君に落ちちゃったんだよ


「なまえちゃん。」

『うげ、』

にこにこと胡散臭そうな笑顔を貼り付けて、私の目の前に立ち塞がったのは真っ白い天使のような男だった。

「酷いなぁなまえちゃん。そんな嫌な顔して僕悲しいよ。」

『すごい白蘭先輩。さすがよくわかってますね。』

「なまえちゃんのことならなんでもわかるよ。歩き出すときは右足からとか麺類を啜るのは少し苦手なこととかね。」

『何それすごい怖いんですけど。』

白蘭先輩。私のゼミの先輩。そして私が一番苦手な人だった。まぁ何が苦手かと言うと何でも見透かしているようなこの目が一番苦手だ。

「今日は研究室来ないの?」

『白蘭先輩がいないなら行きます。』

「わっ、あからさまでいっそ清々しいね。そういうところ大好きだよ。」

あともう一つ苦手なところがあった。こうして当たり前のように、息をするように私を好きというところだ。根拠がない嘘のような愛の台詞は、煩わしさしかない。

『もう退いてくれませんかね。次の講義始まるんで。』

「えー残念。またお昼に会いに行くね。」

『面倒なんで来ないでください。』

***

『はぁ、』

「みょうじさんまた白蘭サンに捕まってたのかい?」

『入江君、あの人どうにかならないかな。すごく仲良いでしょ?』

「仲がいい…、まぁそうなるのかな。でも悪い人じゃないよ。」

意外と素直な人なんだよ、と彼は続けざまに言った。入江君は同じゼミの友達だ。気弱そうだけど、頭はすごくいいし、いい人だと思う。そして白蘭先輩とすごく仲がいい。何故入江君のような人が白蘭先輩と仲が良いのか私にはイマイチ理解出来なかった。

「みょうじさんもちゃんと白蘭サンと話してみるといいよ。」

『うーん、』

悪い人だと思ったことはない。だけどいい人とも思ったこともない。彼とちゃんと話せば本当に何か変わるのだろうか。私は無意識にルーズリーフに白、と書いて慌てて消しゴムで消した。

講義が終わり、昼休みになると本当に白蘭先輩が私の元へと来た。この男は一度言ったからには必ずやり遂げる男だということを忘れていた。入江君の言葉を思い出し、少し不本意だが大学の中庭で彼と昼食を食べることになった。

「意外だったな、なまえちゃんが一緒にお昼を食べてくれるなんて♪」

『入江君が白蘭先輩と話してみるといいって言ってたので。』

「ふぅん、正ちゃんは僕のことなんて言ってたの?」

『悪い人じゃないって言ってました。意外と素直だとも言ってましたね。』

私が言うと白蘭先輩はケラケラと笑った。いつも胡散臭い笑顔だなあと思っていたけど、意外とそうでもないのかもしれない。私は少し彼のことを誤解していたのだろうか。

『私、白蘭先輩のこと苦手です。それは白蘭先輩も知ってると思うんですけど、なんで白蘭先輩はそれでも私に話しかけてくるんですか?』

「言ったでしょ?なまえちゃんが好きだからだよ。」

『それが一番意味がわかりません。私は貴方が好きになるような人間じゃないです。嫌なことは嫌だとはっきり言いますし、結構感情が表に出る嫌な人間ですよ。白蘭先輩は人当たりもいいし、私に構わずとも他にいるじゃないですか。』

そう言うと、彼は少し寂しそうに笑った。そして手に持っていたマシュマロの袋を置き、私を真っ直ぐに見る。

「君は唯一、僕を真っ直ぐに否定してくれたからだよ。」

『否定…?』

「前にさ、僕がもし世界征服したいって言ったらどうする?って聞いたことあったよね。」

『ああ、そんなことありましたね。確かゼミの集まりの時ですよね。』

「そうそう。あの時、ほとんどの子がいいじゃん、とかやってよって笑いながら言ってた中で、君だけが違った。」

『嫌ですよ。白蘭先輩に世界征服なんでされたらたまったもんじゃないです。全力で阻止しますよ。』

「もっと君に早く会えてれば良かった。もう世界征服なんてするつもりはないけどね。あの瞬間から君を好きになった。」

全然わからない。自分の冗談を真っ向から否定されて好きになるなんて本当に理解できない。でも、一つだけ誤解していたかもしれない。彼の言葉にはきっと嘘偽りがない。本当に素直な人なのだろう。

『私は、白蘭先輩に対して恋愛感情はないですけど、もう少し…その、先輩のことは知りたいなあという気持ちにはなりました。』

「!!…ふふっ、今はそれだけで十分だよ。」

『今は…?』

「絶対振り向かせてあげるよ。なんたって僕を落としちゃったんだからね。覚悟してて。」

白蘭先輩は私の顎を優しく持ち上げ、顔を近づけてきた。突然のことで何も出来ずにいると、額に柔らかな何かが当たる。それが唇だということに気づくのに時間はかからなかった。

『っ、前言撤回です!ケダモノ!もう二度と近づかないでください!』

「あははっ、顔が真っ赤だね♪言ったでしょ、覚悟してねって。なまえちゃん、大好きだよ。」

『〜〜〜っ、』

立ち上がりお弁当を持って白蘭先輩から距離を取れば、彼はにこにこと笑いながらその距離を詰めてきた。中庭では私のぎゃんぎゃん騒ぐ声と白蘭先輩の笑い声が響いていた。

『(ん…?そういえば…、)』

「もう世界征服なんてするつもりはないけどね。」

『(もう…?まるでしたことがあるみたいな言い方だったな、…まぁいっか。)』

私はこの時、この人がどんな人なのかまだ知らなかったのだ。まさか本当に彼が世界征服を目論んでいたことがあったなんて、知る由もなかった。



Back/TOP