鈴女さん



「わたしい、下手なんですよお、セックスがあ」

 聖夜に似つかわしくない単語に耳を疑う。聞き間違いか、あるいは脳内で漢字変換を間違えたか。
 頭の中で今の彼女の台詞をもう一度繰り返す。やっぱり聞き間違いではないし、「セックス」は漢字に変換できない。どう変換したってカタカナで、そしてそれは間違えていない。
 小ぢんまりとした居酒屋のカウンターでしゅんと項垂れている彼女。冗談を言っている風ではないが、随分と酔っていることは確かだ。
 部下である彼女が、上司である俺に対して。
 こんな明け透けな会話をしたことは、ない。

 カウンターの中の店主をちらりと見た。彼は聞こえないふりをしてくれているのだろう、忙しそうに(見ようによってはわざとらしく)グリルを覗いたり食器をガチャガチャやったりしている。
 他の客はどうかと、カウンターの椅子に腰かけたまま後ろを振り返る。座敷席のグループは二組で、どちらも若い男性サラリーマンの集まりだった。大いに盛り上がっているところを見るに、クリスマスに恋人のいない者らで集まってどんちゃん騒ぎというところだろう。先程の彼女の言葉は届いてなさそうだ。

 俺は天を仰いだ。天井から垂らされているペンダントライトが温かみのある色を放っている。
 ――このあと、どうするか。
 考えがないわけじゃ、なかった。



 * * *



 給湯室へ向かったのはコンビニ弁当の容器をすすぐためだ。昼食は外回り先で取ることや同僚と外食することが多いが、時には今日のように自席でコンビニ弁当を食うこともある。
 ソースや油がぎっとりついた弁当の空容器をそのままゴミ箱に捨てることはできない。別に社内でルールとして定められているわけではないし、誰に強要することもないが、俺にはできない。だからコンビニ弁当を食べた日は、いつも給湯室の流しで容器をすすいでから捨てるのが俺個人のルールだ。
 廊下の奥にある給湯室にはドアがなく、暖簾でスペースが区切られている。
 暖簾をくぐると先客がいた。自分の直属の部下であるナマエだった。

「あ、リヴァイ課長……お疲れ様です」
「ああ、お疲れ」

 ナマエは俺が弁当の容器をすすぐことを知っている。さっと流しの前からずれた彼女の手の中では、ティーバッグの入ったマグカップが湯気を立てていた。
 流しで容器をすすぎながら、横目でちらりとナマエを見る。朝から彼女の表情が暗いことには気がついていた。
 蛇口を止め、容器の水を切りながら言ってみた。

「……何か問題でもあったか?」
「え?」

 ティーバッグをゴミ箱へと捨てていたナマエはパッと顔を上げ、きょとんと丸くした瞳をこちらへ向ける。

「どうも今朝から落ち込んでいるように見えるが。トラブルなら早めに報告しろ」
「え……? あ、あー……仕事のことじゃないです、スミマセン」

 彼女は気まずそうに口角を上げ、人差し指でぽり、と頬を掻く。

「ちょっと……あの、プライベートで。今日の予定がなくなっちゃって、それで落ち込んでいるように見えたのかもしれないです」
「……」

 気の利いた返しも思いつかず、数拍の沈黙の後「そうか」とだけ言った。

 今日は12月25日。世間で言うところのクリスマスだ。
 俺自身の誕生日でもあるけれどそれは関係ないし、目の前の部下はその事実も知らない。同僚にも部下にも誕生日を伝えたことはなく、会社の人間で俺の誕生日を知っているのは人事部くらいのものだろう。

 クリスマス。ナマエは確か、恋人とデートだと言っていなかったか。
数日前に、まさにこの給湯室で、彼女が同僚と楽しそうにクリスマスの予定を報告しあっていたのを偶然耳にしていた。
 同僚に「彼氏とデート?」と尋ねられたナマエは、「えへへ、そうなの」とはにかんでいた。予定がなくなったとはつまり、恋人とのデートがなくなったということだろう。

