無駄にはならないと思いたかった。それなりの値段でちゃんとコシがありそうなものを吟味し、購入した。

「お兄ちゃん付き合ってくれてやさしい〜すき〜ありがとう〜」
「背中に抱きつくな気持ち悪い。ほんと気持ち悪いわブラコン」

真田くんはどこか兄に似ている気がした。粗野に見えて根っこの部分が優しいところ。



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