「せっかくのクリスマスなのに……ひとりぼっちはちょっと寂しいですよね。でも同期も友達もみんな予定あるって言ってたから、声かけるのもなんだしなって。もうこの際、今日は一人で飲みに行っちゃおうかなって!」

 両手で胸の前に拳を作り笑うナマエの、眉尻は少し下がっている。俺が落ち込んでいる様子を指摘したもんだから空元気を搾りだしているのだろう。
「じゃあ俺と飲みにでも行くか」と喉まで出かかって、止めた。

 ナマエのことは正直気になっている。もう随分前からだ。
 ただ、直属の部下だということと彼氏持ちだということがブレーキになっている。わざわざ部下に、そして彼氏持ちに手を出さずとも、という思考が働くのは大人なら大抵そうだろう。

 だから俺はやっぱり「そうか」とだけしか言えなかった。



 定時を過ぎるとすぐに、フロアの人は疎らになった。
 普段はだらだらと残っている者も多いが、クリスマスの今日、さすがに好き好んで残業するやつはいない。家庭を持っている者はホームパーティーがあるのだろうし、家庭持ちでなくとも恋人との予定がある者、友人との予定がある者、それぞれだ。
 俺のように予定が何もない者も中にはいるだろうが、喫緊の業務がなければわざわざ一人ぽつんと残って残業せずとも良い。

 こんなことなら部下のエレンから誘われていた飲み会にでも顔を出せば良かっただろうか、と思い至る。
 だがエレンが「彼女のいない野郎だけで集まるんです! リヴァイ課長も来てください!」と鼻息荒く俺を誘ったそばから、同じく部下のジャンが「てめえリヴァイ課長に彼女がいないわけねえだろがっ!」とエレンの後頭部をパカンと引っぱたいた。行くとは言い出せない空気になり、俺は「お前らだけで楽しんで来い」とカンパだけしたのだった。

 結局、定時を1時間ちょっと過ぎたところで会社を出た。
 オフィスのメインエントランスを出ると、カラカラに乾燥した街をイルミネーションが彩っている。オフィス街のイルミネーションは歓楽街のどぎついネオンと違い、温かな電球色が主で、嫌いじゃない。
 そのまままっすぐ帰っても良かったのだが、気まぐれで居酒屋の暖簾をくぐった。
 会社から徒歩10分の場所にある行きつけである。激安チェーン店のような下品さはなく、かといって高級割烹のように敷居の高くない、ちょうどよい塩梅の空気を気に入っていた。カウンターで一人飲んでいても、店主がべたべたと話しかけてこないのも好ましい。クリスマスらしくない大衆居酒屋だが、狭い店内は半分ほどが埋まっていた。
「いらっしゃい」と店主がハリのある声を出す。俺は右手を上げて応え、いつものカウンター席へと進んだ。

 そこに、ナマエがいた。

「……リ、リヴァイ、かちょ!」

 ガタガタッと慌てて立ち上がった彼女の足取りはおぼつかない。
 定時を回ってすぐに退勤したはずだが、1時間ここで飲んでいたのか。一人で?

「お前、どうしてここに」
「いや、あの、やっぱ一人で帰っても寂しいなって……この店なら座れたから」

 互いに気づいた手前無視することもできない。完全に成り行きだが、俺は彼女の隣へと腰かけた。
 カウンターの中の店主に「生」と声をかける。ナマエは俯き気味でカウンターチェアに座りなおした。

「女が一人で居酒屋って、ちょっと、あれですかねえ……あれですよねえ……」

 ナマエは後れ毛を耳にかけながらもごもごと言っている。口ごもり気味なのは羞恥のせいだろうが、それを抜きにしても呂律が結構怪しい。

「いいや。一人で食事もできないやつより、一人で酒が飲めるやつのほうがよっぽど良いだろ」

 本心からだったが、俺の言葉にナマエはホッとしたように息を吐き口角を上げた。

 店主がカウンター越しにビールジョッキを置いた。黄色と白の割合が完璧なジョッキを右手で持ち上げると、ナマエもカウンターの上で汗を掻いていた自分のジョッキを持ち上げる。俺たちはジョッキをガチンとぶつけた。

「メリークリスマス」

 先に言ったのはナマエだ。クリスマスに大衆居酒屋で上司と部下がビールで乾杯する絵はなんだか滑稽だが、悪い気はしない。

「メリークリスマス」

 俺も彼女に倣う。彼女の唇はさっきよりも大きく弧を描き、目尻には笑い皺がわずかに浮かんだ。

 そうして、俺とナマエはビールジョッキをもう一杯、その後はジョッキが徳利とお猪口二つに変わり、飲み続けた。
 俺が入店した時点で既に酔っていたナマエは、徳利が来た時にはもうへべれけ状態だった。



 何がきっかけだったか。話題が恋愛沙汰にのぼった。

「実は、彼氏ぃ……なんか、浮気してるみたいで。今日ドタキャンされたのも、多分だけど浮気相手に会ってるみたいでえ……ていうか、もしかして私のほうが浮気相手なのかもれえ……」

 酔っ払いの舌足らずな泣き言を聞き、俺はようやっと理解した。
 ナマエの落ち込みは、単純に今日の予定を反故にされたからではない。恋人の態度の積み重ねから、恋の終わりを予感していたからなのだ。
 ナマエの想いを肯定も否定もできない。俺はその「恋人」のことを知らないし、ナマエが本命なのか浮気相手なのかを知る術はない。下手な発言をして無責任だと思われたら嫌だと思うくらいには、俺は彼女を想っている。
 それでも気持ちを軽くするくらいはしてやりたい。まずは彼女の愚痴をじっくり聞いてやろうと、身体を彼女のほうへ向け、姿勢で続きを促した。

「でも多分、私が悪いんです。原因は私にあってぇ……私、私ぃ……」

 そうして泥酔したナマエは、冒頭の爆弾発言をかましたのだ。

「わたしい、下手なんですよお、セックスがあ」



 * * *



 タクシーへ乗り込んで数十分の場所で降りた。
 クリスマスの道はさすがに混んでいてところどころ渋滞していたが、会社から離れた場所へと移動する必要があった。二人でいるところを同僚らに見られるわけにはいかない。
 ラブホテル街はどこも「満室」のネオンが灯っている。「性夜」と揶揄されることも多いこの日、一軒だけだが「空」の表示のあるホテルを見つけられたのは奇跡だった。
 道路からは生垣で目隠しされたエントランスへ。俺から先に入ってゆくと、自動ドアが無機質に開く。
 ナマエは俯きながら、半歩後ろについてきた。



『セックスがあ、下手なんです』
『自分も気持ちよくなれないし、相手も気持ちよくさせてあげれないしぃ……私ぃ、不感症なのかも』
『彼が浮気するのも、じぇーんぶ私が悪いんです。満足させてあげれないからあ……』
『もうなんか、そういうレッスン教室とかスクールとかあったら通いたいくらいでぇ……』

 居酒屋でナマエは真剣に落ち込んでいた。酔っぱらってはいたが、本気の悩みだというのは伝わる。

『……じゃあ、俺が教えてやろうか』

 瞬間、彼女はぎょっと目を見開き反射的に顔を上げた。彼女の頬は、酒とは違う理由でみるみるうちに赤く染まってゆく。

『な、っ………、え!?』

 動揺がこれでもかと出た表情に、可能性があると思った。
 こいつは俺とのセックスを一瞬で想像し、頬を染め動揺したのだ。部下だし彼氏持ちだしで遠慮していたが、こんなに隙を開けっぴろげられたのでは付け入るしかない。
 もう提案は口にしてしまった。今から撤回することは不可能だ。俺は付け入った隙を押し広げていくしかない。
 そして、押し広げたいと確かに思っている。

『別に本当にしなくたっていい。ベッドの上で疑似的にやってみればいいじゃねえか。
 本来は、お前の言うとおり教室なんかがあれば良いんだろうがな。ああいう行為は二人だけの閉鎖された環境でするから、第三者の視点ってもんがねえだろ。だから、それこそ教室の講師だとか、まあ俺みたいな他人だとか、外部のやつが客観的に見るのが一番良い。問題点がわかりやすいからな。
 疑似的にやってみるだけだ。実際にしなければ別に浮気じゃねえだろ』

 よくもまあつらつらと口から出るもんだと自分でも思う。付け入った隙を無駄にしないために、俺の脳内は高速で回転していた。幸い、俺はナマエと違いたいして酔っていない。
 努めて冷静に、平静を装い、上司の皮を被ったままで、疑似的なセックスレクチャーのメリットをプレゼンした。
 結果、ナマエはプレゼンに納得したのだ。



「服はどうする。俺は脱いでも脱がなくても良いが」
「え、と……じゃあ、着たままでもいいですか」

 ラブホテルの空室は一室だけで、選択の余地はなかった。上から二番目の値段の部屋である。
 幸いなことに割と落ち着いた内装だったが、室内には取ってつけたようなクリスマス装飾が施されていた。テレビ台には100均で見たことのあるミニクリスマスツリーと雪だるまの人形が、ソファ前のローテーブルにはポインセチアの造花がどんと配置されている。

 俺はコートとジャケットを脱いでベッドに横たわった。ナマエのほうは、おずおずと、コートだけを脱いだ。ジャケットは着たままで、ベッドの上でちんまりと正座をする。

「明るいほうが良いか? それとも暗いほうが?」
「く、暗くしてください」

 うつ伏せになってベッドのすぐ上にあるパネルをいじってみる。無遠慮な天井の照明を消すと、間接照明だけのほの暗い空間ができあがった。
 途端、正座していたナマエの顔がぎっと強張る。
 彼女はきっと、明るい部屋では恥ずかしいから暗くしろと言ったのだろうが、部屋を暗くしたことでこの空間は「そういうことをする部屋」になってしまった。暗くなった室内は淫靡な雰囲気を醸し出し、こっちのほうが却って羞恥を煽られるのかもしれない。

 ナマエはまだ正座で座っている。右手を差し出すと彼女は、おず、と俺の手を取り、ぎこちなく身体を横に倒した。ベッドが小さく軋む。
 布団の上で俺たちは平行に並び、身体は向かい合った状態になった。
 だが彼女は下を向くばかりで目を合わそうとしない。長い睫毛が細かく震えていた。

「いつもは、ベッドに入ったらどうしているんだ?」
「いつもは……キスとか。抱き合ったりとか……」
「へえ」

 腕を伸ばし、口ごもりながら答える彼女の耳に触れる。ナマエはびくりと震えたが、無視して右手で耳たぶをなぞった。
 すり、すり、と、なぞるたびに、産毛に覆われた柔らかな感触が指に伝わる。制止の声は上がらない。

「抱き合って、その次は?」
「さ、さわられたり、とか」
「どこを?」
「え……と、胸……とか」
「どんな風に触られる?」

 俯いてばかりだった彼女の顔が上がり、視線が合った。戸惑いと、羞恥が容易に読み取れる瞳。
 一度は合った視線だがすぐにおろおろと彷徨い出す。俺は右手で彼女の顎を掬い、無理やりに上を向かせた。視線を離さない。射るように見つめれば、彼女のほうも自然と視線が固定される。

「優しく? 強く? どの指で、胸のどこを触られる?」
「どの、指? ご、ほんの指で、なんか……あの、掴むように、とか。結構強い、のかも。なんか……指が沈むっていうか。それで、あの、先を……」
「先?」
「ち、ちくび、を、つねられたり」
「へえ。それは痛いのか?」
「い、痛いです」
「どのくらいの強さで? 俺にやってみろ」
「えっ!?」

 俺は上半身を起こし、ネクタイを外した。ワイシャツと肌着も脱ぎ、そのままソファへ放り投げる。
 普段なら脱いだものをあたりに放るなんてしないが、今は流れをできるだけ断ち切りたくなかった。こんな、ラブホテルのベッドに上がった時点で、ナマエはもう流されているのだから。
 俺の上半身を目の当たりにしたナマエは飛び起きて、再び正座に戻ってしまった。彼女が着ていたジャケットはくちゃりとよれている。
「皺になるからジャケット脱いだ方が良い」と言えば、彼女はためらいながらもジャケットを脱ぎ、ベッド横のサイドテーブルへと置いた。
 やはり流されている。もう引くつもりはなかった。

「ほら」

 胸を張る。ナマエに乳首を見せつけるように。
 動けずにいるナマエの両手を取り俺の胸へと導くつもりが、急に手を取られたことでナマエはバランスを崩し、俺の上へと倒れ込んだ。そのまま勢いにまかせ背をベッドへ預ける。
 ベッドの上で俺たちはもつれあった。
 ナマエはまた俺から視線を逸らし、下を向く。だがその視線の先にあるのは俺の乳首だ。

「やってみろ」

 囁けば、白く細長い指が俺の両乳首に伸びた。綺麗に塗られたピンクベージュの爪が震えている。
 きゅ、と摘ままれた。弱い力だった。

「そんなもんなのか」
「いや、えっと……痛いかなって。本当はもっと強いかも……」
「大丈夫だから、やってみろ」

 ナマエは意を決したようにきつく瞼を閉じ、指をぎゅっと摘まんだ。
 びり、とした痛みが乳首から走る。甘いしびれだった。

「は、結構強くやられんだな」
「すみません痛かったですよね!?」

 彼女は慌てて起き上がろうとする。だが足と両腕でそれを阻止した。

「俺は痛くねえよ。だがお前が慣らされないうちに急にこれをやられたんじゃ、痛えだけかもな」

 腕の中のナマエの顔が微妙に曇った。思い当たる節があるのだろう。

「……例えば、俺だったら」

 右手を彼女の胸へと伸ばす。ナマエはびくっと肩を大きく震わせたが、実際には触れない。ナマエはまだブラウスを着ているし、そのブラウスにも触れない。
 俺の指はナマエの乳房の上、ブラウスから3cmの距離で止まった。

「いきなり鷲掴みして乳首をつねるなんてことはしねえ。ゆっくり、外側から、触れる。乳首の先には触らない。乳輪をなぞってから……」

 右手の人差し指を、乳輪と思われる位置にそって円を描くように動かす。もちろんブラウスの上3cmの位置は保ったままだ。ナマエの胸には一切触れていない。
 もぞ、とナマエの膝が擦り合わさるように動いたのを見逃さなかった。俺は太腿をぐっと突き出し足を絡ませる。

「つねる前に、ねぶる」

 言いながらブラウスの上に口を寄せる。彼女が息を呑んだのがわかった。
 ブラウス越しに、乳房の先端に、吐息がかかる距離。もちろん唇もブラウスにすら触れない。
 その距離を保ったまま上目遣いに見上げれば、彼女の瞳は潤んでいた。耳たぶも鼻頭も染まっている。

「その後は? 胸やら乳首やらを触られて、その後はどうする」
「え……と、その後は……私が、あの……」

 恥ずかしそうに口ごもるナマエを見れば、その後の流れなんて察しがつく。
 だが言わせなくてはならない。ナマエが自らの口で言うことに意味がある。

「その後は?」

 柔らかい耳朶に再び触る。やはり拒否はされず、紅の引かれた唇から吐息が漏れた。

「私が、します……」
「何を」
「ふぇ……フェラ、チオ、を……」

 卑猥な言葉を口にすれば彼女の吐息はさらに熱くなった。心なしかベッド周りの温度も上がっている。

「どうやってやるんだ?」

 どうやって、と繰り返した彼女の声は掠れていた。

 ゆらりと、潤んだ瞳が俺の股間へと向いた。人間の身体というものは正直で、スラックスの股部分はもう膨らんでいる。
 ナマエはそれを、確かに、目にした。そしてやはり恥じらうように視線を逸らす。どこか名残惜し気に見えたのは、きっと気のせいじゃない。
 ファスナーを下げて取り出してやりたい衝動に駆られ、だが衝動をねじ伏せる。まだだ、と自分をきつく窘めた。

 まだだ。タイミングを見誤ってはいけない。
 俺は今夜、こいつを、確実に俺のものにしたいのだから。

「どうやってやる?」
「い、きを……先に、吹きかけてから……先から順に、舌で舐めて……唇で吸ったり……」
「手は? どうしている?」
「じょ……上下に、こする、とかあ……」
「上下に? どこを? どんな風に?」
「裏側の……筋のとこを、親指で……押しながら……」
「それから?」
「くびれた……くぼみのとこ、を、指の輪っかで……くりくりしたりぃ……」
「ナマエ、お前」

 俺はナマエの両手首を掴み一気に組み伏せた。いきなり視界が反転した彼女は、目玉がこぼれ落ちそうなほど瞠目している。
 タイミングは今だ、と判断したのだ。ナマエの瞳に驚きの色はあれど拒絶の色はない。そう確信した。何より、これ以上焦らしたら俺のほうが持たない。

「はあはあ言いやがって、息が荒くなってんじゃねえか。耳の先まで真っ赤で、目を潤ませて。
お前、不感症なんじゃなかったのか? どう見ても感じてるように見えるんだが、俺の勘違いか?」

 既に十分赤かった彼女の顔面が、一気に茹蛸のように染まる。部下のこんな赤面を初めて見る。

「お前のことを大切にしたいと思っている。部下としても、女としても。
 3秒待ってやる。嫌だったら、今、拒め」

 ナマエの細い手首をシーツに留めたまま、視線をじっと彼女の瞳へと合わせた。

「3」

 青い血管の浮き出た白い手首がピクリと動く。だが、力が弱すぎる。
 本気じゃない。

「2」

 合っていた視線を逸らされた。ナマエの眉尻はハの字に下がり、困惑したように視線が泳ぐ。

「1」

 彷徨っていた視線は、右に漂い、左に漂い、そうして。
 戻ってきた。

 再び俺の目と彼女の目が合う。それが合図だった。



 唇を重ねた瞬間、急くように入れた舌は拒まれることなく、ナマエも自らの舌を差し出した。粘膜はあまりにも当然のように絡み合う。ずっとおあずけをくらっていた身体はキスだけでガチガチに膨れ上がった。

「んっ……ぁ、あ……」

 もつれあう舌を止めることなく、その一方でナマエのブラウスを脱がせる。てろんとした素材のブラウスの下からは水色のレースに包まれた形の良い乳房が現れた。だがそのレースも、そしてスカートもすぐに取り払う。ストッキングはもどかしくて破いてしまった。
 キスの合間に漏れる鼻にかかった声。急き立てられる。
 自分自身もシャツとスラックスを取り払うと、二人とも下の下着だけになった。俺が先に脱ぐと、ナマエは自らショーツの縁に手をかけ、脱いだ。薄い茂みが現れる。
 互いのすべてを曝け出すと同時に再び全身で絡み合った。腕も、足も、舌も。皮膚が邪魔だという感覚を久しぶりに持つ。どれだけ絡み合っても一つになれないのがじれったい。
 俺たちは、今まで耐えていた分を取り返すかのように、夢中で唾液を貪りあった。
 既に固く勃ち上がっている自身からは先走りがダラダラと溢れている。一方で、その先走りで濡れている先端が当たっている彼女の溝も、愛液でぐちゃぐちゃだった。

 絡み合っていた舌を離し、顔を離す。視界に映ったのは、中途半端に出ていた彼女の舌だった。
 口紅がすっかり剥げた唇の中へもったいなさそうに舌がしまわれる。

「お前、何も下手じゃねえよ。不感症でもねえ。
 見ろ、お前のせいで俺はもうこんなだし、お前だってもうどろどろじゃねえか」

 垂直にいきり立っている俺のものにはもちろん気づくだろうし、ナマエの蜜だって自分自身で気づかないわけのない量だ。既にベッドの上にはところどころ水滴の跡がある。
 とろんと瞳をとろけさせている彼女は、恐らく酒と快楽で頭が上手く回っていない。

「なあ、俺にしておけよ」

 もうブラウスの上からではない。俺のかさついた指は直接乳房に触れた。
 さっきナマエに説明したのと同じ要領で、指で乳輪をなぞる。
 ゆっくり、外側から、触れる。乳首の先には触らない。乳輪をなぞってから。

「んっやっあ……っ♡」

 俺よりも一回り小さな身体は、フルフルと震えた。まだ乳首には触らない。桃色の先端はぷっくりと膨れ上がって主張しているが、まだだ。

「お前が悪いんじゃない、男が悪いんだ。ナマエの身体を大事に扱わねえからナマエが気持ちよくなれない。俺だったら、お前をいつだってこんな風にしてやれる」
「あー……っあーーっ♡♡ そこ、お♡♡」
「なあ、触って欲しいか?」

 乳輪をなぞるだけでは足りなくなっているはずだ。ナマエは待てのできない犬みたいに首を縦にぶんぶんと振る。待てのできない犬への躾は別で行うことにして、今は指先でカリッと乳首を引っ掻いてやった。

「ああああっ! やあ、もっとおっ♡♡♡ もっとしてくらさいっ♡」
「もっと、してやっても、いいが」

 俺は身体を起こしてベッドサイドテーブルに置いてあった彼女のバッグを取り上げた。シックな革のトートバッグをナマエの目の前に突き出す。

「男とは今別れろ。俺にしろ。そうしたら、お前の欲しいもん全部やる」

 ナマエの瞳は既に焦点が合っていない。だが朦朧としながらも意識はまだあるのだろう、全裸のままバッグの中からスマホを取り出すと、そのままメッセージを打ち始めた。俺がスマホの画面を覗くのも拒まない。
 メッセージアプリの入力画面には「別れてください。さよなら」の文字が浮かび、素っ気なさすぎる別れの言葉はスイッという音と共に送信された。
 恋人に別れを告げたスマホはナマエの手によってベッドサイドテーブルへと放られ、バッグはそのまま乱暴に床へと落とされた。

「わかれた、はやくっ♡ はやくくらさいっ♡」

 ナマエは俺の言うことをきいた。約束は守らなければならない。
 乳首にしゃぶりつくと、ナマエは高い嬌声を上げて腰を大きくのけぞらせた。
 右手で乳房を押さえ、舌と唇で乳首をしゃぶりながら、左手の指は下の溝へと滑らせる。すこしなぞっただけでぬちぬちと泡立つような音が立った。

「音、すげえな」
「やあ、言わないでくらさあ……っ」
「どうして。お前が俺で感じている証拠だろ。こんなにひくつかせて」
「あああー……っ、あっ、きもちい、ですっ♡ りばいかちょ、きもち、あっ♡」

 うねる膣に指がぐんぐんと飲み込まれる。中は腹を空かせた怪物のようだった。
 これじゃ指一本では足りないだろうと、人差し指と中指を揃えて二本を挿し入れ、親指で膨れ上がったクリトリスもなぞる。

「んあーーーーーっ♡♡♡」

 同時にナマエは甘ったるい声で啼いた。
 彼女の腰はへこへこと動いている。恐らく彼女の意志とは無関係に。

「物足りなさそうじゃねえか」
「あ、んっ♡ あ……あ、はぁ……っ♡」
「ちゃんと言え。俺が欲しいか?」
「ほ……」

 潤んでいた目尻から涙が一筋こぼれる。快楽の涙。

「ほしいです……っ♡ くらさいいっ♡♡ りばいかちょうの、くらさいいっ♡♡」

 半分悲鳴みたいな、快楽に溺れた懇願。俺は血管がビキビキと浮き出ている自身に急いでゴムをつけた。
 先程指を食いちぎらんばかりだったナマエの中は、今か今かと待っている。くぱくぱと口を開いているかのよう、とはよく言ったもので、グロテスクに俺を喰おうとする様は本当に怪物が口を開いているかのようだった。
 入れると同時、ずぶ、と粘膜が鳴った。みちみちという感触が俺のものにまとわりつく。
 指よりももっと抵抗が強いが、こちらが貪られるような引き込み方だ。

「はぁっ……あ、りば、あぐ、ぅ♡」
「ぐっ……っ!」

 思わず声を上げ歯を食いしばる。
 ちぎり取られるのでは、と真剣に思うほどだった。強烈な快感の波をなんとかやり過ごすと、一度入口まで引き抜き、再び奥まで突き入れる。ばちゅん! とAVのような音が鳴った。

「あっ、ふ、かあっ、いっ」
「っ、嫌か?」
「いやじゃないぃっ♡♡♡」

 ずんずんと力強く律動的に突くと、彼女の喘ぎ声も同じリズムで揺れる。
 ナマエのそこはしとどに濡れて、滑りが良すぎるくらいだった。

 下手だなんて、不感症だなんて。冗談にもならない。
 ナマエは、今俺の目の前で喘いでいる女は、最高だ。

 ナマエの中に入るまでに我慢しすぎたのが悪かったのか、俺はすぐに達してしまいそうだった。
 だがそれはナマエも同じだったのか。先に限界を迎えたのは、彼女のほうだった。

「う、んっ、あ、あぁ♡♡♡ あぁ〜〜〜っ♡♡♡」

 声色が変わった。ひっくり返るような、掠れるような、叫ぶような。
 目の焦点はもともと合っていないが、加えてナマエの口角からは涎が垂れる。 
 感じすぎて、快感に押しつぶされる一歩手前の――

「あ、あ、ぁあああああーーーーっ♡♡♡♡」

 瞬間、嬌声を響かせて、ナマエは絶頂に達した。俺のものを喰いちぎらんばかりにきつく搾りあげる。
 ぐ、と歯を食いしばり、数秒の後に俺も達した。



 * * *



「えっ!? 誕生日、今日!? てかもう昨日じゃないですか!」

 ベッドの中でスマホをいじっていたナマエは、目を剥いてこちらを向く。
 裸で一つの布団に入ったまま、俺たちはスケジュールアプリを開いていた。



 行為が終わって1時間は経っている。
 終わった後ナマエは気絶するように眠ってしまったが、ほんの20分ほどで自ら目を覚ました。
 ひと眠りしたことでスッキリしたのか、時間の経過と共にアルコールも多少抜けたのか、もうあのどろりととろけるような目はしておらず、意識はハッキリしていた。

「次のデートの約束をしよう」と提案しスマホを持ち出したのは俺だ。
 最中の約束を反故にさせるつもりはない。もう俺たちは恋人だという念押しの意味を多分に込めての提案である。
 結局、ナマエは最中に自らが同意したことをきちんと覚えていて、俺の念押しは杞憂に終わったのだが。
 デートは無事次の日曜日に取り付け、スケジュールアプリを開いたついでに互いの誕生日も登録しようという流れになった。それで12月25日と伝えたところ、先ほどの反応である。
 今、時計の短針は12を少し回っている。日付が変わって今日は12月26日だ。



「クリスマスがリヴァイ課長の誕生日だったなんて、全然知りませんでした」
「誰にも言ってねえからな。社内のほとんどの人間は俺の誕生日なんて知らねえよ。大人になると誕生日を聞かれることも特段ねえしな」
「私、プレゼントとか何も用意してないし……しかもよりによって誕生日に、こんな酔っ払いの相手をさせてしまうなんて……本当すみません……」

 しゅん、とうなだれるナマエを見て、ぽわりと胸の中に浮かんできた感情がある。
 温かいような、むず痒いような、じんと沁みるような。
 言葉にするのは難しいが敢えて言語化するなら、「愛しい」だろうか。
 愛しい。可愛い。大事にしたい。どれも嘘じゃない。俺の率直な気持ちだった。

 誕生日プレゼントなんていらねえ、お前を手に入れられたことが最高の誕生日プレゼントだ。
 正直にそう口に出そうかと思ったが思いとどまった。あまりにクサすぎるしダサすぎる。
 こんな台詞じゃなくてもっと軽く、かといって軽薄にならず、気の利いた言い回しにできないかと考え、それも諦めた。そんな都合の良い言葉、俺の頭じゃ簡単に出てくるわけがない。何を言ってもダサくなるか、胡散臭くなるか、あるいは言葉が足りないかになる。

 言葉は諦めた。
 代わりに、彼女の頬に口づける。

 ちゅ、と軽いリップ音が鳴ると、しょんぼりしていたナマエはぱちくりと瞬きを一つ。
 数拍おいて、ナマエの瞳と唇は弧を描いた。
 上手く言葉にはできないが、俺の気持ちはきっと正しく伝わっているに違いなかった。







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